氷解アイオン8
「氷結化が治ってる!?」
オスカー様が叫ぶと、竜房にいるアイオンが「キャア!」と返事をした。
私は微笑みながら、うなずいた。
「もちろん完治はしていませんが、背中にまで広がっていた霜が、今は首の周辺だけになっていると思います」
「本当だ! 穿刺も行っていないのに、一日でここまで変化があるなんて!」
オスカー様は喜びを隠しきれない様子で、鉄格子から手を差し入れ、アイオンの頭をなでている。
アイオンは嬉しそうに目を細めて、喉を鳴らした。
「まさか、滋養強壮薬が原因だったとは思いませんでした。そんなことも知らずに、アイオンに毒を与えていたなんて……」
オスカー様は悔しげに唇を噛んだ。
あの滋養強壮薬には、釣鐘の形をした黒い花――「死の釣鐘」と呼ばれる猛毒のハーブが入っていた。
少量ならば害はなく、むしろ竜の身体を頑丈にしてくれる効果がある。
けれど、オスカー様が持っていた滋養強壮薬に含まれていた死の釣鐘は、許容量を大きく超えていた。
強く頑丈な竜にするために作られた薬は、氷竜にとって毒薬となっていた。
マクシミリアン様は手元の木箱を見て、ぶるりと身体を震わせた。
「フィルナ様が気づいてくださらなければ、私の竜も氷結化を発症していたのかもしれませんね」
「そうですね……。個体差はありますが、継続して摂取していれば、氷管に何かしら影響が出ていたと思います」
氷結化が改善されてきたからか、アイオンの食事量も増えてきた。
このまま体力が戻れば、数日のうちに完治すると思う。
「この毒は体内に蓄積しますが、やがて自然に排出されます。ただ、継続的に摂取した場合は、排出されるまでに数年から数十年かかると言われています」
「そんなにも長い間……」
オスカー様の表情に影が落ちる。
何の疑いもなく、アイオンに薬を与えていたことを悔いているようだった。
私はさらに言葉をつづけた。
「ですので、その毒を吸収し、排出を助ける薬を投与しました。すぐに効果が出てよかったです」
利尿作用があるため、何度も竜房の藁を取り替えることにはなったけれど、氷結化が改善されたことで、その疲労感はすべて吹き飛んだ。
オスカー様は、ほっとしたように微笑んで言った。
「フィルナ様。何とお礼を申し上げたらよろしいのか」
「いえ、そんな! まだ治療途中ですし、それに……」
私はアイオンに視線を戻した。
アイオンは、再び同じ場所を行ったり来たりし始めていた。
常同行動だけはどうしても治らない。
(ストレスの原因がはっきりわかれば、もっと回復が早くなるのに)
それに、このまま常同行動が激しくなると、壁にぶつかって怪我をしてしまう。
アイオンの安全のためにも、早く何とかしてあげないと。
「フィルナ様。今日は、アイオンのいる竜房の中で眠ってもよろしいですか?」
オスカー様からそう提案されて、少し驚いた。
竜と一緒に竜房で眠るという竜騎士の話は、時折耳にする。
安全面を考え、本来は推奨されないけれど、ルクスリア帝国の竜騎士も、この国の竜騎士と同じようなことを考えるんだなと思い、何だか嬉しくなった。
「やはり、アイオンの負担になるでしょうか?」
「いえ、大丈夫ですよ」
「ありがとうございます!」
オスカー様は顔を綻ばせて、動き回るアイオンに呼びかけた。
アイオンはぴたりと動きを止めて、オスカー様に近づく。
「今日は一緒に眠ろうか。その前に、お前の大好きなワーム肉をたくさん食べて、体力をつけよう。これできっと早く治るぞ」
「キャア!」
「はは! 嬉しいな。今日は眠くなるまでたくさん話そう。一緒のベッドで眠っていた、あの頃のように」
オスカー様は鉄格子に額を押しつけて、目を閉じた。
アイオンはその場に座り、オスカー様と鉄格子越しに額を合わせた。
ふたりの深い絆が垣間見えて、微笑ましい気持ちになる。
それと同時に、かすかに胸が苦しくなった。
オスカー様の言葉は、アイオンの病気が治ってきたことを喜んでいるようにも、別れの挨拶をしているようにも見えたから……。
ふと、オスカー様が首から下げている竜笛に目が止まった。
木製の竜笛だ。
(そういえば、滋養強壮薬を受け取った時に落ちた、あの傷のある竜笛は何だったんだろう……)
女神イーリスが刻まれた、傷のある金属製の竜笛。あの竜笛に見覚えがある気がする。
私は城に戻ると、そのまま書庫に向かった。
そこで、イーリス教に関する本を手に取り、あの竜笛についての手がかりを探した。
「あった!」
本の中には、傷のある竜笛と傷のない竜笛、ふたつの挿図が並んでいる。
それが示す意味を知り、思わず深いため息がこぼれた。
「そういうことだったのね……」
間違いなく、これがアイオンの常同行動の原因だろう。
正確な言葉は理解できなくても、オスカー様が何をしようとしているのか、感じ取ったに違いない。
「どうにかして、止めないと」
私は本を戻して、足早に書庫を出た。
向かう場所は、ヘリアス様の執務室だ。
◇◇◇
すべてが静まり返った夜明け前。
客人用の竜舎の扉の前に、ふたり分の人影が見えた。
私は竜舎の壁に身体を寄せて、その様子を隠れながら見ていた。
この竜舎にいるのは、マクシミリアン様の氷竜だけだ。
「もうよろしいのですか? これが最後になりますよ」
最後だと告げるマクシミリアン様の声が、悲しげに響いた。
もうひとつの人影――オスカー様は、ゆっくりとうなずいた。
「ああ。たくさん話した。もう、思い残すことはないよ」
オスカー様の言葉に、ずきりと左胸が痛んだ。
「フィルナ」
不意に名を呼ばれ、隣のヘリアス様へ視線を向ける。
彼は静かに私を見つめていた。
「行こうか」
「はい」
私たちはうなずき合い、彼らに近づいていった。
「どこへ行くつもりだ」
ヘリアス様が声をかけると、おふたりはびくりと身体を震わせ、慌ててこちらを振り返った。
「ヘリアス卿に、フィルナ様まで!?」
オスカー様は「なぜここに」と言いたげに目を見開いた。
私は一歩前に進み出て、オスカー様を真っ直ぐに見つめて言った。
「傷のある竜笛……あれは、自分の竜を他者に譲渡したことを証明する竜笛なのですね」
オスカー様は息を飲み、それから諦めにも似た笑みを浮かべた。
「気づかれてしまいましたか。聡明なあなたの前で、あんなミスをしてしまったばかりに」
「そのミスのおかげで、こうやってオスカー様と話をすることができます。あなたは他国に竜を譲渡するために、イーリス教の枢機卿に仲介を頼んだのですね」
「その通りです」
「新たな竜の所有者には傷のない竜笛を。そして、元所有者には傷のある竜笛が渡される。あなたは最初から、アイオンをここに置いていくつもりだったのですね」
オスカー様はうなずいた。彼の表情に迷いの色はない。
その覚悟があまりにも悲しくて、喉の奥が詰まったように息苦しくなった。
愛した竜を自ら手放すことが、どれほどの苦しみを伴う行為なのか、私は痛いほど知っている。
だからこそ、私は黙っていることができなかった。
「アイオンはきっと、あなたの決意を知ってしまった。だから、常同行動であなたに訴えているのです。『置いていかないで』と……!」
オスカー様の表情に一瞬だけ、氷のようなひびが入った。
けれど次の瞬間には、何事もなかったように平然としていた。
「アイオンの竜房の前に、フィルナ様宛ての手紙と竜笛を置いています。どうか、受け取ってもらえませんか?」
「オスカー様……」
その程度では揺るがないというように、オスカー様の目には強い意志が宿っていた。
言葉だけでは、オスカー様の悲壮な覚悟は崩せないのだろうか。
「オスカー殿」
今まで黙っていたヘリアス様が口を開いた。
「あなたは帝国に戻って、死ぬつもりだな」
その言葉に、心臓がドッと強い鼓動を刻んだ。
オスカー様は、ただ寂しそうに微笑んだ。




