21話 強熊
大熊ともっと話したい事はあった。
だが、それを全て伝える事はなかった。
今晩を乗り切る糧としたかったし、何よりも時間が足りなかった。
引いていた症状の波は揺り返し、強い痛みを伴って俺の身体を縛り上げ始める。
「グゥッ……!」
できる限り声は出したくない。痛がる姿も見せたくない。
そう思うからこそ、耐えられる。
腕の中にいる大切なものを強く意識することで、俺は俺のままでいる事ができる。
「……ぎっ……ぎぎィイ」
――それでも痛みを耐えた先に待っているのは、さらに上の痛みだった。
全身、つま先から頭のてっぺんまで針金を通されて、ピンと引っ張られているような痛みに頭がおかしくなりそうになる。
力を入れる入れない以前の問題だ。問答無用で、操り人形のごとく力が入ってしまう。
以前これを一度味わった時、どう思ったのかを思い出した。
これは気合いや精神論でどうにかなるものじゃないと、そう思ったんだ。俺はあの時、確かに死を覚悟していた。
「あがっ……ガァああァアアアっ!!」
あの時よりさらに鍛練を重ねた俺は、今回も気合いでどうにかなると頭のどこかで考えていた。
しかし、そもそもの前提が違った。前回破傷風を乗り越えたのは、たまたま、運が良かったからなんだ。
「ゥウウウウウッッ! ウウゥッッ!」
じゃあ今回は?
気合いでなんとかならないんだぞ?
死なないようにお祈りするだけか?
だれに……?
「がんばれさわたり。がんばれさわたり」
なにか、あたたかいものが腕の中にいる。
おれは、それを恐ろしい力で抱き締めていた。
いや、絞め殺そうとしていた。
「くっ……そ……っううぅう」
"痛い"と言ってくれと伝えたはずなのに、よりによって応援か。逆に力が入ったらどうするつもりだ。
しかし本当にまずい。
痛みのあまり大熊を抱いている事を忘れかけていた。
またそうなる前に今の内に解放して――
「だいじょうぶだよ。だいじょうぶだよ」
――ああ。
抱きしめているのは俺だけじゃないのか。
大熊が俺をつかむ力は強く、離すまい、行かせまいと震えているのが分かった。
きっと恐ろしい思いをしているはずなのに。
延々と暴れる俺に嫌気が差してもおかしくないはずなのに。
ただ、ひたすらに声をかけ続けてくれている。
「ぅう……ッ」
応えなければならない。
このたたかいは俺だけのものじゃない。
そして、勝つ為に必要なものは気合いでも、運否天賦でもない。
俺は、大熊との約束を果たす。
腕の中のあたたかい存在を、守り通すんだ――。
…………
……
…
いつの間にか意識を失っていた。
板で塞がれた窓、そこからわずかに漏れた日光が俺たちを照らしている。
眩しいけれど、心地が良かった。
大熊は涙と汗でぐちゃぐちゃになったまま寝息を立てている。長い髪が乱れに乱れていたので、できる範囲で整えてやると、くすぐったそうに身をよじらせた。
「起きているのか?」
「……すぅ」
深く眠っているようだった。
無理もない。自分よりもずっと大きな男が暴れるのを、夜通し抑えていたのだから。
ちゃんと拭いてやりたかったが、身体に力が入らない。まだ休息が必要みたいだ。
大熊には、もう少しだけ付き合ってもらうことにしよう。
俺は再び、穏やかな心地でゆっくりと意識を手放した。
…………
……
…
そして再び意識が戻ってくる。
とても心地が良い。
どうやら誰かに頭を撫でられているようだ。
このまま目を開けてもいいものか迷っていると、すぐ側から子守唄が聞こえてきた。
「ねーんねーんふふーふーん……くまどりるー」
……子守唄ではないのかもしれない。
完全に目を開くタイミングを失った俺は、そのまま事が過ぎるのを待つことにした。
「あっちにばん こっちにばん くまは荒野のさばいばー」
変調子というのだろうか。中々曲が終わらない。
聞いていると頭がどうにかなりそうだったが、それ以上に俺の頭を撫でてくる手が心地良かった。
「いっしょにとぼうー おおぞらへー びゅんびゅんぎゅるるん」
正直な話、そのまま撫でられるのを許していることが恥ずかしい。沢渡はそういうやつだったんだ、と大熊に思われるのは抵抗がある。
だから、俺はあえて撫でられているのだ。
たった今目覚めた事にして、何事もなかったかのように振る舞うという手もある。
だがそれは――
「ふふふ。 いいこいいこー」
それは、ちょっと最後まで取っておこうと思う。
「……」
少しすると歌う声が止み、静かになった。
心臓の鼓動がやけに大きく感じる。平常心を装ってはいるが、果たして俺は心音までコントロール出来ているのだろうか。
目を閉じながらそんなことを考えていると、大熊がもぞもぞと動き出した。
「ふぅ~~っ」
「……っ」
突然、右耳に息を吹きかけられた。
危うく飛び跳ねそうになったが、なんとか気合で己を制する。
というか、俺は意地になってまで何を我慢しているんだ……?
だんだんと冷静さを失っていくのが分かる。
しかしまだ、まだ自覚できているなら大じょ──
「さわたりはおおくまが好き……さわたりはおおくまが好き……」
いや、だいじょばない。
やつは俺を洗脳しようとしていた。
寝ている俺の耳元でささやく事で、淫夢を見せようと企んでいるに違いない。
……そろそろ起きるべきだ。これ以上エスカレートさせたら大熊にも悪い。
「さわたりぃ……? くまに死んだフリは通用しないんだぞぉ……?」
「ぬわーっ!」
カッと目を見開く。
大熊はイタズラっぽく笑っているが、照れているのか顔を紅潮させていた。
俺は一瞬……気をやりそうになったが、まだ欠片ほどの冷静さが残っている。
「はっ! ここは一体……」
一芝居打つ。どう出る大熊。
「沢渡、演技へた……」
「……」
なるほど。俺に合わせる気は無いらしい。
それなら、こうだ。
「わっ」
黙って大熊を抱きしめた。
大熊は抵抗せずに体を預けてくる。
なんだかいじめてやりたいと思ってしまった。抱き寄せる腕に力が入る。
「あうぅ……」
「痛かったら、痛いって言うんだぞ」
「んん……だいじょうぶ」
「……俺はまだまだ、大熊には勝てそうにないな」
「おねーさんだからね」
俺達はしばらく、そうやって時間を過ごした。




