祝福のエレスチャル24
「考え事ですか、ヘリアス様」
アパテール家の窓越しに沈む夕陽を眺めていると、後ろからラインに声をかけられた。
竜虐待の容疑でシセラを拘束するためにアパテール家を訪れたが、彼女の拘束は部下たちに任せている。
「アパテール管理区までやってきたのに、ラドロンが見つからなかった」
「我々を警戒しているんですかね。ですが、ここに来たのは無駄ではないでしょう。この家にセイレニア教が出入りしているという噂もありますからね」
「主席枢機卿とセイレニア教の人間が、同じ場所に出入りしていたとはな」
「本当なら恐ろしい話ですが」
ラインが隣に並ぶのを感じながら、私は手袋をつけた右手を見つめた。
「手荒れでも気になるんですか?」
「荒れてない」
「ガサガサの指で奥様を傷つけるわけにはいきませんからね。愛用のハンドクリームを渡しておきましょう」
強引に小瓶を押しつけられ、どうするべきかと考えていると、「愛ですねぇ」とラインがしみじみとつぶやいた。
私は、その小瓶を壊してしまわないように優しくにぎった。
「彼女を大事にしたいと思っている。だが、戦うことしか知らない私が、彼女を大事にできているのかと疑問に思うことがある。あの人をまた、傷つけていないかと……」
「そう考えている時点で、奥様を大事にされていると思いますよ。大丈夫ですよ、あなたたちは」
私はラインに向き直って言った。
「ライン」
「はい」
「お前が生きていて、本当によかった」
ラインは面食らった表情をした。
「……何です、今さら」
「今さら、か。お前にとっては五年前のことでも、私にとっては違う」
「ああ、そうでしたね。最近は、あまりにもいつも通りのヘリアス様だったので」
「お前がいなければ、私はきっと正気を失っていただろう」
「そうでしょうか。まあ、でも……あなたを置いてはいけないでしょう」
夕焼けの輝きが、ラインの輪郭を赤く照らしている。感極まったのか、その目の端に光るものが見えた気がした。
気づかなかったふりをして、窓の外へ視線を戻す。
私たちの間に沈黙が流れる。
いい機会だと、私は静かに口を開いた。
「お前は、私に隠れて何かを調べているな」
「え?」
ラインは答えなかった。どう説明するべきか、迷っているのかもしれない。
「べつに構わない。記憶喪失の私に話づらいことなら、フィルナを頼るといい」
「話しづらいことなどありません。俺は古代竜と一緒にいたエマという少女を調べているのです。ただ、不確定な情報が多いので、まだ報告できていないだけです」
「そうか」
ラインは私の不利になるようなことはしない。時がきたら、話してくれるだろう。
「ヘリアス様。それとは別の話ですが、今後のことを考えてひとつ、ご提案があります」
「何だ」
「もしこの先、俺が死ぬようなことがあれば――」
「やめろ」
思わず、ラインの襟を強くつかんでいた。
ラインは動じた様子もなく、その左目は静かに私を見つめている。
髪に隠された右目のことを思い出し、自分自身への怒りで顔がゆがむ。
「お前が死ぬはずない」
「ええ、死ぬつもりはありません。ただ、竜は増えても強い竜騎士はいない。ヒルベルトもヴィクトリアも、レオもいないんですよ」
何を伝えたいのか理解できて、頭が冷えた。襟から手を離す。
「あなたは最強の王の剣ですが、最強がひとりいたところで数には勝てません。奥様を守るためにも、戦力を補充するべきです」
「お前の言いたいことはわかった。それで、その戦力についてある程度目星はついているのか」
「もちろん。怒らずに聞いてくださいね」
「私が怒る相手ではないか」
「まあまあ」
ラインは曖昧に笑う。だが、その目は真剣そのものだ。
彼がその名を口にしようとしたところで、部下の竜騎士が階段を駆け下りてきた。
「ほ、報告します!」
「遅いぞ。シセラの拘束にいつまでかかっている」
「も、申し訳ありません。その、シセラ様の姿が見当たらず……」
「何だと?」
竜騎士はたじろぎながら、それでも報告をつづけた。
「それと、シセラ様はどうやら印章を持ち出して逃げたようです」
その瞬間、こめかみが脈打ち、青筋が立っているのが自分でもわかった。
◇◇◇
「シセラ様が印章を持って、姿を消した?」
「そのようです」
フェリシアが真剣な顔をしてうなずいた。
印章とは、公爵の権限を一部委任した証であり、七将にひとつずつ与えられている。
「現在、ヘリアス様がアパテール管理区内を捜索中だそうです」
「そうですか……」
私は今、七将が管理する土地のひとつ、セプタム管理区の隔離竜舎を訪れていた。
ここには、新たに結晶化を発症した野生の竜がいて、先ほどまで私はその治療を行っていた。
「本当に、シセラ様が考えたことなのかしら」
「というと?」
私は鞄の中を整理する手を止めて、顔を上げた。
「ただの家出なら、わざわざヘリアス様が動くことはないでしょう。ですが、印章を持ち出したとなれば話は別です。ヘリアス様は、それを必ず取り戻さなければならない」
フェリシアは小さくうなずき、静かに私の話に耳を傾けている。
「そうなると、ヘリアス様はしばらくアパテール管理区から動けなくなります。もしかしたら、これが狙いなのかも」
フェリシアは目を見開いた。
私は鞄の中に入れていた、ほとんど使ったことのない竜笛を手に取った。
(考えすぎなら、それでいい)
ただ、アパテール家には、セイレニア教の人間が出入りしているという噂があった。
もし噂が本当なら、大型ラドロンを使役する技術をシセラ様が受け取っている可能性だってある。
ヘリアス様はお強いし、向こうには竜騎士が多くいるから、大型ラドロンの襲撃があっても対処できるだろう。
だけど、もしこちらに現れたなら……。
「フェリシア。急いで城に戻りましょう」
「はい」
フェリシアが少し顔を強張らせながらうなずいた。
私たちは隔離竜舎を出て、近くにいる護衛の竜騎士に向けて指示笛を吹いた。
だけど、竜騎士がやってくる気配がない。
フェリシアが不安そうに周囲を見回した。
「どうしたのでしょう」
「わからないわ。とりあえず、エアルのいる竜舎へ急ぎましょう」
外はすでに日が落ちて、空には星が瞬いている。
街灯がぽつぽつと灯り、周囲の建物や木々を淡く照らしていた。
平坦な道を足早に歩いていると、前方に人影が見えた。
道の脇には、木々の中に隠されるようにして巨大な木箱が置かれていて、異様な存在感を放っている。
人影は行く手を阻むように道の中央に立ち、こちらを見つめたまま微動だにしない。
「……どちらさまでしょう」
不気味に思いながら、そう声をかける。
すると、ぴくりと影が震えて、ゆっくりとこちらに向かって歩き始めた。
街灯のもとに姿を現したのは、シセラ様だった。
髪はひどく乱れ、化粧は崩れ、目は血走っていた。
「ああ、よかった。本当にここにいた。レキエスの言う通り! うふふ」
「シセラ様……」
「どうして、私がこの女に負けたのかしら。どうして私は選ばれないの? どうして……?」
フェリシアが私を庇うように前に出る。
それでも、シセラ様の視線は真っ直ぐに私に注がれていた。
「ねえ、フィルナ。あなたはいつも私とお兄様の邪魔ばかりするのね。それに、あなたのせいで私は笑いものにされたわ。あなたのせいよ。あなたが全部悪いのよ」
シセラ様は激しい憎悪に顔をゆがませ、ゆらゆらと身体を揺らしながら近づいてくる。
「返して……私の幸せを返して! そうよ、あなたをここで殺せば……私が公爵夫人なのよ!!」
シセラ様は竜笛を咥えて、息を吹きこんだ。
その瞬間、嫌な気配を感じて、ぞわりと背筋が震えた。
シセラ様は、涙で腫れた目をうっとりと細めてつぶやいた。
「さようなら、フィルナ。これで、私の勝ちよ!」
次の瞬間、木箱が爆ぜ、砕け散る木片を振り払って巨大な異形の影が躍り出た。
次回更新は12/29です。
【お知らせ】
「竜医師フィルナ」2巻が2026年3月1日に刊行されます。
(TOブックス様から、当作品の書籍版・電子書籍版が発売予定です)
リンクなどについては、活動報告に記載しておりますので、もしご興味がありましたらよろしくお願いします!




