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俺とルールと彼女  作者: 幽々
異能の世界
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蒼き龍 【1】

視界が、段々と開けてきた。 ぼやけた視界に最初に映ったのは、最近では見慣れている天井だ。 確か……ここは、修善(しゅうぜん)さんが暮らしている廃墟の、部屋だったっけ? 俺は、どうしてこんなところに。


目を擦り、ゆっくりと体を起こす。 たったその動作だけで、全身が軋むように悲鳴を上げるように痛い。 俺は、何をしたんだ? 覚えている限り最後の光景は、あの毒雨という男が居て、クレアが居て……あれ? なんだか、記憶がこんがらがっている。 最後に見たのは、クレアの顔、だったか?


「いって……」


駄目だ。 体を起こそうとすれば全身が痛む。 何があったんだ、あれから。 みんなは、無事なのか? 俺が無事ということは、誰かがここまで運んでくれたのか?


「……そうだ」


クレアだ。 あいつの目の前で、子供たちが殺されたんだ。 それで、クレアは頭を抱えて蹲って、それで……俺は、刀を抜いた? そうだ、俺は刀を抜いたんだ。 それで、そのあとは。


俺は寝たままの姿勢で、顔を横に向ける。 壁に立て掛けてあったのは、修善さんが俺に受け渡した刀だった。 禍々しい何かを纏っている刀は俺のことを見ている気がした。 おぞましいほどの悪寒と、殺気が込められている刀が俺を見ている気がして。


あのとき、一体何があった? 俺は一体何をした?


「……へ?」


手を見た。 俺自身の手を見た。 それは真っ赤に染まっていて、まるで血で染まったように赤くて、ぽたりぽたりと、血が垂れている。


「あれ……? な、成瀬(なるせ)くんっ!!」


男らしくもなく悲鳴をあげそうになったそのとき、良く知る声が部屋の入口から聞こえてくる。 俺が多分、一番会いたかった人の声。 その声を聞いて再び手を見ると、そこには何の変哲もない俺の手があった。 さっきのアレは、一体なんだ……?


「起きたの!? 大丈夫!? 成瀬くんっ!」


ベッドの上で顔だけを上げ、声の主を見た。 その人は血相を変え、横たわる俺の体に恥ずかしがることもなく抱き着いてきた。 逆に俺が恥ずかしくなってしまいそうだ。


「うお……っと。 悪い、なんか心配かけたか」


涙目で俺を見る西園寺(さいおんじ)さん。 今回はなんだか、申し訳なさで一杯だな。 記憶がないというのも気味が悪いけど、それ以前にこうして西園寺さんを心配させているのは、間違いなく俺らしいから。


「良かった。 良かったよ、本当に。 わたし、成瀬くんが死んじゃったのかと思って……それでね、悲しくて、怖くて、どうしようかって思って」


「……西園寺さん」


一体何があったのか、まずはそれから聞くことにしよう。




「それで、それでね。 わたしは何もできなくて、成瀬くんのこと……止めようと、思ったのに。 手も、足も、動かなくて」


俺がしたことを全て聞いた。 刀を抜いた瞬間、まるで人が変わったかのように毒雨(どくさめ)に襲いかかったこと。 そのときの俺はとても楽しそうで、毒雨のことを殺すというよりも、痛めつけるのを目的としていたこと。 それは数十分も続けられて、やがてクレアが止めに入ったこと。


全部、俺は聞いた。


「そっか」


それが多分、修善さんが言っていた殺意の増幅というやつなんだ。 死眼の剣(アンイーター)は持ち主の殺意を増幅させる剣、有り余るそれは修善さんですら呪いの刀と言うほどの物。 俺はそれに、飲まれたのだろう。 結果、俺は毒雨を殺した。 この手で、殺したんだ。


……修善さんが落ち着いているときにしか抜くなと言っていた理由も、なんとなく分かった。 けれど、あのとき刀を抜いていなかったら、それも後悔していそうで。 何が、正解だったのだろうか。


思いながら、俺は再度自身の手を見る。 血なんて当然付いていないけど、間違いなく俺は人を殺した。 いくら非道な奴だったとしても、そいつと同じような方法で俺はあいつを殺したんだ。 そして、あろうことかクレアにも刀を向けた。 それでもあいつは臆さずに、俺を止めてくれたらしい。 自分は俺の何倍も大変だろうに、俺がこれ以上暴走しないために。


「……くそ、クソクソクソッ!! なんだよ、ちくしょう!」


こんな感情は、初めてだ。 悔しくて悔しくて堪らない。 自分が情けなくて、自分が嫌いで、自分が怖い。 クレアは俺にお礼を言っていたらしいんだ、こんな俺に。 それがまた、情けなかった。 俺は結局何もできていない。 何も、分かっていない。


「成瀬くん」


西園寺さんは言うと、俺の手を包み込む。 暖かく、綺麗な手で。 それはひょっとしたら、俺の手が冷たすぎた所為なのかもしれない。


「大丈夫、だよ。 ごめんね、成瀬くん」


「……なんで」


「約束、守れなかったから。 助け合おうっていう約束……覚えてるよね? わたし、あのとき全然駄目だったの。 足が動かなくて、何もできなかった。 成瀬くんのこと、助けないと駄目だって思ったのに」


「そんなこと、ないって。 俺は沢山助けられてるよ、西園寺さんに」


それは今も。 今もこうして、助けられている。 手を伸ばされるばかりで、俺は一体いつになったら西園寺さんやクレアに手を差し伸ばすことができるのだろうか。 いつもいつも、こうして慰められて、助けられて、救われて。 ループ世界のときだって、人狼世界のときだって。 俺はいつも、周りの人に助けられてきた。 そして、この世界でも。


「わたしもだよ。 成瀬くんに沢山助けられているよ。 七月のときも、狼さんのときも、もちろん今も」


……俺と、全く同じことを思っているんだな、この人は。 そういや、クレアも同じだって言っていたっけ。 でも今回は……今回に限っては、俺はこうして守られていて良いのだろうか? だってさ、俺はいくら刀の殺意に飲まれたといっても、クレアのことを殺そうとしたんだぞ? それに。


あの刀は、あくまでも殺意を増幅させるだけなんだ。 あのとき、俺が殺意を芽生えさせていたのは事実なんだ。 それがただ大きくなったというだけで、俺はあの毒雨を傷めつけた。 拷問とも言って良い方法で、殺したんだ。 俺が果たしてそこまで考えていたのかは、分からない。 だけど、この手で殺したことには変わりない。


覚悟は決めていた。 後悔はしていない。 だけど、その実感が今になって湧いてくる。


「また怖い顔してる。 成瀬くん、約束だよ? 破っちゃったわたしが言うのもだけど……一人で悩まないで相談しようって、約束覚えてる?」


「……ああ」


「今は大変かもしれないけど、わたしで良かったら何でも相談してください。 えへへ」


西園寺さんはそう言って、笑った。 だけど、どこか無理に作ったようなそんな笑顔だった。 それをさせてしまっているのが俺なのだとしたら、やっぱり俺は彼女に悪いことをしてしまっているんだ。 それくらいは、分かる。


「西園寺さんもだよ」


「え?」


「謝らないって約束、破ってるから。 だからお相子だ」


「……うん。 えへへ、そうだね」


もう少し、俺も頑張らないと駄目みたいだ。 何を頑張れば良いのか、何をすれば良いのか、誰のために、なんのために、何をしたくて、頑張れば良いのか。 全部が全部分かるわけじゃない。 でも、今するべき一つのことくらいは、分かった。 こうして西園寺さんと話をして、俺がまずやるべきことが。


「……つっ。 やっぱまだ痛いな」


「な、成瀬くん? どうしたの? まだ、休んでいた方が良いよ?」


「いや、起きたら真っ先にするべきこと、忘れてたんだ。 無理矢理にでもしないと、気が済まない」


これだけは、体がぶっ壊れてでもしないと駄目だ。 それに、俺はあいつのことが心配なんだ。


「西園寺さん、クレアはどこに居る?」


俺を助けてくれた、もう一人の仲間と話をしなければ、お礼を言わなきゃ、ゆっくり休むことだってできそうにないんだ。




「よっ」


「……きゃ! って、成瀬ですか。 驚かさないでくださいよ……あれ、成瀬? 起きたんですか!?」


修善さんが住んでいる廃墟の屋上、そこにクレアは居た。 中立地帯はもう今となっては危険なので、最近ではこの場所がクレアのお気に入りらしい。


……そう、最近では。 どうやら、俺はあの日から一週間近くも意識を失っていたとのことだ。 感覚的には一日くらいしか経っていないのに、不思議なものだ。


「悪い悪い。 最近、ずっとここに居るって聞いてさ。 てか、幽霊を見たような顔で見るなよ」


「それは、その……失礼しました。 ですが、普通驚きますよ? ずっと寝ていたのに、いきなりそう来られては。 それより、大丈夫なんですか? 動いても」


「わりと平気だよ。 つっても、全身筋肉痛みたいだけどな。 まるで事故ったみたいに」


「そうですか。 事故に遭ったことがあるんですね」


「……昔な。 小さいときに、軽い事故だったけど」


クレアはそれを聞くと、再度「そうですか」と呟き、顔を再び前へと向けた。 見ている先には、真っ赤な夕日が広がっている。 思わず見入ってしまうほどの、綺麗な夕日だ。


「あの、さ」


どう、切り出せば良いのかが分からない。 俺が覚えている限りのことはきっと、夢じゃない。 毒雨によって、クレアが仲良くしていた子供が……死んだことは、夢じゃないんだ。 果たして、それを口に出して良いのかが、分からなかった。 口に出してしまえば、それが本物になってしまいそうで、怖かったのかもしれない。 クレアがどんな反応をするのかが、怖かったんだ。 クレアに思い出させたくないってのも、ある。


「あの日から、寝れないんです」


「……」


俺が何も言えないことを察したのか、クレアはそう言った。 俺の考えを肯定する言葉を口にした。 そうさせてしまった自分がやっぱり、情けないな。


「目を瞑ると、顔が浮かぶんです。 横になると、声が聞こえるんです。 あの日から毎日毎日、頭に焼き付いて離れません」


「……そうか」


「そんな顔をしないでくださいよ。 そういうものなんです、戦いって。 誰も、幸せになんかなりません。 人が死んで、人が泣いて、人が不幸になって、また人が悲しむ。 そういう、ものです」


俺はそのまま、クレアの隣に腰をかける。 そして、クレアの横顔を見て、口を開いた。


「目、赤いな」


「へ?」


「……あ、ごめん。 ちょっと、無神経すぎた」


この、ついつい口に出してしまう癖はやっぱり厄介だな。 そんなこと、言わないで心の中で思っていれば良いだけなのに。 言うつもりなんてなかったのに、余計なことを言ってしまう。


「あ、いや。 ふふ、違いますよ。 私が驚いたのは、そういうことじゃないです。 成瀬も、そういうのに気付くんだなって思っただけです」


「俺が……?」


そういえば、そうだ。 俺はどうして、クレアの目が赤くなっていることに気付いたんだろう? こいつがどこかで泣いている、もしかしたら毎日泣いているのかもしれないけれど。 それにどうして、俺は気付いたんだ? 前までなら、そんなことには気付けなかったはずなのに。


「……それと、目が赤いのは寝ていないからかもです。 私の綺麗な目が台無しですね」


「そうかよ。 そりゃ、勿体ない」


「へへ、ですよね。 ここに居ると、結構落ち着くんですよ。 風は気持ち良いですし、景色は最高です! 今は夕日なんですけど、朝日もとっても綺麗なんですよ? それに、夜も星が沢山見れて、綺麗なんです!」


「だな。 夕日だけしか見てないけど、俺もそう思うよ」


「ですよね! あー、本当に、綺麗です」


クレアは言って、空を見上げる。 そしてまだ薄っすらとしか暗くなっていない空を右手で指さして、俺の方に顔を向けて言った。


「成瀬、一番星を見つけました。 あそこ」


「お、本当だ。 もうそんな時間なんだな」


クレアは、笑っていたんだと思う。 クレア本人からしたら、笑っているつもりだったんだ。 でも、俺にはそれは……泣くのを堪えているようにしか、見えなかった。 必死に堪えて、泣かないようにクレアは笑っている。


「やっぱり、夜って良いですよね。 私は、朝とお昼と夕方と夜なら、夜が一番好きです。 成瀬は、どれが一番好きですか?」


「なぁ、クレア」


「……質問を無視する人は、嫌われますよ。 先に、私の質問に」


クレアの言葉を途中で遮り、俺は言う。 これで少しでもクレアの気持ちが整理できるのなら、是非もない。 俺にできるのは多分、こんなことくらいだ。


「泣きたいときは、泣いても良いんだよ。 誰も、お前のことを責めたりしないから。 そんな顔されちゃったらさ、見て見ぬ振りなんてできないって」


「分からないですよ? 私を責める人だって、居るかもしれません」


「そんな奴、居たら俺がぶっ飛ばしてやる」


真っ直ぐクレアの顔を見て、俺は言う。 するとクレアは小さな声で何かをぼそっと言って、またすぐに口を開く。


「だ、大体何を言っているんですか! 私が泣くわけないじゃないですか? 私を誰だと思っているんですか?」


必死に笑顔を作りながら、クレアは言う。 どこまでも、我慢強い奴だな。 だけどそれは、脆いからこそなのかもしれない。 こいつは自分の弱さを知っているから、それを補うために……強く生きているのかもしれない。


「お前が誰かって、そりゃ強くて、格好良くて、勘が良くて、日本語が得意で、頭も良くて、芯を持った奴」


「ふふ、分かっているじゃないですか」


「そんで。 そんで、馬鹿みたいに優しい俺の親友だ。 誰よりも痛みを知ってる、俺の仲間だよ」


「……そんなこと、ありません。 私は優しくなんか、ないです」


「あるよ。 俺が言ってるんだから、あるんだよ。 言っとくけど、知ってるからな? クレアが泣いてるのも、辛いのも、今も泣きそうになってることだって、知ってる」


「ふ、ふふ。 ずるいですね、卑怯です。 知っててそんなことを言うなんて、最低です」


「……そりゃ、悪かった」


言って、俺はその場を離れようとする。 クレアも自分が泣いているところなんて見られたくないだろうと、そう思って。 しかし、そんな俺の腕をクレアは掴んだ。


「成瀬、少し一緒に居てください。 本当に、少しで良いので」


……やっぱり、人の気持ちってのは難しい。 俺がそうするのが良いと思ってやったことでも、こうして当人は違うことを思っているのだから。 だけど、そう頼まれてしまっては仕方ないか。


俺はそれからクレアが泣き止むまでの少しの間、一緒に隣で座っていた。

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