33話 まるっこ
いつもの生徒会室。いつもの夕方。
そしていつものメンバー三人と、今日は追加でもう一人。
「あれ、こんな所にまるっこがいる。なんで?」
「不真面目な生徒会役員の方たちの代わりに、会長のお手伝いをさせていただいておりますわ」
「……やあ。たまにくると思ったらタイミングが悪いよね君たち」
まるっこは目を合わせないまま読書をしている。誰がどう見ても仕事をしているようには見えないが、大熊は気にしないことにした。
「ふーん。そんなに生徒会やりたかったんだねぇ」
「もっと正確に言いますと、兄様に変な女を近寄らせたくなかったからですわ」
「え゛っ」
大熊はギョッとした。沢渡も静かに口に手を当てて驚いている。
二人は知らなかったのだ。ハンスとまるっこが兄妹だったという事を。
「今さらだけど西園寺ハンスと、西園寺まるっこだ。よろしく……」
ハンスの歯切れが悪いのはまるっこに怯えているからである。
普段、二人でいるときはとても温厚なまるっこなのだが、兄以外に対してはとても傲慢な態度をとることが多い。
それはまあ、特別な家庭に育った者として珍しくはないし、ハンスだってそういった行いをする。事実、当初沢渡に対して行った特別試験が最たるものだろう。
しかし、ハンスがまるっこに対して抱く懸念はそんな生易しいものではなかった。
まるっこは極度のブラコンでヤンデレなのである。
兄に対して恋愛感情を抱いているかはともかく、ハンスの近くにいる女性を問答無用で排除しようとするのだ。
だがハンスはそれを諌める資格が自分には無いと考えていた。まるっこをここまで歪めてしまった原因が自分にあるからだ。
もちろん兄として自分が妹を導かなければいけないという事も理解しているのだが、いかんせん普段はとても優しいまるっこなので、言いあぐねていた。
「……はっ」
「大丈夫? なんか元気ないみたいだけど」
「なんでもないよ。少し、ぼうっとしていただけさ」
こんな些細なやり取りでもまるっこの目は光っている。胸元に隠し持ったナイフを次の瞬間に全方位にばら撒きかねない威圧感でもってハンスを苦しめているのだ。
もちろん比喩である。
「普段なら顔を見るなりアリスカワイイヤッターとか言っ――」
「アー! あーお腹痛くなってきたー! トイレいってくるー!」
ハンスは殺気に耐えきれずに退室した。
「なんだ元気じゃん」
「……そういえばあなたたちも例のゲームをやってるんですの?」
「そうそう! その話をしにきたんだった。今ねー、無人島エリアでかんたんな家作ったとこだよ。まるっこもやってるの?」
「わたくしもプレイヤーですわ。兄様とペアで活動しておりますの」
まるっこも特にゲーム好きというわけでもないが、兄のためなら何でも極力手伝うし、何より視界の外に行く事を嫌がっていた。
「へー。みんなは今どんな活動してるの?」
「大多数はお遊びの延長ですけど、そのうち数パーセントのガチ勢は今度行われる大型イベントに向けての関連スキル上げと、今日から初心者バフが剥がれるので食糧調達ですわ」
「わ、饒舌になった。やっぱり兄妹なんだねぇ……ところで、初心者……ばふってなに?」
「バフというのはステータスに好影響を及ぼす……加護のようなものですわ。コーヒーを飲んだらカフェインの半減期がくるまでハイになるようなあの感じだと思ってくだされば分かりやすいかしら」
貴族的なのか庶民的なのか微妙な例えに、首を傾げながら頷く大熊。
「それで初心者バフの内容ですが、デスペナルティ無し・お腹が空かない・スキルが上がりやすい といった初めたばかりの方に優しいボーナスなのですわ。初日にゲームをプレイした方は本日、その有効期限が切れますの」
「ほえー。ということは更にハードになるのか」
「街の外にいるモンスターや動物のお肉を食べることになりますわね。まあ、初期所持金が1GもあるからNPCから真っ当な食料を購入するのもありですわ。基本NPC買いは悪手ですけど」
NPCとはNon Player Characterの略で、要するに人間が操作していないキャラクターである。ウームオンラインでは人工知能が搭載されている。
「えっ! お買い物だめなの?」
「このゲームは敵を倒してもお金を得ることはできませんわ。基本的にお金を得る手段は他のプレイヤーとのトレードのみ。だから倒した敵の肉や皮を加工して真っ当な製品に仕上げでもしないと、プレイヤーはお金を払いたがらないでしょうね」
この通貨のゲームデザインは野生のモンスターが人間のお金を持ち歩いているわけがない! という情熱的な理由1割と、無尽蔵にお金を生み出した後に起こり得る悲劇を回避する為にとられた苦肉の策9割が併合した結果である。
「なんてこった……私もうお金ないよ沢渡……。沢渡を助けるために全部使いきっちゃったよ沢渡……」
「ところでハンスが遅いな。少し様子が変だったし見てくるか」
沢渡は静かに退室した。
「まるっこって結構面倒見がいいよね。ハンスもだけど」
「ほめられても何もしてあげませんわ」
「ツンデレってやつだよね。男はそういうのに弱いんだってさ」
「そ、そうなのですか? わたくし、このままでよろしいのですか?」
クマの知識……大熊の偏った知識はすべて、有栖山で得たものである。
山を生き抜くサバイバル術はクマとしての生や沢渡の行動を見て学んだものである事は当然として、その他の自然界ではあまり得られないような知識をなぜ知っているのかというと、山にたびたび捨てられる漫画や雑誌の影響が大きかった。長く生きた大熊は絵や写真を通じて人の字を読み取るようになり、人里に降りずとも人間の生活をうかがい知ることができたのである。
「うーん。そうねぇ……べ、べつに兄様のことなんか嫌いじゃないんだらねっ!……って言ってみて」
「べ、べつに――」
それから男子二人が帰ってくるまで謎の特訓は続いた。
まるっこには友人と呼べる友人はいなかった。
自分には兄さえいればいいと思っていたし、事実兄以外の相手には冷淡な態度を貫いていた。
しかし最近になって、ハンスがこんな自分を心配しているということに薄々感づいていたのだ。
兄の心労を減らすための妹、という構図を何よりも大切にしたいと思っているまるっこは、少しだけ他人に対しても心を開こうとしていた。
その ″友達づくり″ のきっかけが、兄にも通じる男の気の引き方という話題であれば、乗ってくるのも当然のことであった。
「ただいま。ごめんね、なんか悪いものでも食べちゃったかなーははは……」
沢渡とハンスが生徒会室に戻ってくる。何か話し合ってきたようで、ハンスの表情は少しだけ和らいでいた。
「ごーまるっこ」
「……べ、べつに兄様のことなんか嫌いじゃないんだからねっ!」
「……は?」
ハンスは頭が真っ白になった。
「か、勘違いしないでよね!」
「おい……?」
「普段から兄様にべったりなのは、わたくしひとりになるのが寂しいからとかじゃないんだからね!」
「……」
「生徒会に……わたくし以外が指名されて、それですごく寂しい気持ちになってなんて……な、ないん――」
「まるっこー! よしよし」
「うぅぅぅ〜〜〜〜っ」
ツンデレまるっこも勢いは最初だけ。
涙声になり、こらえるあまり声が出なくなったところで大熊に抱きしめられた。
強い妹を演じてきたまるっこは、久しぶりに味わう人肌のぬくもりに心ほだされ、声をあげて涙を流した。
それは昨日今日味わった寂しさや悲しさだけでなく、兄を支えて誰よりも辛いことを我慢してきた分の涙でもあった。
「ま、まるっこ……」
「待て」
ハンスはいつも見てきた気丈な妹の裏側に驚き、近付こうとしたが沢渡に制止された。
ここで触れでもしたら、またふりだしに戻ってしまう。沢渡はそう直感した。
実際、まるっこは続きの言葉を紡ぎ出そうとしていた。
「兄さん……でも大丈夫。私は友達をつくることにしたから」
大熊は親指を立てた。
沢渡も親指を立てた。
「だから……見捨てないでね……兄さん」
しかしまるっこのブラコンが治るにはまだまだ時間がかかりそうである。




