第2話 頼れる魔法使い
馬車に揺られること、三日目。
王都の喧騒はとうに遠く、代わりに深い森が両側から迫っていた。
「次の街で、装備を整えよう」
御者台から、ロランが声をかけてくる。
「はい」
リネットは、膝の上に広げた地図から顔を上げた。
この四人と旅をするのは、まだ数日だというのに、不思議と気詰まりはなかった。
オスカーは寡黙だが、荷物運びや見張りを黙って引き受けてくれる。
セラは穏やかで、話しかけると必ず柔らかく応じてくれる。
フィンは人懐っこく、隙あらば話しかけてくる。
そしてロランは――
「リネット、大丈夫か。乗り物、酔ってないか」
こちらの顔色を、よく気にする。
「平気です。ロランさんこそ、ずっと手綱持ってて疲れませんか」
「これくらい平気だ」
軽い調子で返しながらも、ロランの視線は、少しの間リネットの顔に留まっていた。
*
最初の戦いは、街道を外れて間もなく訪れた。
茂みががさりと揺れ、複数の魔物が飛び出してくる。
「来るぞ!」
オスカーが前へ出て、盾を構え、剣を抜いて道を塞ぐ。
フィンの矢が、物陰から飛び出そうとした魔物の脚を正確に射抜く。
ロランが、先頭の一体へ斬りかかる。
リネットは、後方から戦況を見渡していた。
魔物の群れの動きに、わずかな乱れがある。
(あそこ――一体だけ、動きが速い)
群れの後方に潜む、ひときわ素早い個体に気づく。統率の要になっている個体だと直感した。
リネットは、腰の杖を抜き、先端に小さな光を集めた。
狙うのは、あの一体だけ。
「そこ!」
杖の先から放たれた光の弾が、群れの隙間を縫うように飛び、後方の個体だけを正確に撃ち抜いた。
当たった瞬間、群れ全体の動きがばらけた。統率を失った魔物たちは、各個撃破しやすくなる。
「なんで分かったんだ」
戦いの後、ロランが不思議そうに尋ねた。
「動きの遅い個体が、微妙に間を合わせてたので。多分、あれが指示出してたんだと思います」
「見えるのは分かるが、よくあの隙間を縫って当てられたな」
「狙いを絞るほうが、得意なんです。細かいことをするのが好きで」
事も無げに言うリネットに、ロランは思わず笑った。
「本当に、何でもできるんだな。すごいよ」
「そんな、大げさです」
照れたように目を逸らすリネットを、ロランは眩しそうに見ていた。
*
崖沿いの狭い道で、魔物に囲まれたことがあった。
「セラ、動かないで!」
リネットの声に、セラは反射的に静止する。
その足元すれすれを、小さな光の壁がすり抜けるように展開した。
崖から飛びかかってきた魔物の爪が、壁に阻まれて弾かれる。
壁は、セラの体には触れていない。ぎりぎりの範囲だけを覆う、指先ほどの厚みの障壁だった。
「危な……今の、際どすぎませんか」
「セラに当たらないようにしたら、これくらいの隙間になっちゃって」
「もう少し、大きく作ってもいいのよ」
「大きくすると、かえって雑になるんです。これくらいが一番、確実で」
こともなげに答えるリネットに、セラは苦笑した。
*
最初の遺跡に着いたのは、旅立ってひと月ほど経った頃だった。
苔むした石造りの入口には、古い結界の気配が残っている。
「ここにも、五人までの制限がかかってるみたいだな」
ロランが、入口に刻まれた紋様を確かめながら言った。
「荷物持ちの一人でも増やせたらいいのに」
フィンがぼやく。
「昔からの決まりごとだ。遺跡もダンジョンも、大体はこの仕組みらしい」
「なんでですか?」
「知らん。神代の遺物だからな、理由まではな」
入口の扉には、複雑に絡み合った古い術式が刻まれていた。
「魔力を流せば開くはずなんだが……」
ロランが手をかざすと、扉の紋様がわずかに反応するものの、開く気配はない。
「壊れかけてるんだと思います。触ると、多分このまま崩れます」
リネットが、扉に顔を寄せて言った。
「崩れたら、まずいのか」
「多分、扉自体が遺跡の結界と繋がってるので。無理に壊すと、中の宝物庫ごと崩落するかもしれません」
「……直せるか」
「ちょっと待ってくださいね」
リネットは、指先に細い光を灯した。
絡み合った術式の、劣化して緩んだ部分だけを探る。
王都の中継器を直したときと、同じ手つきだった。
やがて、扉が音もなく開いた。壊れた形跡はどこにもない。
「……マジか」
オスカーが、珍しく声を漏らした。
「何でもできるんだな、リネットは」
「そんなことないですよ。団には、私よりずっと魔力のある人がたくさんいますし」
謙遜のつもりだったが、フィンが食い気味に返す。
「魔力の量より、こういうののほうがすごいと思います!」
「そう、かな」
リネットは、少し照れたように笑った。
*
夜営の焚き火の傍で、リネットは小瓶を睨んでいた。
「今日は、飲まなくても平気なんじゃないか」
「魔力、結構使ったので。念のため」
「その顔、嫌そうにも程があるぞ」
「これから覚悟を決めるところなので、黙っててください」
真剣な顔でそう言うと、リネットは瓶を一息に呷った。
途端に、顔がくしゃりと歪む。
「うっ……不味い」
リネットは荷物の奥から、小さな包みを取り出した。ミラに持たされた、あの焼き菓子だった。
一かけらだけ口に含むと、強張っていた顔が、ようやくほどける。
それから何度か、薬を飲むたびに、リネットはその菓子で口直しをしていた。
ある晩、包みを開けたリネットが、拍子抜けしたような声を上げた。
「あ……もうない、か」
最後の一かけらを、とっくに食べ終えていたらしい。
その声を、少し離れた場所にいたロランが耳にしていた。
翌日から、ロランの懐には、口直し用の飴が忍ばせてあるようになった。
「ほら」
「……いいんですか?」
「気にするな」
リネットは、差し出された飴を受け取った。
「……ありがとうございます」
いつからか、これが二人の間の決まりごとのようになっていた。
自然と、ロランはリネットの隣に腰を下ろすようになっていた。
特別な会話をするわけではない。焚き火を眺めながら、他愛のないことを話すだけの時間だったが、ロランはそれを好んでいた。
少し離れた場所で、フィンが自分の弓の手入れをしていた。
「リネットさん、さっきの、魔物の動き見てたやつ、僕にも分かるようになりますか」
「フィンはもう、結構見えてると思うけど」
「え、そうですか?」
「今日だって、私が言う前に、一瞬だけそっちを見てたよね」
リネットは、フィンの隣へ腰を下ろした。
「コツがあるとしたら、一匹だけをずっと目で追わないこと。群れ全体をぼんやり見て、リズムが崩れてるところを探す感じ」
「リズム、ですか」
「うん。動きが合ってない子は、大体誰かの指示を待ってるか、逆に指示を出してる側。フィンは目がいいから、すぐ拾えるようになると思うよ」
「……やってみます」
フィンは、真剣な顔で頷いた。
その横顔に、リネットはふと、王都に残してきた後輩の顔を重ねた。
仕事に不慣れで、けれど一生懸命だった後輩。あの子も、いつもこんな顔でこちらの話を聞いていた。
(弟がいたら、こんな感じなのかな)
まだ幼さの残るこの少年を、リネットはどこか放っておけなかった。
気づけば、こまごまとした世話を焼くことが増えている。
パーティの中で、リネットはいつしか、姉のような立ち位置に収まりつつあった。
*
旅は、まだ始まったばかりだった。
敵はそれほど強くなく、休息も十分に取れている。
(これくらいなら、私にもできる)
リネットは、そのことにほっとしていた。
その考えが、甘かったと知るのは、もう少し先のことだった。




