後日談 ロッテとシャルの蜜月 3話
本日三話目の投稿です。ご注意下さい。
初めての訪れる治水事業の事務所は、木造二階建ての年季の入った建物だった。ただ、メンテナンスはしっかりとされているようで、古いながらもぼろぼろというわけでもない。良い意味で味のある建物だ。
「リーズロッテ・スバルです。夫のシアルヴァン・スバルに会いたいのですが。」
入口の守衛にそう伝えると、守衛の男性は慌てたように中に入っていった。暫くの後、リーズロッテの目の前に現れたのはヴィアンヌ様の夫のドルエン様だった。
「リーズロッテさん、どうされました?」
「あの、シアルヴァン様に会えるかしら?お昼を一緒にどうかと思って。」
「お昼?あの方はお昼は食べないんじゃ無いかな?付いて来て下さい。」
リーズロッテはドルエン様の言葉に引っかかった。シアルヴァンがお昼を食べない?リーズロッテが一緒の時は食べていたはずだ。仕事が忙しくて食べられないのだろうか?
ドルエン様に案内された部屋は二階の1番奥に位置していた。ダークブラウンの木扉の前で立ち止まると、ドルエン様は扉をノックした。
「入れ。」
当たり前だか2人きりでいるときのいつもの優しい声では無く、リーズロッテは緊張で表情を強張らせた。
ドルエン様が扉を開けて入室すると、シアルヴァンは机に顔を向けたまま何かの書類を読んでいた。眉間には皺が寄っていて、あまり面白いことが書かれた書類では無さそうだ。
「シアルヴァン様に大事なお客様ですよ。お昼を持ってきてくれて、一緒に食べたいそうです。」
「昼飯はいらん。適当に待たせておけ。」
こちらに目を向けることも無くぶっきらぼうに言い放たれた言葉に、リーズロッテは少なからず傷付いた。せっかく作ってきたのに、リーズロッテの独り善がりだったようだ。じわっと目に涙が貯まるのを感じた。
「リーズロッテさん、やっぱりお昼は要らないようなので俺と食べて待ってましょう。あー!泣かないで!!」
リーズロッテに向き直ったドルエン様はリーズロッテの顔を見て狼狽え始めた。その時、ガタンと大きな音がしてリーズロッテはビクンと肩を震わわせた。目を向けるとシアルヴァンが立ち上がり、椅子が後ろにひっくり返っていた。
「ロッテ!?何でロッテがここにいる??」
「パンを焼いたからお昼を一緒に食べたいと思ったの。」
「パンを焼いた?ロッテが??」
「ごめんなさい。お昼食べないなんて知らなかったの。これはアダムにでもあげるわ。」
リーズロッテが手に持っていたバスケットをさっと隠すと、シアルヴァンは素早くリーズロッテの所まで歩み寄り、剣呑な表情をした。
「アダムに?なぜアダムにあげるんだ?」
普段は聞いたことも無い低く強張った声にリーズロッテは何かまずい事を言ってしまっただろうかと益々不安を煽られた。
「だって、こんなに私一人じゃ食べきれないわ。アダムはいつも沢山食べるから。」
「駄目だ。」
「え?」
「これは私が食べる。アダムには1口もやらない。」
そう言ってシアルヴァンはリーズロッテが持っていたバスケットをひょいと取り上げた。
「あの、シアルヴァン様?無理しなくても結構です。ちゃんとなんとかして食べる人を探しますから。」
リーズロッテはシアルヴァンに無理させるのが申し訳なくて、無理しなくても食事は無駄にしないので大丈夫だと伝えた。アダム以外にも屋敷に沢山食べる人は何人もいる。しかし、シアルヴァンの眉間の皺は益々深くなるばかりだ。
そんなシアルヴァンとリーズロッテを交互に見ていたドルエン様は呆れたような顔をしてため息をついた。
「えーっとさ、痴話げんかだったら俺は自席に戻って良いかな?」
「痴話げんかでは無い。私とロッテは喧嘩などしない。ちょっとした行き違いだ。」
「はぁ、そうですか。では、俺は戻らせて貰います。」
ドルエン様が踵を返したのを見て、リーズロッテは慌ててそれを追いかけようとした。
しかし、それは叶わなかった。シアルヴァンの腕がリーズロッテの背中からお腹を包むように後ろから抱きしめられたのだ。
「シアルヴァン様?」
「・・・違う。」
「・・・。シャル?」
「なんだ?」
「あの、離して下さい。」
「嫌だ。」
「えーっと、逃げませんから。」
ぎゅうっと力のこもっていた腕が少しだけ緩んで、リーズロッテは体の向きをくるりと変えてシアルヴァンを見上げた。てっきり怒っていると思ったら、その顔は蕩けるような笑顔だった。
「お昼を作ってきてくれたのか?」
「はい。今日、厨房に美味しいご飯のお礼をしに行ったら話の流れでパン作りを教えて貰えたんです。せっかく作ったからシャルと食べたくて持ってきたのだけど、お昼を食べないなんて知らなくて・・・」
しょんぼりとするリーズロッテに対し、シアルヴァンは少し困ったような顔をしてソファに座るように促した。リーズロッテが大人しく座ると、シアルヴァンも横に腰を下ろした。
「ロッテは私が昔、毒を盛られて死にかけた事は知ってる?」
「はい。」
「私はあれ以来、心から信頼している人間が作ったものか毒味された物しか口に出来ないんだ。王位継承権が無い今となっては私を殺そうとする者などいないだろうが、それでもあの時の苦しさが蘇って食欲がわかなくなる。」
リーズロッテは驚きで目を見開いた。確かに、シアルヴァンは外食を全くしない。でも、王都のスイーツショップで一緒に食べたときは美味しそうに食べていたはずだ。
リーズロッテの考えに気付いたのか、シアルヴァンは苦笑した。
「外食もロッテが手ずから食べさせてくれるなら食べられるようだ。可愛いロッテになら殺されてもいいな。」
「殺しません!」
「そうだな。正直、昼を食べないと夕方にお腹がすいて仕方が無いんだ。ありがとう。」
にこっといつものように微笑まれて、リーズロッテは恐る恐る、お手製のサンドイッチをシアルヴァンに手渡した。パンの見た目が不格好だからか、シアルヴァンはじっとそれを見つめている。
「見た目は悪いけど、アンナに手伝って貰ったから味は大丈夫な筈よ。愛情は入れたけど毒は入れてないわ。」
それを聞くとシアルヴァンはプッと噴き出した。
「そうか。愛情が入っているんだな。心して食べよう。」
大きな口でがぶりとサンドイッチに齧りついたシアルヴァンをリーズロッテは緊張の面持ちで見守った。シアルヴァンは何も言わずにもぐもぐと咀嚼を続け、ペロリと一つ目を食べ終えた。
「美味しいよ。ロッテも食べるといい。」
サンドイッチは確かに美味しかった。いつもと同じ材料で作っているのだからいつもと同じ味のはずなのに、自分で作ると何故かとても美味しいように感じた。デザート代わりにレーズンパンを渡すと、シアルヴァンは懐かしそうに目を細めてから口に含んだ。
「これ、ラダルウィル子爵領に居たときにおやつによく食べていたな。最近はおやつを食べないから、本当に久しぶりだ。」
「シャルがこれを好きって聞いたから作ってみたの。美味しい?」
「凄く美味しいよ。ロッテが作ったのは全部美味しい。」
リーズロッテは今まで全く料理をしなかったが、初めて作ってみて『お菓子作りが趣味』というご令嬢の気持ちがよくわかった気がした。誰かに『美味しい』と言って貰えることはとても嬉しいことだ。
「また作ってきてもいい?」
「勿論だ。また作ってきてくれ。」
その日以降、治水事業の事務所ではお昼休みの時間になるとシアルヴァンとリーズロッテが仲良く食事するようになった。スバル領主館の厨房では、午前中に四苦八苦しながらお料理を頑張る奥さまの姿が毎日のように見られるようになったという。




