花芽ぐむキルシュヴァッサー6
シャーロット先生は震える声で言った。
「キルシュヴァッサーの治療は私に任せるって、そう言ってくださったじゃないですか!」
「まあ、そうだけどね」
「私がフィルナ様より劣っていると?」
「べつにきみの能力がどうこうって話じゃないよ。でもさ、シャーロット先生も治療法がなくて困っていたでしょ?」
「そ、それはそうですが……でも、納得できません!」
シャーロット先生は胸元のブローチをきゅっとつかみながら、ウルリッヒ様に力強く訴えた。
「どうしてフィルナ様に任せるのですか? 竜医師学校を首席で卒業した私には、誰よりも竜の知識があります。それに、キルシュヴァッサーの状態を一番理解しているのも私です」
シャーロット先生は腹を立てた目で、私をにらんだ。
「ここへ来たばかりの……それも、竜に犠牲を強いたアルトリーゼ家の竜医師に治せるとは思えません! 私にやらせてください!」
「そうです、専属竜医師のシャーロット先生でいいでしょう!」
フロリアンさんも強く賛同した。
ウルリッヒ様は鋭い目で、ふたりを交互に見つめて言った。
「じゃあ聞くけど、きみたちはいつまでキルシュを寝かせておくつもりなの? 我々は竜を扱っているんだよ。『竜に適切な治療を受けさせなかった』と、国と教会に判断されれば、調査団員全員が罰せられる。そうなった時、一番困るのは保護された竜たちだよね?」
ふたりは反論できず、口をつぐんだ。
ウルリッヒ様は小さくため息をつくと、私に向き直って微笑んだ。
「ではフィルナ様。キルシュのことをよろしくお願いします」
「わかりました」
私が承諾すると、視界の端でシャーロット先生が悔しげに唇を噛みしめるのが見えた。
「では、詳しいことはシャーロット先生に聞いてくださいね。私はこれで失礼します」
ウルリッヒ様は一礼し、それからフロリアンさんに視線を向けた。
「フロリアンくんもいいね。これは決定事項だよ」
「……はい」
フロリアンさんは掠れた声で、渋々うなずいた。
ウルリッヒ様とフロリアンさんが去ったあと、広い治療室にはキルシュヴァッサーと私、シャーロット先生だけが残された。
(何だか気まずいな……)
シャーロット先生は私と目を合わせようともしない。
けれど、このまま黙っていては、キルシュヴァッサーの治療を始められない。
私は微笑みながら、シャーロット先生に声をかけた。
「あの、シャーロット先生――」
「話しかけないでください!」
怒鳴られて、私は小さく飛び上がった。
シャーロット先生は上目遣いになって、私をじっとにらみつけた。
「こっちにも色々と準備があるんです!」
「あ、はい。すみません」
「まったく!」
彼女はこちらに背を向けて、すたすたと軽い足音を立てながら、部屋を出ていってしまった。
「キルシュヴァッサーのこと、聞きそびれちゃったな。嫌われちゃったのかも……」
ひとり寂しくつぶやいて、私は後ろを振り返った。
キルシュヴァッサーのかすかな寝息が聞こえてきて、頬が緩んだ。
「今日からよろしくね」
私は眠るキルシュヴァッサーに近づいて、そっと声をかけた。
サクランボにちなんだ名前を持つ、桃色の鱗をした女の子。
「自由に空を飛ぶあなたの姿が見てみたいな」
◇◇◇
施設内にある食堂を利用していいと言われたので、私はシーラと一緒にそこで食事をとっていた。
広くて賑やかな場所だ。
和気あいあいとしていて、誰かが陽気にバイオリンを弾いている。
(私の周りだけ人がいないけれど)
自覚すると、何だか悲しくなってくる。
外部の竜医師で、しかもアルトリーゼ家ということもあってか、私は補助竜医師たちに遠巻きにされていた。
それでも、彼らの話し声は聞こえてくる。
「竜聖医の方がここに来て診察するなんて、初めてじゃないか?」
「イネスの不眠も、あっという間に治しちゃったんだって!」
「へぇ、すごい! だからみんな騒いでたんだ」
「フィルナ様は本当にすごいよ!」
そう力説し始めたのは、イネスが尻尾を噛んでしまった時にそばにいた、あの女性だった。
「興奮して尻尾を噛んでしまったイネスを、竜笛と竜の歌だけで落ち着かせてしまったんだから!」
「え、あのイネスを? 薬も使わずに?」
「かっこいい……!」
小さな歓声が広がり、周りにいた補助竜医師たちが興味津々に集まってきた。
自分の話題だと思うと、照れくさい気持ちになる。
隣にいたシーラが、満面の笑みを浮かべて私を見た。
「ふふふ、すっかり注目の的ですね! 奥様の魅力と優秀さに気づくなんて、ここの補助竜医師たちもなかなか見る目があるじゃないですか。食事も美味しいですし!」
「食事に関しては、さっきまで文句を言ってなかった?」
「いいえ、そんなことはありません! ほら、見てください、このベリージャムの輝きを!」
「ふふ」
シーラは甘酸っぱいベリージャムを絡めたミートボールを頬張って、幸せそうに頬を赤らめた。
アルトリーゼ家が調査団から敵視されていると思って、シーラも気を張っていたけれど、思っていたより好意的な意見を聞いたからか、すっかり上機嫌だ。
「シャーロット様から仕事を奪ったくせに」
背後から冷たい声が聞こえた。心臓を刺すかのような鋭さに、思わず背筋が伸びた。
「本当に性格悪いよね」
「シャーロット様が一生懸命に治療してたのにね。自分なら簡単に治せるだなんて思ってるのかな」
「治せるはずないよ」
シーラが勢いよく振り返ると、ガタリと椅子から立ち上がる音が聞こえて、複数の足音が遠ざかっていった。
「ちょっと、待ちなさい! 言いたいことがあるなら、このシーラが受けて立ちますよ!」
「いいのよ、シーラ」
「でも、奥様に対して悪口を言うなんて許せません! それに、仕事を奪ったんじゃなくて、調査団の団長が奥様に依頼したのに!」
「そうね。私の代わりに怒ってくれてありがとう、シーラ」
「うう……」
シーラは興奮を落ち着けるように、ゆっくりと息を吐いた。
「……奥様のことを悪く言われるのは、とても悔しいです」
「ありがとう、シーラ。でも、彼女たちが私を憎く思うということは、それほどシャーロット先生が信頼されている証拠だわ」
「たしかに、シャーロット先生の代わりに怒っている感じではありましたけど……。だからって、悪口はだめですよ」
「そうね。あなたの言う通りだわ」
私は豆スープを飲む手を止めた。
「補助竜医師たちから信頼される竜医師は、いい竜医師だと私は思う。シャーロット先生はきっと、エアルのことも大切にしてくれているはずよ」
シーラははっとして、それから明るく微笑んだ。
「そうですね。エアルはきっと大丈夫ですよ!」
「うん。ありがとう」
エアルにはまだ会えない。
本当はとても寂しいけれど、今私にできることは、キルシュヴァッサーを目覚めさせること。
私は食事を終えると、すぐにキルシュヴァッサーのもとへ向かった。
「ただいま、キルシュヴァッサー。食堂の食事、とても美味しかったよ」
深く眠りつづけるキルシュヴァッサーに声をかける。
もしかしたら、声が届くかもしれないから。
もちろん、反応はない。でも、こんなことではくじけない。
私はすうっと息を吸いこんでから、気合いを入れるように宣言した。
「さて……始めますか!」




