いつも通りに 【2】
「しっかし、ひでえなこりゃ」
「だな。 部室荒らし自体、稀にあることだが……今回のこれは、限度を超えている」
痛ましくも、無残な姿になってしまった部室を見渡し、柊木は言う。 こいつは風紀委員の仕事上、こういう場面に遭遇したこともあるのだろう。
だけど、限度を超えない部室荒らしというのもおかしな話だな。 もうその行為自体が、限度を超えているとしか俺は思えん。
「とりあえずは、片付けよう。 直せる物は直して、壊れてしまった物は生徒会を通して補給する。 それで部室の件だが……」
「二人には、柊木から言っといてくれるか? 俺だと多分、上手く伝えられないと思う」
柊木にはそう言ったが、実際は二人がどんな顔をするのか見たくなかったというのが本当のところだ。 その役目を柊木に押し付ける辺り、俺もやはりあいつらとは同類なのだろう。
「分かった。 一緒に部活動はしばらく休止ということも伝えておく」
柊木は倒された椅子を戻しながら、言う。 無愛想な柊木だが、その目からはなんとなく怒っているのが伝わった。 それほど分かりやすく、こいつの目は物語っていた。
「悪いな、嫌な役目押し付けて」
「別に良いさ」
西園寺さんは、きっと怒る前に悲しむだろうな。 そういう人だ。 で、クレアは俺と同じ考えになるだろう。 だからこそ、柊木から伝えて欲しいってのもある。 クレアは良くも悪くも短絡的に行動を起こしてしまいそうで、絶対的な安全圏というのを確保しない。 勢いがあるのは良いことだけど、今回の場合は筋道と目的を見据えてやらなければ、こちらが痛手を負う可能性もあるんだ。
柊木もそれは分かっている。 それがあるから、二人に伝えるという役目をすんなり受け入れてくれたのだ。 クレアのストッパーとして。
「これじゃ、このトランプはもう使えないな」
このトランプは確か、クレアが持ってきた物だ。 それも今では破られ、細切れにされている。 想い出が詰まった物だとか、思い入れがある物だとか、そういう問題では既にない。 俺たちはこうして、明確に攻撃を受けたのだから、取るのは当然反撃あるのみ。
「ふっ、まずだな、遊び道具を持ち込んでいるのがどうかと思うぞ」
「ご説ごもっともで」
さて、そうなると次の一手を打つ前にするべきことがある。 俺たちは攻撃を受けたが、その相手が不明だ。 予測というか予想というか、ほぼ確実に主犯は矢澤真美だろう。 しかし、それはあくまでも予想でしかない。 あいつがやったという決定的な証拠を掴まなければ、動きようがない。 対局者の姿が見えなければ、どの手を打てばいいのかさえ分からないのだ。
……しっかし、同時にそれが一番の難題か。 こういう陰湿なことをする奴は必ず証拠を隠したがる。 完全犯罪なんてものは存在しないというのが持論だが、ほぼ完全犯罪というのは蔓延るほどにあるのだ。 で、まずはその綻びを見つけるところからだな。
「犯人は矢澤だ」
「……俺もそれはそうだと思うけど、まずは尻尾を掴まないと」
「いいや、その必要はないさ。 尻尾どころか、いきなり頭を落とせるぞ」
やけに確信を得ているような言い方を柊木はする。 それが妙に思い、俺は柊木の方へと顔を向けた。
「物的証拠と目撃証言だ。 成瀬、堅牢な城を落とす方法はなんだと思う? 外部からの攻撃を全て遮断してしまうような、強固な城を落とす場合だ」
「なるほどね。 ということは柊木、それが物的証拠になるってわけか」
「正確に言えば、目撃証言に繋がる物的証拠だよ。 これは」
柊木が手に持っていたのは、シャツだ。 それも、クレアが毎日着ているシャツ。 あいつは私物を大分持ち込んでいるが、シャツまではこの部室に持ち込んではいない。 対局者を炙り出す一手は、決まったようだ。
「よし、大体こんなもんか。 結局昼休み全部使っちまったな」
「仕方ないことだ。 私は教師に報告したあと、教室へ戻るよ。 成瀬もすぐに教室へ戻れよ」
一応は、なんとか使用できるほどには戻った。 が、さすがにスプレーで書かれた落書きなんてものはどうしようもない。 これは後日どうにかするとして……。
「柊木、今回は俺一人でやるよ」
「おい、またそんなことを言うのか。 お前は何も反省していないのか?」
俺の言葉に、柊木は語気を強めて言う。 そう言われるのは、なんとなく分かっていたことだ。
「反省はしている。 失敗だったとも思ってる。 だけど、真面目なお前が俺の悪さに付き合う必要はないだろ」
「……言っておくがな、私はこれでも結構頭に来ているんだ。 こういうくだらないことをする奴を懲らしめたいと思うのは、私も一緒だ」
だから、駄目なんだ。 そこが俺と柊木の違いだ。 柊木が思っているほど、俺は善人じゃねえんだ。
「懲らしめたい。 俺は違うぞ、俺はな」
懲らしめるんじゃない。 反省を促すわけでも、後悔させるわけでもない。 徹底的に叩き潰すんだ。 懲らしめるってのは要するに、更生させるというわけだ。 俺がするのはそんな善人らしいことではなく、追い詰めて破滅させるという悪人のやることだ。
「終わらせるんだ。 もう、手出しができないように」
「お前……。 ったく、分かったよ。 それがお前のやり方か」
「ああ、ありがとう。 それと、二人にはやっぱり適当なことを言ってもらっても良いか? 特にクレアなんて、何をするか分からねえ」
「それは、心配してか?」
聞き、俺は考えずに思ったそのままのことを言う。
「それもあるかもな。 けど、駒を動かして詰めていくのは俺が一番得意だ。 正直、足手まといにもなる」
「お前らしいな。 ふ、分かった。 だが、私が見てしまった悪行は見逃すことができないからな。 それだけは覚えておけ」
言って、柊木は部室をあとにする。 見てしまった悪行ね、つまりは見ていない部分で動けということだ。
今回の件は、俺が蒔いた種で俺が摘まなければならない芽でしかない。 それにはやっぱりみんなを巻き込むことはできないし、巻き込みたくはない。 悪人なんて、一人で充分だろうしな。
リリアが良く読んでいる物語には、悪人が更生して善人になるパターンってのがある。 あれもあれで面白い展開だとは思うけど、現実では起こりえることではないだろう。 現実はどこまで行っても現実で、それと同様に悪人はどこまで行っても悪人だ。 俺が良い奴だったなら、みんなで手を取り合って真正面から立ち向かうだろう。 けれど、残念ながら俺は悪い奴でしかない。
「考えるか」
誰も居なくなった部室で、俺はソファーに腰をかける。 窓を開けて風を浴びて、頭を働かせる。
まず一つ目、いつ部室荒らしは発生したか。
昨日、西園寺さんに聞いた限りでは部活動は普通に行われたらしい。 日曜日にもしっかり活動している辺りは誇らしいことだが、内容は遊んでいるだけだ。 で、まぁそんな部活動に俺を除く三人は昨日も部室を使って励んでいたという。 俺も呼ばれた気がするが、気付かない振りをしていた。
そして完全下校時刻は午後七時だ。 西園寺さんたちが帰宅したのは、いつも通りと仮定して六時丁度。 それから職員室に鍵を返して、学校から帰宅する。 多く見積もって、犯行を行えるのは一時間ってところか。 その間に部室に侵入し、荒らした。
……いや、待て。 確かこの高校では完全下校時刻後は、一度全教室のチェックが入るはずだ。 それには例外は存在しない。 つまり、俺たちの部室もチェックの対象となっているはず。 ということは、前日に犯行を行うのは不可能か? そのチェックが入る順番を把握できない以上、今日の昼休みまで誰にも発見されずにいるというのは不可能に近いな。
ということは、犯行が行われたのは朝の可能性が高い。 運動部の朝練もあるから、校門が開かれるのは午前六時だ。 その時間帯なら、どの生徒でも自由に入ることができる。 そして、朝早い時間帯ならば教師の数もまばらで、職員室に侵入して壁にかけてある鍵を取るのは可能だな。
つまり、部室荒らしが発生したのは、午前六時から昼休みの間となる。 その時間帯なら、俺たち四人のうち誰かが部室にいかない限り、誰もあそこには足を踏み入れないだろう。 更にもう一つ。 犯行を行う上で、朝早い時間以外にも校舎内が静まり返る時間がある。 一限目、そして二限目、三限目だ。 昼休みまでが三限となっているから、その間にも犯行は行える。 授業中の静まり返った校舎内だったとしても、四階の隅にあるあそこならば音が届くこともない。 犯行を行うには充分すぎる時間と充分すぎる環境ってわけだ。
次に二つ目、犯人は単独か複数か。
これはほぼ後者と見て良い。 直接的な攻撃でなく、間接的な攻撃に出たということは、犯人はバレることを一番に恐れているということ。 そんな奴が単独で、見張りも立てずに犯行をするとは思えない。 絶対的に安全な立場から、絶対的に安全な策で実行したはずだ。 犯人は二人以上となる。
次に三つ目、犯人は誰か。
この三つ目が、最重要だな。 部室荒らしを実行した犯人だ。 これは今から調べることになるけど、今回の場合は……既に物的証拠がある。 柊木が見つけた、クレアのシャツ。 あいつは部室にこれを放置することはあり得ない。 だとすると……随分と挑発的なことをしてくれたもんだ。
「よし」
道筋が整った。 そこをしっかり通れるかは、俺次第だな。 まずはクレアに電話をして、確認からするとしよう。
そう思い、制服のポケットから携帯を取り出す。 正直使うことなんてないと思ってたけど、いざというときに役立ってしまった。 こんなに便利な物ならもっと早く持っておくべきだったかな。
「えっと」
一応、あれから柊木とは番号とメールアドレスを交換してある。 あいつに渡して全部入れてもらったんだけどな。 というわけで、俺の携帯には現在、クレアとリリア、柊木の番号が登録されている。 西園寺さんは携帯を持っていないし、真昼に関しては番号を暗記してしまっているから問題ない。 登録したほうが便利だとクレアも柊木も言っていたが、操作方法を思い出して労力を割くより、覚えている番号を打つほうが楽なんだ。
「こうだっけか……」
そして、未だにその操作をまともに覚えていない俺である。 現代機器は難しい……と家でぼやいたら、真昼が「兄貴知ってるか、それって機械音痴って言うんだよ」とかなんとか言ってきた。 今度仕返ししよう。
『はいはいクレアです。 授業中にかけるとか舐めてるんですか』
「文句言うなら授業中に出るんじゃねえよ。 それで、今大丈夫か?」
ワンコールで出たな。 こいつ絶対に教室に居ないだろ。 冬休みの補習にはしっかり行っていたし、進級は大丈夫だと思いたいが……。 この問題よりもひょっとしたらそっちの方が重要かもしれない。
『ええ、まぁ。 何か用ですか? というか、成瀬が授業をサボるって珍しいですね』
「ちょっとワケありでな。 んでさ、お前って部室に服とか置かないよな?」
『そりゃ置きませんよ。 成瀬に盗られても嫌ですし』
「面倒だから流すぞ。 で、お前って今日はジャージだったよな」
『……はい、そうですけど』
一瞬だけの間があった。 クレアが言葉を詰まらせた間だ。 前までなら、そんなのには気付けなかったと思う。 けど、今ならそれにも気付ける。 その間は、何か隠していることがある間だ。
「なら、言う。 クレアがいつも着ているシャツが部室にあった。 それも」
ボロボロに、裂かれた状態で。 とてもじゃないが、もう着れる状態ではない。 柊木が言っていた物的証拠がこれだ。 そして、クレアへと繋がっていく。
『……はぁ。 成瀬、屋上へ来れますか』
「ああ、分かった」
ひとつは繋がった。 柊木の助言通り、進めるならばこの道だろう。