第1話 神託
王城の奥、神託の間には、国中から選び抜かれた腕利きだけが集められていた。
高い天井から差し込む光が、床に描かれた大きな魔法陣を淡く照らしている。壁際には国王をはじめとした重臣たちが並び、広間の中央には、名の知れた冒険者や、王国有数の魔力を持つ魔道士たちが顔をそろえていた。
ヴァルターも、魔道士団長として重臣たちの列に加わっていた。
中央の祭壇で、大神官が祈りの言葉を唱え終える。
魔法陣の光が強まり、宙に淡い文字が浮かび上がった。
「――魔王討伐のため、次の五名を選ぶ」
声が響くと同時に、名が一つずつ読み上げられていく。
「勇者、ロラン」
前列にいた青年が、静かに一歩前へ出た。まっすぐな背筋、迷いのない目。
「僧侶、セラ」
柔らかな声で応えた女性が、胸に手を当てて頭を下げる。
「騎士、オスカー」
がっしりとした体格の男が、拳を軽く胸に打ち付けた。
「弓使い、フィン」
まだあどけなさの残る少年が、緊張した面持ちで頷く。
四人までは、この場にいる誰もが顔を知る者たちだった。
当然、最後の一人も、この広間の中から選ばれるのだろうと、誰もが思っていたはずだ。
「魔法使い――リネット」
広間が、一瞬静まり返った。
「……リネット?」「聞かん名だな」
困惑のどよめきに、得心したような声も混じる。
「あぁ、魔道士団長の秘蔵っ子だろう」「なるほど、それだけの腕はあるということか」
当然、疑問の方が大きかった。ここに集められたのは、魔力量でも実績でも、国内屈指と目される者ばかりだ。リネットは、そのどちらの基準にも当てはまらない。
それでも、団長が目をかけている者だという噂だけは、この場の何人かの耳にも届いていたらしい。
そもそも、この場に呼ばれてすらいないというのに。
ヴァルターだけが、その名の意味するところを理解していた。
全身から、血の気が引いていく感覚があった。
*
魔道士団の詰め所では、リネットがいつも通り、壊れた魔道具の修繕に追われていた。
作業台に屈み込み、小さな結晶へ魔力を通していると、扉が勢いよく開いた。
「先輩! いいから来てください!」
飛び込んできたのは、魔力の高さを買われて神託の間に呼ばれていた後輩だった。息が上がっている。
「いいから、って……何かあったの?」
「討伐メンバーです! 先輩の名前、呼ばれたんですよ!」
声が弾んでいた。まるで、めでたい知らせを届けるみたいに。
「僕、末席で呼ばれてたのに……まさか先輩が名指しされるなんて。やっぱり凄いんだなあ」
「へ……?」
手にしていた結晶が、こつん、と作業台に落ちた。
「早く! 皆待ってます!」
腕を引かれるまま、リネットは詰め所を飛び出した。
*
連れて来られた広間には、既に他の四人と、居並ぶ重臣たちの姿があった。
何が起きているのか、まだ半分も飲み込めていない。
ただならぬ視線が、一斉にこちらへ集まっているのだけは分かった。
言葉は右から左へ抜けていくようで、実感が追いつかない。
「あの……」
何か言おうとして、うまく声にならなかった。
視線を巡らせると、少し離れたところにヴァルターが立っているのが見えた。
彼の隣へ寄っていくと、目が合う。
その瞬間、ようやく理解が追いついた。
――本当に、これは自分のことなのだ。
さっと血の気が引いていくのが、自分でも分かった。
「団長……」
声が震える。
ヴァルターは、リネットの顔を一目見てから、小さく頷いた。
「大丈夫だ。落ち着け」
周りに聞こえない程度の、低い声だった。
リネットは、その場に立っているだけで精一杯だった。
*
場が解散すると、ヴァルターはすぐに謁見の間へ足を向けた。
国王への目通りを願い出るのに、日を置く余裕はない。
「陛下。折り入って、お願いがございます」
玉座の前で膝をつき、ヴァルターは切り出した。
「魔法使いの座について、私と代わっていただけないでしょうか」
国王は、片方の眉を上げた。
「神託が、名指しで選んだのだぞ」
「承知しております。ですが――」
ヴァルターは、一度言葉を切ってから続けた。
「陛下、彼女は技術は私以上かもしれません。しかし魔力は中の上程度です。強敵との連戦に、耐えられるとは思えません」
国王の目に、驚きの色が浮かんだ。
「それほどか」
「はい」
しばしの沈黙のあと、国王は静かに首を振った。
「だが、神託が間違うはずはない。魔力の多さで選ぶだけなら、他にも候補はいくらでもいたはずだ。それでも、あの子が選ばれた。……彼女でなければならない、何か理由があるのだろう」
「――理由、ですか」
「それが何かは、私にも分からん。だが神託とは、そういうものだ」
「では、補佐を一人、同行させることはお許しいただけますか」
「五人までという古来の掟は、お前もよく知っていよう。遺跡もダンジョンも、六人目を入れれば道そのものが閉ざされる。連れて行ったところで、肝心な場所には入れまい」
正論だった。
「出立の日を、せめて延ばすことは――」
「魔王軍の動きが速まっている。これ以上待てば、被害はさらに広がるだろう」
「魔王が完全に力を取り戻すまで、残された時間は二年を切っている。討伐には期限があるのだ」
一つずつ、道が塞がれていく。
「私が、代わりに同行することは」
「王都の防衛は誰が担う。お前が抜けた穴を、誰が埋める」
ヴァルターは、何も言えなかった。
分かっていたことだ。すべて、確かめただけだった。
「――承知いたしました」
深く頭を下げ、謁見の間を辞す。
廊下を歩きながら、ヴァルターは拳を握った。
あの子の魔力量では、序盤の敵になんとか対処できても、旅の終盤――強敵との連戦には、確実に足りなくなる。
それが分かっていて、送り出さねばならない。
*
その日の夜、リネットは団長室の扉を叩いた。
書類に向かっていたヴァルターが顔を上げる。
「まだ帰っていなかったのか」
「はい。今日のことで……色々、動いてくださったと聞きました」
誰から聞いたのかは言わなかった。噂は、団の中を駆け巡るのが早い。
ヴァルターは、少しの間、答えなかった。
「――力になれなかった」
「そんな。ありがとうございます、それだけで」
リネットは、いつものように笑おうとした。けれど、うまくいかなかった。
ヴァルターが、じっとこちらを見ている。
「……怖いです」
声が、思ったより小さく震えた。
「行きたくないです」
言ってしまうと、堰を切ったように続いた。
「強い魔物と、何度も戦うんですよね。私、魔力だってそんなにあるわけじゃないし。皆に迷惑をかけるかもしれない。それに――」
言葉を切る。
「死ぬのは、嫌です」
言い終えると同時に、堪えていたものが溢れた。
目尻から、熱い雫がこぼれ落ちる。
ヴァルターは、何も言わなかった。慰めも、叱咤もしなかった。
ただ、椅子から立ち上がり、リネットの前に立った。
「怖くて、当然だ」
その一言だけで、なぜか少し息がしやすくなった。
リネットは俯いたまま、しばらく黙っていた。
「……でも、行きます」
顔を上げる。
「私が行かなかったら、魔族が活発になって、世界が滅んじゃいますもんね」
そう言って、リネットは苦笑した。
「――笑えることではないんだがな」
「分かってます。でも、笑うくらいしないと、やってられなくて」
「それで誰か死んだら……私、一生後悔します」
だから、行く。
怖いことと、行かないことは、リネットの中では繋がっていなかった。
ヴァルターは、何かを言いかけて、口をつぐんだ。
「お前が望むなら――」
そこで言葉を止め、小さく首を振る。
「……いや、何でもない」
「無理はするなよ」
「無理しないと、多分、務まりません」
「だから言っている」
ヴァルターの声が、少しだけ低くなる。
リネットは、今度こそちゃんと笑った。
「大丈夫です。それに、私が一番、ここへ戻ってきたいですから」
仲間の前では、この顔しか見せない。
気丈で、明るい魔法使い。
それでいい、とリネットは思っていた。
*
出立の前夜、リネットはヴァルターの家で夕食をとった。
いつもと変わらない食卓のはずなのに、ミラはやけに料理の品数を増やしていた。
「今日は随分と豪華ですね」
「気にしないで、たくさん食べなさい」
ミラは微笑んだが、その手は、いつもより少しだけスープをよそう手つきが慎重だった。
食事の後、ミラはリネットに小さな包みを渡した。
「これ、持っていきなさい」
開けると、刺繍入りの手拭いだった。隅に、小さく風の模様が縫い取られている。
「汗を拭くにも、傷を縛るにも使えるわ。それに」
「それに?」
「心細くなったとき、握りしめるのにもいいでしょう」
リネットは、手拭いを胸に抱えた。
「ちゃんと、いってきます、を言いなさいね」
ミラに促され、リネットは姿勢を正した。
「いってきます。必ず、帰ってきます」
ミラは、何も言わずにリネットを抱きしめた。
いつもより長い時間だった。
肩に触れたミラの頬が、少しだけ冷たく湿っている。
顔は見えない。だから、リネットも見ないふりをした。
*
翌朝、王都の正門には、旅立つ五人を見送る人々が集まっていた。
国王からの激励、神官による祝福の言葉、鳴り響く鐘の音。
リネットは、その全てを少し離れたところから眺めていた。
「リネット」
ヴァルターが、人混みを離れて呼んだ。
二人だけになると、彼は背負い袋から二つの包みを取り出した。
「これは、魔力回復薬だ」
「魔力を生み出す薬じゃない。体の回復を前借りするものだ。続けて使うと、身体に負担がかかる」
一つ目を渡す。ずしりと重い、瓶の詰まった感触があった。
「こっちは――」
もう一つ、布で小さくくるまれたものを差し出す。
開いてみると、中には瓶が一本だけ入っていた。形はいつもの魔力回復薬とよく似ているが、中身の色が違う。魔力回復薬の澄んだ青に対して、こちらは沈んだ赤紫をしていた。
「もしものときに使え。普通の魔力回復薬とは違う」
「これは?」
「魔力増強剤だ。一時的に、扱える魔力の上限を引き上げる。ただし、身体への負担が大きい」
リネットは、その瓶を握る手に、少し力を込めた。
「どれくらい、大きいんですか」
「使いどころを誤れば、しばらく起き上がれなくなる程度には」
軽い口調では言えない重さだった。
「本当に、もうどうしようもないときだけ使え。それまでは、決して手を出すな」
「はい」
「約束できるか」
「できます」
ヴァルターは、しばらくリネットの顔を見ていた。
それから、短く息を吐いた。
「生きて戻れ」
いつもより、少しだけ低い声だった。
リネットは、瓶を布にくるみ直して、胸に抱いた。
「はい」
ヴァルターは、もう一つ、小さな紙包みを懐から取り出した。
「これは、ミラから預かっている」
「お菓子、ですか?」
「日持ちするものを、と言っていた。ゆっくり食べろ、だそうだ」
リネットは、それを両手で受け取った。
「……ありがとうございます」
そこで、いつもの調子に戻す。
「帰ったら、またここで働きますね」
「机は用意しておく」
「団長のを半分でも構いませんよ」
「却下だ」
軽口を挟むと、少しだけ、ヴァルターの目元が緩んだ気がした。
馬車の準備が整い、ロランたちが声をかける。
「リネット、行くぞ」
「はい、今行きます」
リネットは駆け出す前に、もう一度だけヴァルターを振り返った。
団長の顔をした彼が、こちらを見ている。
いってきます、と口の中だけで呟いて、リネットは仲間のもとへ走った。
*
馬車が王都の門をくぐる。
窓の外を流れていく見慣れた街並みを、リネットはしばらく眺めていた。
好きな仕事があって、居心地のいい場所があって、これから叶えたい夢もある。
その全部を、いったん置いていく。
握りしめた手拭いの、小さな風の刺繍を指でなぞりながら、リネットは隣に座ったフィンへ顔を向けた。
「よろしくね、フィン」
「は、はい! よろしくお願いします!」
気丈な魔法使いの顔で、リネットは笑った。




