祝福のエレスチャル29
シセラ様はよろよろとおぼつかない足取りで近づいてくる。
頭からこめかみにかけて血の筋ができていて、右腕に発生した結晶は首元にまで届いていた。
「信じていましたわ、お兄様! 私を助けに来てくださったのね! やっぱりお兄様は私を愛して――」
「近づくな」
シセラ様の喉元に剣先が突きつけられ、彼女は「ひっ!」と小さく悲鳴を上げた。
「そ、そんな、どうして……?」
「印章を持ち出し、私をアパテール管理区に留めて、ラドロンを使ってフィルナを殺そうとしたな」
「ち、違います!」
「お前に聞かずとも、調べればわかることだ。ちょうど、お前の使った竜笛が見つかったようだ」
こちらに駆け寄ってきた竜騎士が、白い布で包まれた竜笛を見せた。
シセラ様は取り乱した様子で叫んだ。
「違うの、違うのよ! レキエスにやれって言われたから!」
「そのレキエスについても聞かせてもらう。フィルナを殺そうとしたお前は、もう私の守るべきアウデンティアの民ではない。敵だ」
「て、き……?」
ヘリアス様は冷厳な目で、シセラ様を射抜いた。
シセラ様は怯えたように瞳を揺らし、息切れしたように呼吸を繰り返している。
さらに追い討ちをかけるように、ヘリアス様は言葉をつづけた。
「お前は私の妻を殺害しようとした。セイレニア教と結託し、公爵家への反逆行為を行ったとして拘束する。もう二度と、外の空気は吸えないと思え」
明確に敵と認定されたシセラ様は、その事実を拒絶するように激しく首を左右に振った。
「うそよ、私が犯罪者だなんて……痛っ!」
シセラ様は顔をゆがめて右手を押さえた。彼女の右手の甲は黄色い結晶で覆われていた。
「い、嫌よ! こんなのうそ!」
シセラ様は青ざめ、すがるようにこちらに手を伸ばした。
「ねえ、ごめんなさい! 今までのことは全部謝りますから、私を助けて! 何でも言うことを聞きます! お兄様、フィルナ様、お願いします!」
シセラ様は祈るように両手を組み、涙を流しながら懇願した。
私は彼女を鋭く見据えた。脳裏に浮かぶのは、祈るように前足を合わせて動かすエレスチャルの姿だ。
「エレスチャルだって、そう思ったでしょう」
「え?」
シセラ様はきょとんとした顔をした。
「何度もあなたに『お願い』をしたのではありませんか? 何度も『助けて』と。あなたはそんなエレスチャルを見捨てたのではありませんか?」
シセラ様には何も響かないのか、戸惑うような顔をしていた。
ヘリアス様はその唇に軽蔑したような笑みを浮かべて言った。
「エレスチャルの苦しみを知るいい機会だ。同じ姿になってみて、どんな気分だ?」
「同じ姿?」
シセラ様はもう一度右手を見てから、震えるその手で首に触れた。
その指が首元の結晶に触れた瞬間、彼女はかっと目を見開いた。
「ああ、ああぁぁぁぁ! 汚い! 気持ち悪い! こんなの私じゃない!! 私じゃないのよぉ!!」
シセラ様は自身の姿に絶望し、力が抜けたようにその場に崩れ落ちた。
◇◇◇
静寂に包まれた教会の中で、カツンカツンと靴音が響く。
海の女神セイレニアの像の前で、熱心に祈りを捧げる背中に近づくと、その人がこちらを振り返った。
全身をローブに包んだその方の顔は、私からは見えなかった。
「帰ったのですね、レキエス」
美しい声が私の名を呼ぶ。
私は内心歓喜に震えながら、恭しく一礼して言った。
「ただいま戻りました。奥様」
そう、私が本来仕えるべき相手は、あんな馬鹿なお嬢様ではない。
「レキエス。ヘリアスは殺せましたか?」
「……いえ、殺せませんでした。申し訳ありません」
「そう……。やはりただのラドロンでは、あの男は殺せませんか。やはり化け物ですね」
奥様は残念そうにつぶやいた。ああ、私が力不足なばかりに、奥様を落胆させてしまった。
彼女は今思い出したというように、「エルヴィアは?」と訊ねた。
私が首を横に振ると、奥様は特に興味もなさそうに「そうですか」とつぶやいた。
「あの男には最初から期待していませんでしたから。せめて、大罪人の穢れた娘を連れて帰ってきてくれれば、人質にできたのに」
奥様は両手を組み、再び女神像を見上げた。
「早くあの男と穢れた妻を殺し、アルトリーゼ家を取り戻さなければ。そして今度こそ……私たちの子供が跡継ぎとなるのです。ねえ、オリアス様」
うふふっと楽しげな声が、やがて調律の乱れた楽器のように揺らぎ始めた。
◇◇◇
セイレニア教の侵入と大型ラドロンの襲撃により、竜品評会は二週間延期となっていた。けれど、今日ようやく開会式を迎えることができた。
私はその様子を観覧するために社交館を訪れていた。
館内の廊下を歩いていると、シーラが弾んだ声で言った。
「建物の中にいても、外のざわめきが聞こえてきますね! どんなお店が出ているでしょうか!」
「ふふ、楽しみね」
「気を緩めてはいけないわ、シーラ。まだレキエスは捕まっていないのよ? 私たちが奥様をお守りしなければ」
そうフェリシアに諭され、シーラはしょぼんと肩を落とした。
「そ、そうですよね。というか、フェリシア様は病み上がりなんですから、無理しちゃだめじゃないですか!」
「結晶化は完治しましたから大丈夫です」
「えー?」
私は後ろを歩くふたりに視線を向けた。
「シーラの言う通りですよ、フェリシア。あなたはもう少し休んでいてもいいと思います。まだ背中の傷は治りきっていないのでしょう?」
「お気遣いありがとうございます、奥様。ですが、私はベッドの上で眠っている方が不安になるのです。今この瞬間も、奥様に何かあったらと思うと……」
「その気持ちわかります」
うんうん、とシーラが神妙にうなずく。
ふたりとも、近頃やけに過保護になってきたような気がする。きっと、私が何度も危ない目に遭っているのが原因だ。
(心配をかけないように、襲われたらとっさに麻酔針を刺せるような訓練が必要ね)
襲われる前提なのは悲しいけれど、用心に越したことはない。
脳内で敵の身体にぷすぷす針を刺すイメージを試していると、廊下の先に誰かが立っているのが見えた。
静かに窓の外を眺めているのは、ルイス様だ。
セイレニア教が近くに潜んでいたというのに、無防備にも彼は、ぽつんとひとりで立っていた。




