探偵、腹をくくる
レイヴンは本当に、自ら率先してスマイル夫人と契約書を結んでしまった。細々した条項を取り決める際に、スマイル夫人も真意をさぐろうと何度か確認していたが、本気だということがわかっただけで、最後には無言になっていた。
『あやつ、詐欺師じゃなく賭博師だったのか。それとも実は破滅主義者なのか?』
すべて部屋の隅で見聞きしていたハットがオクタヴィアの頭上で呆れている。オクタヴィアは疲れた顔で答えた。
「もうわけがわからない……」
「どうしたんだい、オクタヴィア。疲れた?」
「お前は元気そうだな」
「そりゃあ楽しくなってきたからね。さあ、早速商会の警備状況を調べにいこう」
にこにこ先に歩き出すレイヴンを、オクタヴィアは追いかける。
「本当にわかっているのか。契約書まで書いて、あれじゃあ君でもごまかせないぞ」
「わかってるよ。スマイル夫人が義母っていうはなかなか大変そうだ」
「恋愛結婚派じゃなかったのか」
先を歩いていたレイヴンが立ち止まって振り向いた。人気のない裏路地で向き合う形になり、オクタヴィアも足を止める。
「君こそ、どうしてそんなに気にするんだい?」
「気にするだろう! わたしのせいで結婚なんてことになったら」
「どうでもよくないかな? 僕のことなんて」
かっとなりかけたが、どうしてそんな思いが湧き出たのか自分でわからなかった。そういうわけのわからない怒りはよくないと、深呼吸をしてから、視線を落として拳を握る。
「……楽しいことは、大事だが。あまり自分を大事にしない行動は、どうかと思う」
「そんなつもりはないよ。だって自分の価値がわかっていないと、自分をチップにはできないだろう?」
「だから、自分を賭けに使うとかそういう考え方がよくないとわたしは言っているんだ」
「僕はね、結構長く不自由だったんだ。不自由ってどういうことだかわかる?」
煙に巻くつもりかと思ったが、いつも何か隠しているようなレイヴンの瞳の奥に、見知らぬ昏い光が宿っていた。返事に窮している間に、先に答えが返ってくる。
「自分の体を、命を、人生を、自分で使えないことだ」
「……使うって、そんな、自分を物みたいに言うんじゃない」
「自分を自分の好きにできないとか、二度とごめんだ。あんなのは僕じゃないね」
一段低くなった声に、オクタヴィアは口をつぐんだ。ハットがつぶやく。
『こいつ、貴族だろう? どんな生活をしとったんだ。いや、我らには関係ないが……』
そのままオクタヴィアの内心と同じつぶやきだ。
(……つまりわたしがどうこう言えることではない、が……)
もやもやとしたものは胸にたまっていくばかりだ。
「そんなに心配しなくても、勝算はちゃんとあるよ」
黙ったオクタヴィアを気遣ったのか、少し優しい声をレイヴンは出す。オクタヴィアは大きく息を吐き出して、首を横に振った。
「すまない、間違えたよ」
まばたくレイヴンの目を、正面から見あげた。
「君とコレット嬢が結婚するのが気に入らないなら、わたしが謎を解けばいいだけだ」
他人はどうにもできない、どうにかできるのは自分だけだ。
それをあやうくはき違えるところだった。
「気に入らない……って」
「心配するな、勝算はある」
難問を前にしたように立ち尽くしているレイヴンの横をすり抜けてから、振り返る。
「そうだ。念のため確認するが、コレット嬢と結婚したいわけじゃないな?」
「それは、もちろん」
「ならいい。行こうか。ああ、もし用事があるならどこでも好きに――」
「ついていくよ」
即答してからレイヴンが自分でびっくりしたような顔をした。そして口元に手を当てて、視線をさまよわせる。
「……君がよければ」
「何を今更。今まで勝手についてきたじゃないか」
迷子みたいな眼差しに笑って、オクタヴィアは歩き出す。
(まずは問題の人形を確かめる。わたしなら、一目でわかる)
もし帝国の遺産ならば、悪魔の遺産になってしまう前に登録せねばならない。在処をどうするかはそのあとだ。問題はむしろ、遺産ではなかった場合かもしれない。それなら怪異現象はひとの仕業、誰か犯人がいることになる。
(それにあの少女……どういうことだ。人形って何ができるんだ?)
ハットに確認できればいいが、斜め後ろにレイヴンがいる。おそるおそる、まるでひな鳥のようについてきているので、追い払うのは気が引けた。それにもし今から見にいく人形が帝国の遺産だった場合、販売経路は気になる。
とにもかくにも、まずひとつずつ、確認だ。
黙ってついてくるレイヴンを連れ、オクタヴィアは人形を保管しているという商会へと向かった。