氷解アイオン9
「本当に、死ぬつもりなんですか?」
問いかける私の声が、ひどく震えていた。
オスカー様は否定も肯定もせず、少し間を置いてから、静かに語り始めた。
「優秀な兄に比べて、私は内気で弱虫で、何もできない子供でした。そんな私に、アイオンだけは寄り添ってくれた」
彼は過去を懐かしむように目を細めた。
「子竜のアイオンを私の部屋に入れて、ベッドで一緒に眠ったこともあります。何度も叱られたけど、私にはアイオンだけが支えでしたから、アイオンの身体が大きくなるまでは、私と同じ部屋で暮らしていたんです。本当の家族のように、一緒に育ちました」
小さなオスカー様と小さなアイオンが一緒のベッドで眠る光景を、私はすぐに想像できた。
私も彼と同じように、子竜のエアルを部屋に入れて、一緒に眠ったことが何度もあったから……。
「次期皇帝をめぐって公爵家と戦うと決まった時、兄は知人の家に妻子を預けに行きました。すると、兄の娘たちが追いすがって言うのです。『今度はいつ会えるの?』『どこにも行かないで』と。その時、生まれて初めて兄の涙を見ました。自他ともに厳しく、感情すら押し殺して戦うようなあの兄が」
オスカー様は小さく息を吐き、哀感を帯びた声でつづけた。
「ああ、この人は死ぬつもりなのだと、そう悟りました。それもそうです。クリスタロスは負けます。我々の味方であった貴族たちはみな、公爵家に寝返った。戦力差は歴然としていて、勝ち目はありません。それでも父上は止まりません。権力に取り憑かれた男ですから」
そう語る彼の表情には、諦念の色が浮かんでいた。
もう誰も、クリスタロス侯爵を止めることはできないのだろう。
「私は兄の涙を見て、怖くなりました。私には守るべき妻子はいないけれど、誰よりも愛したアイオンがいる。帝国では、『竜は戦場で死すべし』という考えが根付いています。戦いになれば、アイオンが死んでしまう。私はアイオンを、戦場に連れて行きたくなどありません! たとえ臆病者だと罵られようとも、あの子だけは……!」
オスカー様の声に熱が入る。
彼がここに来るまで、どれほど悩み苦しんでいたのか、その姿が垣間見えた気がした。
「だから、アイオンが氷結化を発症した時に、これはまたとない好機だと思ったのです。帝国内にいては、アイオンが利用されるかもしれない。それなら、国外にいる信用できる竜医師のもとへ譲渡すればいい」
オスカー様の菫色の瞳が、私を捉えた。
「私は幸運に恵まれた。あなたという、素晴らしい竜医師と出会えたのですから。フィルナ様になら、私の半身を任せられる」
「オスカー様……」
「ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません。ですが、アイオンを助けるにはこれしかなかった。大事な氷竜を他国に譲渡したことで、父上の怒りを買い、処刑されるとわかっていても……」
オスカー様はそう言ってから、隣に並ぶマクシミリアン様に視線を向けた。
「マクシミリアン。お前まで巻きこんでしまって、本当にすまなかった」
「いいえ、私が無理を言ってついて来たのです。このマクシミリアンの命は、オスカー坊ちゃまのためにあります! 死出の旅もお供いたします!」
マクシミリアン様はそう声を張り上げ、涙ぐんだ。
本当に、おふたりは帝国に戻って死ぬつもりなんだ。
その事実に胸が張り裂けそうになる。
「落ち着け。そう勇み立つな」
ヘリアス様は宥めるように言った。
オスカー様たちは困惑したようにヘリアス様を見た。
「オスカー殿。この国で反乱が起きたことは知っているな」
「はい。存じております」
「そこで私は生き残った。多少は戦いというものを心得ているつもりだ」
「多少とはまたご謙遜を……」
「まあ、聞け。つまりは、生き残る術をある程度心得ているということだ。あなたが本気でアイオンとの未来を勝ち取りたいと願うのなら、アストロモロス公爵のもとへ向かえ」
「敵に寝返れと? 臆病者と罵られようとも、私とて竜騎士です」
怒りを見せたオスカー様に、ヘリアス様はふっと笑った。
「あなたの敵とは誰だ。守りたかったものは何だ。従うべき主人を見誤るなよ。それがたとえ、肉親であろうとも」
「……っ!」
オスカー様は気圧されたように後退りした。
実の父親を討ち取ったヘリアス様だからこそ言える言葉だ。
「あなたがアイオンとの未来よりも、誇り高き死を選ぶと言うのなら、アイオンはフィルナのものとなるだろう」
オスカー様の表情に迷いが過った。
今しかない! 私はすぐさま声を上げた。
「アイオンの心に、消えない傷をつけるおつもりですか? あの子にはオスカー様しかいないんです!」
「フィルナ様……」
「アストロモロス公爵のもとへ行く覚悟がおありなら、こうお伝えください。『氷結化の治療法をお教えします』と」
オスカー様とマクシミリアン様が目を見張った。
「公爵も、大事な氷竜を失いたくないはずです。ですから、氷結化の治療法と滋養強壮薬が氷管に与える影響についての報告書を作成します。それをオスカー様の功績として、公爵にお渡しください」
「え!? わ、私の功績に?」
「どうでしょう、ヘリアス様」
ヘリアス様を見上げると、彼はうなずいて言った。
「その功績があればじゅうぶんだろう。私からもアストロモロス公爵には声をかけておこう」
「だめですよ、そんなこと! これ以上、おふたりにご迷惑をおかけするわけには!」
「オスカー様」
そっと声をかけると、彼ははっと息を飲んだ。
「私は竜医師です。助けを求める竜と、その家族を救いたい。申し訳ないと思うのなら、私の願いを叶えてはいただけませんか?」
「それは……あなたのその願いは……私にとって、都合が良すぎる」
オスカー様はうつむきながら、こみ上げる感情を抑えるように強く拳をにぎり締めた。
彼の心を動かすには、あともうひと押し。その役目は私じゃない。
私は後ろを振り返り、竜笛を吹いた。
すると、遠くの方で竜の鳴き声が聞こえて、オスカー様が弾かれたように顔を上げた。
顔を出した太陽を背に、一頭の竜がこちらに駆け寄ってくる。「置いていかないで!」と、必死に叫んでいる。
オスカー様の目に涙があふれる。
「アイオン……っ!」
彼は頬を濡らしながら、駆け出した。
「アイオン!」
「キャア!」
アイオンはオスカー様の胸に飛びこむように、その胸元に頭を思い切り押しつけた。
オスカー様はよろめきながらも膝をついて、アイオンの頭を受け止めた。
「ごめん、ごめんよ、アイオン……!」
「キュウゥ、キュウゥ……」
オスカー様は声を上げて泣きながら、寂しそうに鳴いているアイオンの頭を抱きしめた。
アイオンの頭にぽつぽつと雨が降る。
「……私に、お前との未来を夢見る資格は、あるのかな」
アイオンは視線だけでオスカー様を見上げて、それから広げた翼でオスカー様を優しく包みこんだ。
ずっと一緒にいたいと、そう伝えるように。




