花芽ぐむキルシュヴァッサー18
客人用竜舎の前には人がいたので、話のつづきはアウデンティア公国に戻ってから聞くことにした。
私の執務室に移動し、シーラが淹れてくれた紅茶を飲むと、先ほどの話の衝撃がほんの少し和らいだ気がした。
「ラインさん。先ほどの話が本当だったとしたら、ヘリアス様にご兄弟がいるという話になりますね」
「ええ」
向かいに座っているラインさんはティーカップを置き、考え深い表情でうなずいた。
このことをヘリアス様が知った時、どう思われるだろう。
自分とアンネマリー様が知らないところで、父親が愛人を作り、さらに子供まで生まれていたなんて……。
(アンネマリー様を裏切ったことに対して怒り、激しい嫌悪を覚えるはず)
いつか伝えなければならないとしても、この情報は慎重に扱わなければ。
ラインさんも難しい顔をしながら口を開いた。
「奥様は以前、俺に訊ねましたね。ヘリアス様の家系にウタヒメがいた可能性はないかと」
「え、ええ……覚えています」
たしか、ヘリアス様が記憶喪失になったと判明した直後のことだったと思う。
古代竜の咆哮を聞いても、ウタヒメの私は記憶を失わなかった。そして、ヘリアス様も一度目の咆哮を聞いた時には意識があった。だから、彼にも何らかの耐性があったのではないかと考えた。
その可能性として、ヘリアス様の先祖にウタヒメがいたのではないかとラインさんに訊ねた覚えがある。
「今回の話は、その件に関係があるということですか?」
「不確定要素も多く、ウタヒメと直接関係ないとは思われますが……」
ラインさんは少し迷うように言葉を選びながら続けた。
「記憶消去を行う術者……つまりエマという少女ですが、彼女も咆哮に対する耐性があるかもしれませんよね」
「そうですね。または、自分だけは術にかからない方法を知っている可能性も高いですが」
ラインさんは短い沈黙のあと、ゆっくりと口を開いた。
「俺は彼女とヘリアス様が血縁者ではないかと疑っています」
「エマさんとヘリアス様が!? だから、ヘリアス様にも耐性があったのではないかと、そういうことですか?」
ラインさんは真面目な顔をしてうなずいた。
「発想が飛躍している自覚はあります。ただ、ヘリアス様がエマという少女を、誰も言っていないのに『赤い瞳の少女』と言ったことが、どうにも気になりました。記憶喪失なのだから夢の話と混同しているのだと、最初は気にしませんでしたが、赤い髪も赤い瞳もこの国ではとても珍しい色です。だからこそ、アルトリーゼ家を象徴する色と言っても過言ではありません。そして、オリアス様は赤い髪に赤い瞳を持つ人でしたから」
「だから、オリアス様の愛人の有無を確認したのですね」
「ええ。こじつけが過ぎると言われれば、それまでですが」
「いいえ、長年ヘリアス様のそばにいたラインさんが違和感を覚えている時点で、何かがあります。それにジンさんも、オリアス様に愛人がいて、子供までいることを教えてくれました。それがエマさんなのかわかりませんが、ヘリアス様にご兄弟がいるのは事実です」
そう答えると、ラインさんはほっとした顔をした。
そこで私はルイス様との会話を思い出した。
「そういえば、ルイス様の話によるとエマさんはイーリス教会の人間で、古代竜の管理者だったと言っていました」
「愛人が子供とともに教会にいたのだとしたら、エマという少女が血縁者である可能性はゼロではありませんね」
「もし本当にエマさんが妹だったとしたら大変です。ルイス様は、古代竜は王家に渡すと言いましたが、管理者だけは引き渡してほしいと言っていました。悪いようにはしないとおっしゃっていましたが、とてもそうは思えません。先にエマさんと古代竜を見つけないと……!」
「そうですね。古代竜の調査を再開させましょう。あとは、ジンに愛人のことを詳しく聞くことができればいいのですが」
ラインさんは眉を寄せて「難しそうですねぇ」と困った顔をしてつぶやいた。
「俺は古代竜の情報と、愛人と子供が預けられた教会について調べてみます」
「お願いします」
◇◇◇
「フロリアン上級調査官。フィルナ様が戻ってこられましたよ」
シャーロット先生が私の執務室を訪れ、わざわざ声をかけてくれた。
「そうですか。では、出迎えに行かなければ」
「はい! ご一緒します」
私は机に広げた書類を片付けると、足早に部屋を出た。
戻って早々、私の顔など見たくないかもしれないが、彼女はキルシュのために行動してくださっているのだから、出迎えくらいするべきだ。
シャーロット先生は私の隣を歩きながら、なぜか嬉しそうに微笑んでいた。
(それにしても、面会をしてから戻ってくるのが早いな……。やはり、鱗はだめだったのだろうか)
ジン・グレンカイトに対する面会申請の話を出された時は驚いたが、メルキオールの鱗を手に入れるのはさすがに難しいだろう。
半ば諦めにも似た思いを抱きつつ、私は竜舎の出入り口でフィルナ様を出迎えた。
しかし、私の前に現れたフィルナ様の表情は明るく、それだけで胸の奥から期待が湧き上がった。
彼女は私たちに向けて、まるで大切な宝石箱を開くように木箱の蓋を開けた。
箱の中には、布に包まれた竜の鱗があった。
光の加減で薄い緑色にも薄い赤色にも姿を変える美しい鱗は、間違いなく――
「メルキオール!」
「はい。ジンさんから、大切な鱗を譲っていただきました」
「まさか、本当にメルキオールの鱗を手に入れるなんて……」
「火と風のハイブリッド種の鱗が、こんなにたくさん! すごいです!」
思わず感じ入ったようにつぶやいた私の隣で、シャーロット先生の興奮したような声が上がった。
フィルナ様は穏やかに微笑みながらうなずいた。
「ジンさんは、今を生きている竜に使ってあげてほしいと、自分が持っていたすべての鱗を譲ってくださいました」
「ジン殿が、そのようなことを……」
あまりの衝撃に、声が出なくなった。
私は幾度となくジン殿を糾弾してきた。
メルキオールが亡くなったのは、彼の虐待に等しい訓練のせいだと、そう信じていたのだ。
(ジン殿は私を恨んでいるはずだ。フィルナ様がどう説明されたのかはわからないが……それでもキルシュや他の竜のためにと、大切に保管していたメルキオールの鱗を譲ってくれたのか)
毎日竜を見ているから、よくわかる。この鱗一枚一枚が、丁寧に磨き上げられているということを。
(とても大切にしていたんだな)
この鱗から、ジン殿の竜に対する愛情深さと、彼に大切にされたメルキオールの喜びが伝わってくるようで、じわりと目の奥が熱くなった。
シャーロット先生が、鱗をまじまじと眺めながら言った。
「形見の鱗を、よく譲ってくださいましたね」
「それほど、竜のことを考えてくださったのでしょう」
「それだけではないと思います」
私はいつの間にか、そう口にしていた。
「キルシュに対してここまで誠実に治療を行ってきたフィルナ様だからこそ、ジン殿も心を開いたのでしょう」
「あ、ありがとうございます」
フィルナ様の顔に驚きと喜びの笑顔が広がった。
その表情を見て、はっとする。
シャーロット先生とシーラ殿が生温かい目でこちらを見ていることに気づき、かあっと頬が熱くなった。
「な、何ですか。何か言いたいことでも?」
「いいえ? べつにぃ?」
シーラ殿がにまりと目を細めて笑う。
フィルナ様はくすりと笑い、蓋を丁寧に閉めた。
「この鱗は大切に使わせていただきましょう。早速、調合室で作業を始めます。シャーロット先生も手伝ってもらえますか?」
「もちろんです!」
「あの、フィルナ様。私にも手伝えることはありますか?」
そう訊ねると、フィルナ様は「ありますよ」と嬉しそうにうなずいた。
「薬を投与したあと、いつものように翼を動かしてあげようと思います。お願いできますか?」
「もちろんです」
「ありがとうございます。では、調合してきますね」
彼女たちは、竜舎にある調合室へと向かった。
フィルナ様の迷いない後ろ姿を見ていると、本当にキルシュが目覚めるかもしれないと、胸の奥がじわじわと熱くなる。
ようやく、希望が見えてきた。
(今なら教会からの安楽死の提案を、自信を持って拒める!)
私の足は自然とキルシュのいる治療室に向かっていた。
今日のキルシュはまぶたを開いていた。
その赤い瞳を見つめながら、頭をなでる。
「すごいぞ、キルシュ。いろんな人が、お前の治療に協力してくれているよ」
「喜んでいるところ悪いけれど」
治療室に悪意を含んだ声が響いた。
扉の前にティムが立っている。その隣には、新しく幹部になったばかりのラウラも立っていた。
彼は私を見て、かすかに口角を上げた。嫌な笑い方だった。
「きみにお客様だよ、フロリアン」
「私にお客様……?」
「そう。きみの悩みを解決してくれる救世主さ。感謝するんだね」
来客があるとは聞いていない。わざわざティムが私を呼びに来るなんて珍しいことだった。
(嫌な予感がする)
私は胸騒ぎを覚えながら、ティムとラウラにつづいて会議室に向かった。
部屋に入った瞬間、私は驚愕と恐怖にたじろいでしまった。
会議室には調査団の幹部たちの他に、顔中に深い皺を刻んだ七十代くらいの男性がいた。
彼はイーリス教会の枢機卿の衣服をまとっていた。
次回更新は3/17です。




