花芽ぐむキルシュヴァッサー17
ジンさんが大切なメルキオールの鱗を差し出したところで、直接の利点はない。
本来なら、初対面の私のお願いなど聞く義理なんてないだろう。
「ジン。頼みます」
ラインさんも同じようにお願いしてくれた。
その時、壁際に立っている看守が「一分前です」と告げた。
ジンさんはわずかに視線を下げたまま、沈黙を保っていた。
(やっぱり、うなずいてはくれないか……)
だからといって、ジンさんは何も悪くない。
大切な相棒の形見の鱗を薬に使うと言われて、いい気はしなかっただろう。
ラインさんはちらりと看守の方を見てから、「ジン」と呼びかけた。
「オリアス様が大切にしていた花のそばに、珍しい花が咲いていたそうです。何の種類か知っていますか?」
「え?」と声を上げそうになって、慌てて飲みこむ。
聞きたいことがあるとは言っていたけれど、どういう意味だろう。
(そうか、看守に聞かれたくないから隠語を使っているんだ……!)
ジンさんはラインさんを見た。言っている意味はわからないのに、なぜか緊張してしまう。
「さあな、興味がない。好きに処分しろ。種は教会に預けている」
ジンさんが言い終わると同時に、看守が「時間です」と面会終了を告げた。
◇◇◇
「だめでしたね」
監獄の外に出て、周囲に人がいないことを確認してから、私は口を開いた。
ラインさんも難しい顔をして、ため息をついた。
「まあ、メルキオールが生きていた唯一の証ですからね。手放したくはなかったのでしょう」
その声には、相棒を失った彼への同情が含まれていた。
とはいえ、キルシュヴァッサーの治療を諦めるわけにはいかない。
「他の竜医師に、ハイブリッド種の鱗を保管していないか聞いてみます」
「フィルナ様、お待ちください」
その声に振り返ると、そこにはジンさんの牢屋まで案内してくれた看守が立っていた。
彼は私に近づくと、手に持っていた小さな木箱を差し出した。
「ジン・グレンカイトから預かってきました。あなたにこの木箱を渡してほしいと」
「ジンさんから?」
私はその木箱を受け取った。竜の姿が刻まれた、見事な細工の箱だった。
そっと蓋を開けると、中には薄い緑色をした鱗がたくさん入っていた。光の加減で、その鱗は薄い赤色にも変化する。
風と火の力を宿す美しい鱗を見て、思わず「わあ……!」と感嘆の声が漏れた。身体の奥から高揚感が湧き上がってくる。
「これは……メルキオールの鱗!」
「ジン……!」
ラインさんも驚いたように声を上げて、嬉しそうに左目を細めた。
看守は表情を変えないまま、淡々と言った。
「自分が持っている鱗はそれで全部だと言っていました」
「え……大切なメルキオールの鱗を、すべて譲ってくださったのですか?」
「はい。今を生きている竜に使ってあげてほしいと、そう言っていました」
「今を生きている竜に……」
メルキオールの鱗は、どれもつやつやと美しく光を反射していた。
毎日丁寧に手入れをしている証拠だった。
本当は、この一枚一枚が愛おしくて仕方がないはず……。それでも彼は、その形見の鱗をキルシュヴァッサーや他の竜のために役立ててほしいと願った。
彼の想いを無下にはできない。
手の中の木箱が、ずしりと重くなった気がした。
「それでは、俺はこれで――」
「待ってください! 鱗を譲ってくださってありがとうございますと……一枚も無駄にはしないと、そうお伝えください!」
「わかりました。必ずお伝えします」
看守はこちらに敬礼してから、監獄の中へと去っていった。
私は門を閉ざした監獄に向かって、静かに一礼した。
「ありがとうございます。ジンさん」
届かないとわかっていても、感謝せずにはいられなかった。
ラインさんも同じように一礼してから、どこか懐かしむように小さく笑った。
「いつだって誰かのために戦ってきた男です。あの人らしいというか……」
ラインさんの横顔を見ていると、憎しみ以上に、ジンさんへの厚い信頼のようなものを感じた。
監獄を後にした私たちは、客人用の竜舎へ向かっていた。
その道中、私は気になっていたことをラインさんに訊ねた。
「ラインさん。最後の会話は隠語ですよね」
「やはり、奥様にはわかりましたか。ええ、その通りです。看守の前でしたからね」
「聞きたいことがあると言っていましたが、答えていただけましたか?」
「はっきりとは答えてくれませんでしたが、少しだけ。俺はジンに、『ヘリアス様の父君、オリアス様に愛人はいたのか?』と質問しました」
「愛人……!?」
「オリアス様はジンのことを最も信頼していましたからね。彼なら知っていてもおかしくはないと思いました」
なぜ今になって、愛人の有無を質問したのだろう。そう疑問に思いながらも、私は質問の答えが気になっていた。
「たしか、ジンさんは『好きに処分しろ。種は教会に預けている』と言っていましたね」
「その通りです」
ラインさんはうなずき、少し眉を寄せてその意味を説明してくれた。
「つまり、こういうことです。愛人は存在した。そして、教会に預けた種というのは、恐らく愛人との間に生まれた子供でしょう」
次回更新は3/14です。




