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【2巻3/1発売】竜医師フィルナは第二の人生で幸せになります~さようなら、騎士団長様~  作者: 屋根上花火
竜聖医編

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花芽ぐむキルシュヴァッサー16


「奥様。準備ができました」


 扉越しにラインさんの声が聞こえた。

 気を遣ってくれているのか、彼は寝室には入ってこない。


「わかりました。すぐに向かいます」


 返事が聞こえて、ラインさんの気配が遠ざかっていく。

 私はもう一度、眠りつづけるヘリアス様を見つめた。

 少し迷ったけれど、身を乗り出して額に口付けを落とす。


「……唇にするのは、目覚めてからにしますね。行ってきます」


 最後に頬をなでてから、そっと身体を離した。

 その後、私はラインさんと合流し、ジンさんが収容されている監獄へと向かった。


 面会申請の際、フロリアンさんが「竜の治療のため」とあらかじめ説明してくれていたおかげで、面倒な手続きなどは一切なかった。

 看守の後ろをついて歩きながら、ラインさんが小声で言った。


「こういう時、調査団の権限は役に立ちますね」

「本当にそう思います。本来なら、面倒な手続きがあるようですから」


 看守が立ち止まり、扉を開いた。扉の向こうには牢屋があった。

 鉄格子の向こうに、椅子に座ったまま拘束されている男性の姿が見えた。

 深くうなだれ、伸びた黒髪が顔を覆い隠している。


 看守も、監視のために部屋の中に入ってきた。


「どうぞ。会話は五分です」


 そう言って、壁際に立った。

 私は呼吸を整えてから、口を開いた。


「ジンさん?」


 静かに呼びかけ、鉄格子に近づく。

 ジンさんの頭がぴくりと動いた。緩慢な動きで顔を上げる。

 輪郭を無精髭に覆われた、精悍な顔立ちが露わになった。

 年齢は三十代くらい。

 その風貌から、飢えた獣のような雰囲気があるけれど、オレンジ色の瞳は寂しげに揺れていた。

 眉間には、斜めに走る大きな傷痕があった。


 ジンさんはしばらく私を見つめてから、

 

「……何も話すことはありません」


 と、疲れたように言った。

 ラインさんがふっと笑った。


「ひどい姿だ。あんなに男前だったのに。ま、俺ほどではありませんがね」


 ジンさんがじろりとラインさんを見やる。


「少しくらい話を聞いてくださいよ。竜の命がかかっているんです。メルキオールと同じくハイブリッド種の竜です」


 かつての相棒の名を聞いて、ジンさんの眉がぴくりと動いた。

 メルキオールは火と風のハイブリッド種だ。


 ジンさんを含めた三賢者が騎乗していた竜――メルキオール、バルタザール、カスパールは、すべてハイブリッド種の三兄弟であり、五年前に亡くなっている。


 ジンさんはため息をついてから、口を開いた。


「お前、よくここに来られたな。お前の婚約者……ヴィクトリアを殺したのは俺だぞ」


 その事実に、私は息を飲んだ。

 つまり、ラインさんにとってジンさんは婚約者の仇ということになる。

 

 ちらりとラインさんを見る。

 彼は口元に笑みを浮かべながら言った。


「それを言うなら、俺たちは三賢者のふたりを……あなたの大切な弟たちを殺しましたよ。それにヴィクトリアは、あなたほどの竜騎士と本気で戦えて本望だったでしょう。最期はいい笑顔をしていましたよ。本当に、あなたに嫉妬してしまうほどにね」


 ラインさんは、今まで見たこともないような冷たい微笑を浮かべていた。

 婚約者を殺された憎しみもあるのかもしれないけれど、それ以上の感情――本人が言うように、嫉妬のようなものを感じた。

 

「ジン。俺を本気で怒らせて帰らせたいのなら、『ヴィクトリアは俺の女にした』くらい言ってくださいよ。あなたにできるならね」


 ジンさんは黙りこんだ。

 その沈黙で、この竜騎士のことが少しわかった気がした。

 討ち取った相手への敬意を忘れていない。だから、尊厳を穢すような真似はできないのだと思う。


 私は重苦しい空気を変えるように、口を開いた。


「ジンさん。私は、フィルナ・アルトリーゼと申します。ヘリアス様の妻です」

「……あなたが」


 彼は驚いたように、短く声を漏らした。


「今日はあなたにお願いがあって参りました」


 そこで私は、キルシュヴァッサーの状態を簡潔に説明した。

 彼は言葉を挟むこともなく、静かに話を聞いていた。


「……そのため、同じハイブリッド種の鱗が必要なのです。ですから、もしメルキオールの鱗が残っているのなら、少しだけ分けていただきたいのです」


 ジンさんは視線を落としたまま、無言を貫いている。

 長い沈黙が、私を責めているようにも感じた。


「ひどいことを言っていると思います。いくら治療のためだからといって、大切な相棒の鱗を渡したくありませんよね。それでも私は……キルシュヴァッサーを目覚めさせてあげたいのです。もし、少しでも分けていただけるのなら、減刑になるようかけ合って――」

「必要ありません。これは俺が望んだことですから」


 ジンさんはきっぱりと、私の申し出を跳ね除けた。

 彼はどうやら、このまま死刑になることを望んでいるみたいだ。


「なぜ……?」


 思わずそう問いかけると、ジンさんは鋭く私を射抜いた。


「それはこちらのセリフです。なぜ、あなたの竜でもないのにそこまでしようとするのですか? 実績のためですか?」

「いいえ」


 私はすかさず否定した。私の気持ちを誤解されたくなかったから。

 

「私は、キルシュヴァッサーが家族と一緒に空を飛ぶ姿が見たいのです。そして、この治療法が有効であると証明されたら、この世界に存在する植物状態の竜とその家族に、『諦めなくていい』と伝えたい」


 ジンさんは私の目を見つめたまま、静かに耳を傾けている。

 間違いなく話は聞いてもらえている。そのことに内心安堵しながら、私はもう一度同じ言葉を告げた。

 

「難しいことをお願いしているのは重々承知しております。ですが、どうしてもキルシュヴァッサーを助けたいのです。メルキオールの鱗を、少しだけ譲ってはいただけませんか?」


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