祝福のエレスチャル8【シセラ視点】
「うわ、汚い」
思わずそんな声が出た。
私の前には、竜房の隅で座ってぼんやりしているエレスチャルがいる。
そして、エレスチャルのそばには、ごっそりと抜け落ちた美しい金色の長毛が散らばっていた。
(うそ……背中の一部がはげてる?)
はげたところから、赤くなった肌が見えている。その見た目にゾッと鳥肌が立つ。
金色の毛こそが光竜の美しさのすべてなのに!
「ちょっと、これはどういうこと!? ほんの少し目を離した隙に何があったのですか!!」
「も、申し訳ありません!」
竜調教師の女は怯えたように謝罪して、恐る恐るといった表情で説明した。
「その、気づいたらすでに毛が落ちていて、急いで竜医師に診せましたが、原因はストレスだと……」
「は? ストレス? エレスチャルの管理はあなたに任せているはずですが、つまりあなたの管理が悪かったってことですよね?」
「そ、そんな、私はきちんとお世話をして……」
「お黙りなさい! もう、どうしてくれるのよ! これじゃあ竜品評会に間に合わないじゃない!」
「でも、シセラ様はペナルティで出場停止に――」
カッと頭の奥が熱くなり、私は思い切りその女の頬を叩いた。
バシンッと鋭い音が鳴り響き、エレスチャルがびくりと身体を震わせる。
「私は必ず竜品評会に出るの! お兄様ならわかってくれるわ!」
じゃないと他の令嬢たちに笑いものにされてしまう! そんなの許せない。
「あなた、何とかしなさい。じゃないとどうなるか、わかりますよね?」
「は、はい!」
女は泣き出しそうな顔をして、慌てて竜舎から出ていった。
あんなに怯えちゃって馬鹿みたい。ほんの少しだけ苛立ちが紛れた気がする。
私はこちらに近づいてくるエレスチャルをにらんだ。
「ストレスって何? こんなにたくさんお金をかけてあげたのに、役立たずな竜ですね。餌なんてあげるわけないでしょう」
すると、エレスチャルは後ろ足で立ち上がり、前足を胸の前で合わせて、「お願い」でもするようにパタパタと上下に動かした。
「キュウ、キュウ」といかにも悲しげな鳴き声を上げたりなんかして、こちらの同情を誘おうとしているのかしら。
「はあ……前の竜調教師が教えた芸、まだ覚えているの? そんなことをしたって何もあげないわよ、お馬鹿さん! そんなことよりも、竜品評会で使える芸を覚えなさい!」
目を潤ませて、必死に物乞いみたいな真似をするエレスチャルが滑稽だった。
汚くて馬鹿な竜なんて、もういらない。
「そうだ、エルヴィアの家から新しい光竜を貰えないかしら?」
あそこは元々光竜専門の竜医師の家だし、綺麗な光竜がいるはず。一番いいのは売れちゃってるだろうけど、エレスチャルよりマシな竜なら何でもいい。
「やはりそうか」
ぽつりと低い声が聞こえて、慌てて振り返ると、竜舎の出入口にエルヴィアが立っていた。
顔の左側は大きなガーゼが貼られているけれど、肌は赤黒く染まり、かなり腫れている。
端正な顔が台無しね。
「あら、ちょうどよかったです、エルヴィア。あなたに話があって――」
「シセラ。きみと婚約してからおかしいと思っていたんだ。きみに竜の知識があるとは思えないからね」
「え? 突然何を言っているのですか?」
「きみとの婚約は破棄する」
「は?」
一瞬何を言われたのかわからなくて、ぽかんとしてしまった。
婚約破棄? ええ、そのつもりではあったけれど。でも、向こうから言われるなんて予想外だった。
(これじゃあまるで、私の方が捨てられたみたいじゃない!)
衝撃と屈辱のあまり、何か言おうとしても舌がもつれて言葉にならない。
エルヴィアは私に構うことなく、言葉をつづけた。
「三年前、きみはフィルナ様が開発した治療薬の手柄を横取りしただろう」
「横取りだなんて失礼ですね! 私の助言があったから治療薬は完成したのです! 私は途中まで竜医師の勉強をしていましたし、今では優秀な竜調教師なのですよ?」
「俺はきみが竜を訓練しているところを見たことがない。それに、きみの知識でフィルナ様に助言など無理だろう」
「そんなのわからないじゃないですか!」
すかさず抗議するけれど、彼はもう私の話を聞いてはいなかった。
「溺れていた子竜を助けただけ……あの時、フィルナ様はそう言っていた。危険を顧みず、彼女は子竜を助けたんだな。あの人の言葉を信じてあげればよかった……!」
彼はそう言って悔しげな表情を浮かべた。けれど、次の瞬間には表情を引きしめ、真剣な顔で言った。
「彼女を助けよう」
「は!? 助ける!?」
「きみの嘘のせいで、あの人にひどいことをしてしまった。優秀な竜医師で、心優しい人だとわかっていたのに!」
私の嘘のせいで? 胸の奥に不快な気持ちが湧き上がる。
「心優しいから何だというのですか? フィルナ様はあの罪深いキントバージェ家の娘ですよ?」
「関係ない。俺はフィルナ様が好きだった。三年前のあの時から」
エルヴィアの告白に、思わず顔が引きつった。
「好きだからこそ、嘘をつかれたと思い、裏切られた気持ちになったんだ。だが、彼女は無実だった」
エルヴィアは切なげに目を伏せて、小さく微笑んだ。
「彼女の笑顔はとても純粋で美しかった。ヘリアスに向けていたあの笑顔は、本当は俺に向けられるべきものだったんだ」
彼の言動があまりに衝撃的で唖然としてしまう。
三年前から好きだった? 私が声をかければ嬉しそうにしていたくせに、ふざけないでよ!
私は苛立ちを抑えながら、ふんと鼻で笑った。
「穢れ者と呼んで殴ったくせに。きっとフィルナ様は、あなたのことを嫌っていると思いますけど?」
「誠意をもって謝罪する。それが竜騎士というものだ」
彼は胸を張って言った。その目は異様に熱く、ギラギラと輝いていた。
「ヘリアスはあの通りの暴力的で冷酷な男だ。フィルナ様はきっと、今もつらい思いをされているに違いない」
エルヴィアは沈痛な表情を浮かべた。自分の正義に酔いしれて、もう私の存在すら見えていないみたいだ。
「それに彼女はウタヒメだ。彼女は本来、教会が保護するべき存在だ。憎きヘリアスの手から、フィルナ様を助け出す!」
「それが俺の使命だ」彼はそう宣言すると、こちらを冷たく見やってから去っていった。




