屍喰らい 【1】
「さて……どうする?」
「……アライブの皆さんは危険な奴ではないと言っていましたけど、見るからに強そうですよね、あれ」
「でも、話したら良い人かもしれないよ?」
俺たちは今、エリアCへと来ている。 芳ケ崎との戦いから一週間、全員の怪我がほぼ癒え、再び活動を開始した俺たち三人の最初の任務は、エリアCの守人との接触だった。 アライブの人らは何度か遠巻きに見たことはあるらしく、その感想が「危険な奴ではない」というもの。 百パーセントの安全は保証できないので任意ではあったが、俺たちが断る理由もない。 そんなこともあり、今日はこうしてエリアCへと来ている。
攻撃を仕掛けてくることもなく、ただ空いていたエリアCに住み着いただけの守人。 そして、調べ上げた情報の中にはこうも記されていた。
「……最強の、能力者ねぇ」
ランク一位、通称屍喰らい。 能力を抜きにしても相当な実力者で、その強さはあの蒼龍ですら、一瞬で無に返すほどだという。 身体能力的には、加速しているときの芳ケ崎とほぼ同等とのことだ。
「とは言っても、能力は不明らしいですね。 それなのに最強と言われるのは少し疑わしいですが。 こういうのには大体尾ひれが付いているものですし」
前方約三百メートル。 その先に、屍喰らいがいる。 和服を着こみ、腰にあるのは真っ黒な日本刀。 まさに侍といった感じの男だ。 そしてそんな男を瓦礫の影に隠れ、双眼鏡で観察している俺たちである。
それにしても、このエリアには異様な数の墓地があるな……。 廃墟があるのは変わらずだが、エリアAよりも更地は多い。 んで、墓地らしき場所もある。 屍喰らいという呼び名と何か関係があるのだろうか?
「……あ!」
そんなことを考えながらその男を観察していたところ、右隣りにいる西園寺さんが唐突に声をあげた。 何事かと思い、慌てて男の周りを見ると、そこに居たのは。
「……猫?」
「……ネコちゃんだね。 えへへ」
「ニャンコですね」
「……ニャンコ?」
「あ、いえ……猫です、猫」
いや別に言い方なんて人それぞれだから、言い直さなくても良いのに。 それより、あの猫……どんどんあいつに近付いているが、大丈夫かよ。
「助けに行きましょう!!」
「馬鹿動くなっ! 行ったらバレるだろ!」
物陰から立ち上がるクレアの頭を押さえ、必死に止める。 気持ちは分かるが、今バレたら洒落にならないだろ。
「で、ですがニャンコが……」
「……まだ分からないだろ。 それにお前なら一瞬であそこまで行けるんだから落ち着け」
「……うう」
どれだけ猫が好きなんだ。 そういや、西園寺さんも猫が好きだったっけ? 全く似ても似つかない二人だが、好きな動物は一緒ってことか。
「……あ、餌あげてるよ、あの人」
「……良い人ですね」
「……良い奴だな」
……じゃない! そうじゃない! これじゃあまるで、俺たちが悪いことをしているみたいじゃないか! これは偵察、これは偵察だ。 あいつがどんな奴なのか、まずはハッキリさせねば。 笑顔で猫を撫でているが、だからといって善人とは限らない。 同じ猫好きでも、西園寺さんが善人でクレアが悪人のようにな。 この理論は譲れないぞ。
「成瀬くん、成瀬くん。 今度はワンちゃんが来たよ」
「……そうだな」
「……ふふ、ワンコ可愛いです。 あ!! でもニャンコが居るんですよ!? マズイですっ!! 喧嘩になりますっ!!」
「お前は良いから座ってろ!! 別に猫と犬が必ず喧嘩するわけじゃないから! 仲が良い場合もあるだろ!?」
放って置いたら、こいつはすぐに飛び出しそうだな……。 下手をしたらあの猫や犬より扱いが大変だ。 クレアの世話をしている神田さんは、さぞ苦労していることだろう。 確かクレアには義理の妹が居たが、こいつと同じような性格ならば、その苦労は計り知れない。
「……餌をあげてるね」
「……良い人ですね」
「……良い奴だな」
いやだから、そうじゃない。 俺たちは今日、猫や犬に餌をあげてる姿を観察しに来たわけじゃない。 あいつの能力とか、そういう戦う上での重要な情報を調べるために来ていて……。
「後ろからごめんね。 君たち、俺に何か用事だったかな?」
どうしたものかと頭を悩ませているとき、後ろから声がした。 振り向くと、そこに居たのは先ほどまで俺たちが監視していた男……屍喰らい?
……は? おい、待てよ。 だって、あいつは今の今まであそこにいて、俺たちも一応、目は逸らさずに見ていたのに。
急いで男が先ほどまで居た場所を見る。 しかし、そこに男は居ない。 居るのは猫と犬だけで、肝心の男は、俺たちのすぐ後ろに居たのだ。
「……ッ!」
真っ先に行動を起こしたのは、クレア。 咄嗟の事態に置ける反応速度はずば抜けている。 クレアは距離を取らずに、俺と西園寺さんを庇うように立ち塞がる。 そしてすぐさま背負った刀を抜き、構えた。
「そんな警戒しないでくれ。 俺は別に、君たちに危害を加えたりしないよ」
……言葉通り、この男から殺気は露ほども感じられない。 芳ケ崎と対峙したときのような圧迫感も、敵意も、微塵も感じられなかった。
「……信じられませんね。 あなたのことは最強の能力者だと聞いています。 それほどの人なら、私たちを殺すのも造作はなさそうですが」
「うん、確かに。 俺の能力を使えば、一秒もあれば君たちを殺すことができる。 もう条件も満たしたしね。 けど、それなら少しくらい話をしても良いんじゃないかな。 こういう言い方は脅しみたいで嫌いだけど、逃げても結果は同じだから」
どうやら、ハッタリではなさそうだ。 つまり、俺たちが取れる選択肢は一つのみ。 この男の言うことに従うしかなさそう……か。
「ならば、一秒に満たない程度で殺せば良いんですね」
「はは、すごい殺気だ。 君は強いね、昔を思い出すよ」
クレアは今にも飛びかかろうと足に力を込める。 対する男は余裕の表情だ。 間違いない、この男は確実に強い。 クレアのこの雰囲気や殺気を受け、余裕に満ちている態度がそれを表している。
「喧嘩はだめっ! クレアちゃん、大丈夫だよ。 この人は本当に悪い人じゃないから」
「……しかし」
「クレア、俺からも頼む。 話を聞くだけだ」
戦闘になっても負ける。 そう、告げられているような空気だ。 ここはクレアに引いてもらうしかない。 他に道があるならば、今はそっちを選ぶべき。
「……ふう。 分かりました分かりました。 殺されても、私は責任取らないですよ」
俺と西園寺さんの言葉に、ようやくクレアは刀から手を離し、放っていた殺気と刀を収める。 それを見た男は笑い、くるりと向きを変えて俺たちに向けて言う。
「決まりだね、それじゃあ行こう。 俺の家へ案内する」
それだけを言い、男は歩き出した。 俺たち三人も互いに顔を見合わせたあと、その男の後ろを付いて行く。
ここからエリア外までは、五十メートルほどはある。 クレアならば脱出は可能だろうが、俺と西園寺さんに関しては別だ。 それに、この男の能力も不明ときている。 下手な行動はせずに、今は従うしかない。
「あ、それとさ。 今日は空がとても綺麗だ。 君もそう思うだろ?」
笑顔は眩しいほどに輝いていたけれど、あいにく今日は曇り空だ。
「うーん、とにかくそんな警戒しないでくれよ。 くつろいで良いからさ」
あれから、俺たちは男が住んでいるという家へ案内された。 家……とは言ったものの、窓はなく吹きさらしとなっており、壁にはところどころ大穴が空いていて、電気も水道もまともに通っていない、ただの廃墟と言っても良いほどの家だ。 中には簡単なテーブルと、恐らくは拾ってきたソファーなどが無造作に置かれている。
ひと言で表すなら、生活感があまり感じられない。 そんな家だ。 むしろ廃墟だ。
「あの、お名前は……なんて呼べば良いですか?」
俺もクレアも警戒しっぱなしの中、気楽に声をかけたのは西園寺さん。 怖いもの知らずというか、なんというか……。 こういうとき、西園寺さんの存在は有り難くもあるけど、怖くもあるな。 西園寺さん的には大丈夫な人に見えているのかもしれないが、俺とクレアにとっては別なんだよ。 下手したら、殺されるかもしれないのに。
「ん? ああ、俺は修善。 上の方は分からないから、修善でいいよ。 まぁもう一個の屍喰らいでも構わないけど」
「……その、すいません。 その名前は、このエリアに墓地が沢山あるから?」
その通り名を聞き、俺は尋ねる。 なんとなく気になって、聞かずにはいられない。 興味があったと言っても良い。
「あはは、君は面白い。 明確に見抜いているね、素晴らしいことだ」
修善さんは笑い、続ける。 屍喰らいと呼ばれる理由を。
「俺の仕事だったんだ。 いや、正確に言えば違うかな? けどま、そうしないと気が済まなかったというのが一番近いだろう。 俺は昔、人の死体をこのエリアCへと持ってきていたんだ。 埋葬もされず、放置されている死体を」
「ってことは、その死体を埋めていたのか? だから、このエリアにはあんなに墓地が?」
「そう。 俺が死体を持って歩く姿を見た誰かが噂したんだろう。 あいつは人の死体を喰らうって。 ひっどい話だよね。 はは」
……なんだ? 本当に、この人は最強の能力者なのか? 俺にはとてもじゃないが、そうは見えないぞ。 雰囲気も穏やかで、人を殺す奴にも見えない。 俺が予想していたイメージとは、大幅に異なっている。
芳ケ崎や蒼龍のイメージが強すぎて、能力者という存在を誤解しているだけか?
「なぁ、修善……さんは、俺たちのことを殺さないのか? 敵だろ? 俺らは」
「あはは、俺にとってはどうでも良いんだよ。 君たちは異世界から来たんだろう? 大体の噂は耳にしているよ。 俺も行ってみたいな、異世界とやらは」
噂? 耳にしていると言っても、一体どこから。 このエリアに居るのは、この人だけのはずだ。 他の誰も警戒して足を踏み入れないというのに……一体誰が。
「そんな難しい顔をしなくていい。 簡単な話さ、この子たちだよ。 いろいろな話を聞かせてくれるんだ」
言って、修善さんが指さしたのは先ほどの猫と犬。 西園寺さん風に言うのならネコちゃんとワンちゃん。 クレア風に言うならばニャンコとワンコだ。 クレアのが一番子供っぽい。
いやいやいやいや、そんな益体もないことを考えている場合じゃねえ。 いろいろな話を聞かせてくれるって……動物の言葉が分かるって言いたいのか?
「長いこと、人とは話していなかったからね。 動物とくらいしか話す機会がなかったんだ。 だから今日、君たちとこうして話せたのはとても嬉しい」
……やはり、悪い人には見えない。 普通に話し合いで、この人が守人を務めているエリアCも、話せば譲ってくれるんじゃないか? なんて考えに行き着いてしまうほど、修善さんがまとっているのは柔らかい空気だ。
「そうですか。 ならば単刀直入に言います。 このエリアを明け渡してください」
その俺の考えを口にしたのは、クレア。 はっきりと物を言う辺りは頼りになるな。 こいつもこいつで、案外怖いもの知らずだ。 それでこいつの場合、実力行使で実現しそうにも思えてくる。
「……あはは、真正面からそう言われたのは初めてだよ。 でもすまない、守人として居る以上、タダで渡すことはできないんだ」
「タダで……ってことは、何か条件があるってことか?」
「うん、そうだね」
修善さんは笑い、俺の真正面へと腰をかける。 どうやら、ここからが本番の話し合いというやつらしい。
「君たちは、守人と話すのは初めてかい?」
「いいや、芳ケ崎とは話したことがある」
「芳ケ崎……ああ、エリアAの子か。 あそこは気を付けた方が良いよ。 あの子は加減速っていう力を使うからね、それと動物が嫌いな子で、僕の友達もあのエリアには行きたがらないんだ」
言いながら、修善さんは猫と犬の頭を撫でる。 友達ってのは、その猫と犬のことか。 西園寺さんと知り合う前の俺より友達多いな、羨ましい。
にしても……俺たちが芳ケ崎を倒したことを知らない? この人が得られる情報は、要するに猫と犬を通してるものでしかないのか。 それに加えて芳ケ崎の能力をあっさり口に出した辺り、やはり敵意は微塵も感じられないな。 それどころか、俺たちに肩入れするような素振りを見せているし。
「ま、もしもあの子と戦うときは言ってくれ。 注意事項がいくつかあるから」
「いや、芳ケ崎は――――――――」
「ああ、分かった。 そうさせてもらうよ」
倒したと言いかけたクレアを制し、俺は言う。 いくらそれっぽかったとしても、この人はあくまでも敵だ。 何かの罠の可能性だってあるし、芳ケ崎が倒されたと知って襲い掛かってくることも考えられる。 余計な情報は、与えないに越したことはない。
「優しいんですね、修善さん」
「……そう言われたのもまた、初めてだ。 生まれてこの方、ずっと化け物としか言われなかったから」
そんなことを笑って、修善さんは言う。 悲しみに満ちた顔で。
「まずは、そうだね。 この世界について話そうか」
修善さんの話はこうして、始まった。
昔、俺たち能力者と非能力者の関係は今と正反対だったんだ。 この世界には能力者と非能力者が居て、能力者の殆どは奴隷として扱われていた。 逆らう者は全て処刑されていたからね。 みんな、抗おうとも思わなかったんだ。 今ほど、俺たちの能力も強くなかったというのが主な原因かな。 あの当時に、今居る能力者が一人でも居たら間違いなく最強だったよ。 そんなわけで、仲間が目の前で殺されるのを見て、従うしかなかった。
何年も、何年もそれが続いた。 俺たちの能力もそれこそ千差万別で、強い能力を身に付けている者もごく僅か。 大体の能力者はライターほどの火が付けられるとか、氷を作れるとか、電気を作れるとか、その程度のものさ。
だけどある日、事件が起きた。 人間たちはそれを「悲劇」だと言うけれど、俺たち能力者にとっては「奇跡」だったんだ。 簡単に言うと、処刑されたはずの一人の能力者が、生きていたんだ。 銃殺刑だったんだけど、一度は止まった心臓が動いたんだ。 能力者は懸命に治療して、その一人の能力者は言葉を話せるほどに回復した。 そして、こう言ったんだ
「まるで、生まれ変わったようだ」
とね。 それは気持ち的な問題じゃない。 もっと物理的な問題だ。 その男は人の命を見る能力者だったんだけど……ああ、分かりやすく言うと、見たその人が生きているか死んでいるかを判断できる能力、生死眼と呼ばれる能力を持っていたんだ。 そして、一度死んだ男の能力は変化した。 だからこそ、生まれ変わりなんだ。
俺たちはそれを「転生」と言ってね。 文字通り、男の能力は強大なものだったよ。 一度眼を合わせた者をどこに居ても殺すことができる能力。 例え地球の裏側に居たとしても、対象が存在すればどこに居ても殺せる能力だ。 つまるところ、生死を見る眼から生死を選べる眼になったんだ。
そして、選別という名の儀式が始まった。 多くの能力者は自発的に自らの心臓を撃ち抜き、死んでいった。 能力者は全部で一万人ほど居たんだけど、儀式が終わって生き残っていたのは僅か百人程度。 非能力者は俺たちの行動を「ついに気が狂った」と嘲笑っていたんだっけ。 でも、その顔もすぐに絶望に変わったんだ。
僅か、三日。 何十年と続いてきた能力者と非能力者の関係が、逆転するのにかかった時間だ。
赤腕も、蒼龍も、毒雨も……そして俺も、そのときは並んで一緒に戦った。 超えた先に、分かり合える未来があると思って。 だけど、現実は違ったよ。
あったのは、ただ逆転した関係だった。 そして悲惨なことに、誰が頂点に立つかで俺らは揉めた。 戦争をしている途中で、みんな変わってしまったんだ。 俺は早々に嫌気が差して一人ひっそり暮らすことにしたけど……他の奴は、そうならなかったようだね。 能力者同士の殺し合いは連日起きて、それには非能力者も巻き込まれて。
残った能力者はたったの五人。 今、このエリアと呼ばれる場所を守っている守人たちだ。 守るべきものなんて何一つないのに、そう呼ばれている。 そして、俺たちは非能力者にとっては国を滅ぼした最後の生き残りなんだ。 俺たちは彼らのことを生き残りと呼んでいるけれど、彼らから見たら俺たちもまた、生き残りなんだ。
彼らがもし、俺のことを殺しに来たら潔く死ぬよ。 エリアBを守っていた奴も……ああ、このエリアCと対角にある場所だね。 そこを守っていた彼は俺の親友だったけど、最近死んでしまったよ。 君たちが所属する組織に、殺された。
……彼も、俺と同じことを言っていたっけ。 分かり合える未来はきっとあるって、口癖のように。 最終的にあいつは、戦いを選んだみたいだったけど……それも、仕方ないことだ。
俺たちがしたことは酷すぎた、残酷すぎた。 俺たちが殺され、非能力者だけが生きる未来も、ありなのかもしれない。
今日、君たちとこうして話せたのは、俺にとっては本当に幸せなことなんだ。 人と話したのは、久し振りだ。
「とまぁ、これが昔あった真実だよ」
長い話を終え、修善さんは息を吐く。 そして最後に、こう言った。
「今日は空がとても綺麗だ」




