探偵、不思議な少女を助ける
港に近いスマイル商会本部の建物は既に記者や野次馬でごったがえし、警察が何人か出入り口に立って交通整理をしている有り様だった。まるでお祭り騒ぎだ。
「怪盗クロウは何時に現れるの?」
「今夜九時だって! 警察は間に合うのかね」
「予告状は商会の掲示板に貼り付けられてたって。見てみたいんだけどなあ」
『えらい騒ぎだな』
オクタヴィアの頭の上にのっかっている唾広帽子のハットのつぶやきに、頷く。
「これじゃあ、話もできそうにない」
「オクタヴィア、スマイル夫人の屋敷に向かおう。そのほうが確実だ」
レイヴンに肩を叩かれ、オクタヴィアは頷いた。
スマイル夫人の住む邸宅は、灯台に登っていく小高い丘のふもとに建っていた。庭はないが、灯台へ向かう坂道には小さな薄紅色の花がいくつも咲いており、花畑の中に建っているようにも見える。
『おいオクタヴィア! あれは』
ハットにうながされたオクタヴィアは、坂道の花畑の中を下ってくる人影を見つけた。せいぜい十四、五歳くらいの少女が、小さな女の子を背負って歩いている。遠目でよく見えないが、少女のほうはお世辞にも綺麗とは言えない身なりだ。体に合っていないぶかぶかの服の裾が、ところどころすり切れていている。一方、背負われた女の子のほうは見るからに上等なドレスを着ていた。
同じものを見ているレイヴンが首をかしげる。
「あれ、コレット嬢じゃないかな。背負われてるほうの、小さい子」
見覚えがあるらしい。さすが記憶力がいいと、オクタヴィアは問い返す。
「背負ってる子に見覚えは?」
「ない。でもメイド……ではないよね、あの服は。近所の子とか? スマイル夫人の屋敷に向かってるみたいだけど……」
『オクタヴィア、確認しろ。あの少女、おかしいぞ』
「またお前がコレットお嬢様を連れ出しやがって!」
屋敷の裏手のほうから大声があがった。少女たちが花畑から向かった先だ。急いでオクタヴィアは駆け出し、屋敷の壁沿いにぐるりと回る。ちょうど、みすぼらしい少女が突き飛ばされたところだった。両腕を伸ばしてその背中を受け止めたオクタヴィアに、少女を突き飛ばした体格のいい男が驚く。
「な、なんだお前」
「こんな小さな子に何をするんだ、大の男が。恥ずかしくないのか」
少女の両肩を手で支えたままオクタヴィアがにらむと、男は一瞬気圧されたように顔をしかめたが、すぐ唾を飛ばして怒鳴り返した。
「なんだ、何も知らずに! こっちはお嬢様の安否が関わってんだよ、何かあったら俺らの責任になるんだ!」
「だからって突き飛ばすことはないだろう」
「こいつがふらふら周囲をうろつくから悪いんだよ! こんな気味の悪いガキ」
「コレットお嬢様は無事屋敷に戻ったんだろう? だったらいいじゃないか」
うしろからやってきたレイヴンに、男が黙りこんだ。オクタヴィアの横にやってきたレイヴンは、少女を見てにっこり笑う。
「うん、将来美人になりそうだ」
「は?」
つい毒気が抜かれたオクタヴィアから男へとレイヴンは向き直る。
「こいつは見逃してあげよう、オクタヴィア。めんどうくさい」
「そりゃこっちの台詞――」
「君はさっさと仕事に戻る。僕らは正面玄関からきちんとお邪魔する。それとも、今日から勤め先の心配も不安もない生活をしたい? いいね、天国だ。ご案内するよ」
オクタヴィアにちょうど背を向けているレイヴンの顔は見えない。だが、みるみるうちに青ざめていく男の顔色で、どんな表情かは知れた。こういうときのレイヴンは妙な迫力があるのだ。
「――二度とお嬢様に近づくなよ!」
警告だけ残して裏口から屋敷に入った男は賢明だ。レイヴンが振り返り、体勢を崩したままの少女に手を差し出した。
「大丈夫? 怪我はないかな」
「……はい。有り難うございます、お手数、かけます」
ぎこちなく答えた少女が、レイヴンの手を取らずに姿勢を正す。
「私が、悪い」
淡々としたつぶやきだった。言い聞かせているようだ。脅えも戸惑いも――言ってしまえば、感情そのものが感じられない。オクタヴィアは慎重に尋ねる。
「コレットお嬢さんを連れ出したのは、本当なのか?」
「いいえ」
「え、君。待って、名前は? ああ僕はレイヴンって言うんだけど」
「名乗るほどでは。おかまいなく」
脈絡なく、すたすたと少女は歩き出してしまった。振り向きもせず、きた道を戻っていく。目をぱちぱちさせて、レイヴンが肩をすくめた。
「不思議な子だね。追いかける?」
「……いや。やめておこう」
オクタヴィアは少女の背中から目をそらし、正面玄関に取って返す。まだ少女を見ているらしいハットが、頭の上でせっついた。
『いいのか、オクタヴィア。あやつ』
「君が慌てて助けにいくもんだから、てっきり何かあるのかと思ったのに」
『……やめておくか、こいつがいる間は』
だろう、とオクタヴィアは胸の中でだけ頷く。
改めて玄関に戻って呼び鈴を鳴らすと、すぐに扉が開かれた。
「オズヴァード侯爵、お話は聞いております。こちらへどうぞ」
中から出てきた執事に誘われて中に入ると、先ほどまでの海の匂いや港町の熱気が嘘のように消え失せた。大広間にシャンデリア、置物の甲冑。二階に向かって左右に分かれる階段とその踊り場にかけられた大きな絵画。貴族の邸宅に似た屋敷の造りに、いきなり王都に引き戻された気分になった。爵位がほしい、というのは本当のようだ。
案内された応接間で出されたのも、アンゲルス王国の伝統的な紅茶と菓子だった。
帽子のふりに徹して静かなハットを帽子掛けにかけ、オクタヴィアはレイヴンと一緒に腰をおろして、スマイル夫人の到着を待つ。
「僕と婚約してもらうしかないかもしれないな」
港町ならではの甘味がほしかったなどと思っていたら、横のレイヴンにぼそりとつぶやかれ、紅茶を噴き出しそうになった。