第1話「美しいもの」
僕は、友達が血を流した日を、今でも美しい思い出として覚えている。
あれは、小学一年生の春だった。
その日も、いつもと変わらない昼休みだった。校庭には、走り回る子どもたちの声が響いていた。僕も友達と一緒に、鬼ごっこをしていた。
そのとき、少し前を走っていた男の子が、突然地面に倒れた。
「痛っ!」
男の子は地面に座り込み、擦りむいた膝を押さえていた。やがて彼が手を離すと、傷口から溢れた血がゆっくりと肌を伝っていった。
太陽の光を受けた血は、肌の上で小さな宝石のように輝いていた。鮮やかな赤がゆっくりと肌を伝い、その跡に細い線を描いていく。それがついさっきまで彼の身体の中を流れていたものだと思うと、不思議と目が離せなかった。
ふと彼の顔に目を向けると、痛みに耐えるように眉を寄せ、今にも泣き出しそうになっていた。彼の苦しそうな顔を見ると胸が痛んだが、膝から流れる血に向けた視線は、なかなか外せなかった。
「大丈夫!?」
駆け寄ってきた友達が彼に声をかけた瞬間、僕ははっと我に返った。気づけば、怪我をした彼の周りには何人もの友達が集まっていた。
「血が出てる! 先生呼んでくる!」
一人が校舎に向かって走り出した。僕も何かしなければと思ったが、すぐには身体が動かなかった。
「透、大丈夫?」
隣の友達に声をかけられ、僕は慌てて「大丈夫」と答えた。友達は安心したように頷いたが、僕の視線は再び彼の膝へと向かっていた。
気づけば、またその血を目で追っていた。
そのとき、遠くから先生を呼ぶ声が聞こえてきた。駆けつけた先生が彼の膝を確認すると、すぐに保健室へ連れていった。
彼の姿が見えなくなっても、僕の頭には膝を伝う血の光景が鮮明に残っていた。遠ざかっていく彼の背中を見送りながら、僕はもう一度だけ、あの光景を思い浮かべた。
「血って、気持ち悪いよな」
隣にいた友達がぽつりと言った。
「わかる、怖かったよな」
別の友達も頷き、周りの子たちも次々に同意した。
「そうかな」と言いかけたが、周りの子たちが口々に同意するのを見て、言葉を飲み込んだ。
みんなが気持ち悪いと感じるものを美しいと思う僕は、きっと普通の人間ではないのだろう。
それでも、血を美しいと思う気持ちは変わらなかった。ただ、それを口にすれば、周りからどんな目で見られるのかは理解できた。
だから僕は、その感情を誰にも知られないように生きてきた。
その十年間で、僕は自分について多くのことを知った。
僕は、何かが欠けている人間ではないと思う。
嬉しいときには笑うし、悲しいときには涙を流す。友達と過ごす時間は楽しかったし、彼らのことを心から大切に思っていた。
ただ、僕には他の人にはない感情が一つあった。
血を、美しいと思うこと。
けれど、親しくなるにつれて、僕の中には別の感情が芽生えるようになった。
その人の血を見てみたい。
どんな色をしていて、どんなふうに流れるのだろう。そんな考えが、何気ない会話の途中にさえ頭をよぎるようになった。
もちろん、傷ついてほしいわけではなかった。それでも、一度浮かんだ想像は、簡単には消えてくれなかった。
そして僕は、誰かを大切に思う気持ちだけでは、自分のすべてを抑えられないことを知った。
高校に入ってからは、友達をつくらないことにした。
誰かと話すことはあっても、必要以上に親しくはならない。誘われても適当な理由をつけて断り、放課後は一人で帰った。
そんな生活を続けているうちに、僕は高校二年生になっていた。
新学期が始まって間もないある日、担任の先生が体育祭の実行委員を決めると言い出した。
僕は昔から、体育祭があまり好きではなかった。
誰かが転んだり、怪我をしたりすることが珍しくない行事だからだ。
もちろん、誰かが傷つくことを望んでいるわけではない。それでも、目の前で血が流れれば、僕はきっと目を奪われてしまう。
だから、できることなら関わりたくなかった。
「じゃあ、体育祭の実行委員を決めるぞ。男女一人ずつ、誰かやってくれる人はいないか?」
先生の声が教室に響いたが、誰も手を挙げなかった。
しばらく沈黙が続いたあと、先生は小さくため息をついた。
「仕方ないな。じゃんけんで決めるか」
教室のあちこちから不満そうな声が上がった。
僕もその一人だった。できれば、こんな役割は引き受けたくない。
先生の指示で、男子と女子に分かれてじゃんけんが始まった。
最初の一回で勝ち抜けられると思っていた。けれど、二回、三回と負けが続き、気づけば残っている男子は僕を含めて二人だけになっていた。
「じゃあ、最後の二人で決めてくれ」
向かい合った男子が、苦笑いを浮かべながら拳を構えた。
「最初はグー、じゃんけんぽん!」
僕の出したグーに対して、相手の手はパーだった。
「よし、男子は白瀬に決定だな」
先生の声を聞きながら、僕は小さくため息をついた。
そのとき、教室の反対側から明るい笑い声が聞こえてきた。
「うわー、負けちゃった!」
声の方に目を向けると、一人の女子生徒が笑っていた。
「女子は朝倉に決まりだな。じゃあ、白瀬と朝倉、二人でよろしく頼むぞ」
先生に名前を呼ばれた女子生徒は、笑いながら「はーい」と返事をした。
朝倉花。同じクラスになってから何度か名前を耳にしたことはあったが、話したことはなかった。
彼女は周りの友達と何かを話していたが、ふとこちらに顔を向けた。
目が合うと、彼女はにこっと笑った。
僕は軽く会釈をして、視線を机に戻した。
できれば、必要な仕事だけを済ませて、あまり関わらずに終わりたい。
そのときは、そう思っていた。
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