花芽ぐむキルシュヴァッサー9
食後の紅茶を飲むと、胃のあたりからじんわりと温かさが広がった。
食事を抜くのはよくないな、と何度目かの反省をする。
竜聖医がこんな無茶をしていれば、ここにいる竜医師や補助竜医師たちに余計なプレッシャーをかけてしまうかもしれない。
今さらかもしれないけれど、振る舞いには気をつけないと。
そんなことを考えながらも、視線は自然とキルシュヴァッサーへ向かってしまう。
「キルシュヴァッサーにも、液状ではなくて、好きなものを食べてもらいたいですね」
「……そうですね」
シャーロット先生は小さくうなずき、澄んだ桃色の目で私を見つめた。
「フィルナ様は、最近ずっと徹夜つづきなんですよね」
「か、仮眠はとっていますよ! 証人はいませんが、嘘ではありません!」
「どうしてそんなにあせっているんですか? まずい話題なんですか、これ」
「はい! ヘリアス様に知られたら叱られます! 何か聞かれたら、フィルナはちゃんと仮眠をとっていたとお伝えください」
「わ、わかりました。でも、叱られる前に寝てくださいね。倒れちゃいますよ」
「うっ! すみません……」
返す言葉もない。私は恥ずかしさを隠すように紅茶を飲んだ。
しばらく沈黙が流れて、シャーロット先生が遠慮がちに話を切り出した。
「フィルナ様は、どうしてそこまでするんですか? 竜を助けたい気持ちはわかりますが、毎日徹夜をして、食事を忘れるほどキルシュヴァッサーの治療をするなんて……」
「そうですね……。私には竜しかいませんでしたし、彼らに何度も救われてきました。だからこそ、竜に恩返しがしたい」
私は自分の内側と向き合うために、目を閉じた。
竜がいなければ、私の心はとっくに壊れていたと思う。
人に寄り添い、愛を返してくれる優しい竜たちを、今度は私が救いたい。
「私は自分が死ぬその瞬間まで、竜医師でありつづけたいのです。一頭でも多く竜を救い、その子を待つ家族の心だって救いたい」
まぶたを開くと、シャーロット先生と目が合った。
彼女は真剣な表情をして、静かに私の言葉に耳を傾けている。
「色々言いましたが、私はこの仕事が大好きなんです。人と竜の絆を間近で見られる、この仕事が。だからこそ、キルシュヴァッサーを救いたい。彼女が再び、フロリアンさんと一緒に空を飛ぶところを見てみたいのです」
フロリアンさんは、キルシュヴァッサーの前では笑顔を見せてくれたけれど、その横顔には「二度と目覚めないかもしれない」という恐怖と絶望がにじんでいた。
私が「きっと目覚める準備をしていますよ」と声をかけても、彼の表情は晴れなかった。
なんとしても、キルシュヴァッサーを目覚めさせてあげたい。そこまで考えて、ふと我に返る。
(かっこつけすぎたかな?)
少し不安になっていると、シャーロット先生が静かにうなずいて言った。
「今の言葉で、フィルナ様がキルシュヴァッサーと真剣に向き合っているのがよくわかりました。私はキルシュヴァッサーを治したいとは思っても、そのあとの姿までは考えたこともなかった。彼女の目覚めを待つ家族の気持ちだって、真剣に考えていなかったのかもしれない。私、自分のことばかり考えて、フィルナ様に嫉妬して、最低なことを……」
シャーロット先生は胸元のブローチに手を伸ばし、そっと指先で触れた。
土属性の竜の鱗をなでる仕草を見て、脳裏に稲妻のようなひらめきが走った。
「シャーロット先生! それです!」
「は、え? どれです?」
「手伝ってくれませんか?」
「は、はい。私でよろしければ」
私は困惑するシャーロット先生に新しい治療法を説明してから、雷の石を手に持ち、キルシュヴァッサーの下半身のそばに立った。
シャーロット先生はキルシュヴァッサーの背中をなでながら、不安そうにこちらを見た。
「あの……身体をなでることが、治療になるのでしょうか?」
「もちろんです」
私は大きくうなずいた。シャーロット先生の不安を取り除くという意味もあったけれど、そう断言できるだけの根拠もあった。
「昨夜、フロリアンさんも同じようにキルシュヴァッサーに触れていました。淡々と鉱石で刺激を与えつづけるより、彼女の環境を日常生活に近づけてあげた方が、より脳に刺激を与えられると思うのです」
「日常生活に近づける?」
「はい。本来のキルシュヴァッサーの生活です。フロリアンさんになでられて、声をかけられる。それはきっと、キルシュヴァッサーの日常の一部だったはずです。空を飛ぶ感覚を思い出してもらうために、翼を動かしてあげるのもいいかもしれません」
「日常生活の再現をして、脳を刺激する。たしかに、ずっと床に寝転がった姿勢のままでは、何の刺激も受けませんよね」
「その通りです。私が鉱石で刺激を与えるので、シャーロット先生はキルシュヴァッサーの身体をなでながら、フロリアンさんのように優しく語りかけてみてください」
「……触れて、優しく語りかける」
シャーロット先生は意外そうに目を丸くする。
「どうかしましたか?」
「あ、いえ! そんな風にしてあげたこともなかったなって、思っただけです。では、フロリアン上級調査官のようにやってみます」
上級調査官がフロリアンさんの役職だと、今初めて知った。
シャーロット先生は「よし!」と小さくうなずいてから、キルシュヴァッサーの身体に触れた。
「キルシュヴァッサー……あ、えっと、キルシュ。聞こえますか?」
シャーロット先生は「これでいいんでしょうか?」と、再び不安そうにこちらを見た。
「はい! そんな感じで、たくさん褒めてあげてくださいね」
「褒める、ですか」
彼女は少しの間黙考し、ゆっくりと口を開いた。
「すごいです、キルシュ。とっても綺麗な桃色で、瑞々しい果物みたいです。なのに、クルミみたいな香ばしいにおいがして、私は最高だと思います。竜界一のクルミです」
褒め言葉が独特で可愛くて、吹き出しそうになるのを必死にこらえる。彼女は間違いなく真剣だったから。
少しぎこちなさはあったけれど、シャーロット先生は声をかけながら、キルシュヴァッサーをなでていた。
私はその光景を微笑ましく思いながら、雷の石を軽く突く。
しばらくの間、室内にはシャーロット先生の優しい声と、石を突く硬い音だけが響いていた。
すると突然、シャーロット先生が声を上げた。
「た、た、大変! 見てください、フィルナ様!」
「どうしたんですか!?」
「あ、あれを」
シャーロット先生が慌ててキルシュヴァッサーの頭を指さした。
そちらに視線を向けて、私は目を見開いた。
キルシュヴァッサーがまぶたを開き、綺麗な赤い目でこちらを見ていた。
「す、すごい! こんなこと一度も……っ!」
シャーロット先生の声は、興奮でうわずっていた。
「わた、私っ、ウルリッヒ団長とフロリアン上級調査官を呼んできます!」
そう言って、シャーロット先生は慌てて部屋から出ていった。
私は高揚感に包まれながら、ゆっくりとキルシュヴァッサーの頭の方へ近づいた。
赤い瞳には宝石のような遊色が揺らめいていた。
ウルリッヒ様の言葉が脳裏によみがえる。
「コケモモみたいに真っ赤で丸い可愛い目をしているんですよ」
本当にその通りだと思って、思わず頬が緩んだ。
次回更新は2/25です。




