19話 ゴブリンスレイヤー
緑、緑、緑。
見渡す限り緑色だが、ここは原っぱなどではない。
凶悪なゴブリンの群れ、その真っ只中である。
「うおおおおおおおッッ」
空中を滑走する快速電車のような沢渡のドロップキックは二十匹ほどのゴブリンを吹き飛ばして止まった。
もっと先に見えていたはずの獲物が突然眼の前に突っ込んできた事に対し、ゴブリンたちは一瞬ひるむ。
そして、その隙を沢渡が見逃すはずもなかった。
「せいッ……! ふんッ……!」
「グギャーッ!?」
沢渡のしなるチョップが二匹の後頭部に突き刺さり、ゴブリンの頭蓋越しにあった目玉を勢いよく弾き飛ばす。続く丸太のような回し蹴りは三匹のゴブリンの首を瞬時にへし折った。
しかし一度にそれだけやっても、ゴブリンは沢渡のまわりに数を増やしていく。
「クケケケ! キヒャァァァア」
様子見をやめた一匹が飛びかかると同時に、複数のゴブリンが飛び跳ねながら沢渡へとナイフを突き出した。
「遅い!」
沢渡は足裏で切れ味の悪い錆びたナイフをさばいていく。凶器をぎりぎりのところで避け、あるいは身体をかすめながら、すれ違いにラリアットを打ち込む。顔に張り付こうとする個体にはヘッドバットをお見舞いする。
確かに沢渡はゴブリンの攻撃に反応出来ていた。
しかし、それは時間の経過とともに、着実に沢渡の身体に生傷を増やしていく。
「ここまでしつこいとはな……」
沢渡は少しだけ後悔していた。
大熊がいる手前、やや勇み足になっていた事は自覚していたが、それでも勝算があっての突貫だった。
卑怯で臆病なゴブリンの群れの機先を制し、その中心で大立ち回りをすれば、各個体は死を恐れて逃げ出す……はずだった。少なくとも、生き物の本能としてはそこで逃げ出すのが正解なのだ。
それでも逃げ出さず、自分の命をかえりみずに立ち向かってくる。
本能を捨て置き、そんな行動原理が働くとするならば、それは何か重大な理由によって突き動かされている時である。
例えば、沢渡のように何か大切なものを守りたい時。
「ハァッ……! このッ……!」
「ギヒャヒャヒャヒャーッ!」
しかし残虐なゴブリンは、とても沢渡と同じような行動原理があるようには見えない。
他に考えられるのは、絶対的な命令権を持った司令塔により統率されている時だ。
「ぐうッ……」
ゴブリンを倒すたびに負っていく傷は決して深いものではないが、その数を増やしていくたびに少しずつ沢渡の動きを制限していった。
そして、その負担はもう限界に近づきつつあった。
「ギヒャーーーッッ!!」
バランスを崩した沢渡の頭上から大量のゴブリンが飛びかかる。
その時、沢渡はゴブリン達の隙間から目撃した。
高壁からこちらを見下ろす、黒い鎧を着た男――アザレアを。
見えたのは一瞬で、すぐに飛びつくゴブリンたちの壁で視界が覆われた。
流石に沢渡ひとりでは対処しきれない数である。さらに姿勢が崩れている現状では成すすべもなく――
「うおおおおおマナ撃ちマナ撃ちマナ撃ちィッッ」
大熊がスライディングしながら沢渡の隣へ潜り込み、空中のゴブリンを撃ち落としていく。
さながら二丁拳銃スタイルのガンマンのごとく、両手から交互に魔法の空気銃を発射していた。
「大熊!」
「おまたせ沢渡! おいら、銃がもう一本ある事を忘れてたぜっ」
完全にガンマンになりきっている大熊は、人差し指に息をふっと吹きかけてウィンクをした。
「やっぱり強いな。大熊は」
「あんちゃんのおかげだぜ!」
それからの二人は強かった。
沢渡が正拳突きでゴブリンをボーリングのピンのごとく弾き飛ばし、その隙を埋めるようにして大熊の二丁拳銃が閃く。
「ばん! ばん! ヒューっ、まだまだおいらの魔力はご機嫌だぜー!」
「ハァッッ吹き飛べッ!」
ゴブリンは二人に触れることすらかなわず、次々と数を減らしていった。
そんな渦中を観察していた高壁のアザレアは、苦虫を噛み潰したような表情で右手を挙げた。
すると城門を攻撃していたゴブリン達が反転し、沢渡達一点へと狙いを定める。
「また勢いを上げてきたな。やはりあいつが指揮官か」
「沢渡、ちょっと時間稼げる?」
「いいぞ。任せろ」
二人は短く会話し、役割を決めた。
「はぁぁぁぁ……付与……」
ゴブリンの圧力は苦戦していた時よりも更に強くなっているが、沢渡はそれら全てを払いのける。大熊を信じ、残る力の全てを現在に注ぎ込んでいた。
「沢渡さんきゅー! いくぜ! ……飛翔熊翼!!」
大熊の背中から赤金色の熊の翼が音を立てて伸びていく。
怯むゴブリンをよそに、めきめきと成長した熊の翼を大熊は即座に羽ばたかせた。
「うおおぉぉ! 飛ぶぞ! 飛ぶぞ! 飛ぶぞ! おりゃおりゃおりゃ!」
ひゅん、ぶぉん、ごぉぉぉ。
「ゲギャッ!」
「ガギッ……ッ!?」
「グゲグゲッ……」
大型爆弾が投下されたような轟音と暴風が辺り一帯を蹂躙する。
体重の軽いゴブリンはあっさりと宙に浮き、乱れた気流に振り回され、呼吸が出来ずに死んでいく。
ゴブリン同士が空中で何度もぶつかり、細かい肉片となってなお宙を舞う。
乱気流を逃れたゴブリンは高速で壁に直進し、青色の染みを作っていく。
「うわははははは! わたしは自由だ! 空をとんでいるぞ!」
無邪気……と呼ぶには少し怪しいが、大熊は嬉々とした声をあげながら縦横無尽に飛び回る。
大熊が通るたびに新たな気流が発生し、既存の気流とぶつかり爆発的なエネルギーが発生してゴブリンたちをずたずたに切り裂いた。
「大熊もう止まってくれっ……俺がもたない」
「あっ! 沢渡ごめん、あはは……」
青緑色の暴風雨の中、沢渡は腹ばいで精一杯叫ぶと、大熊は苦笑いを浮かべながら地上に降りた。
徐々に風が止み、今までの大惨事が嘘だったかのような静けさがあたりを覆う。
もう生きているゴブリンの姿はどこにも見当たらなかった。
「沢渡、立てる?」
「おう」
沢渡はゆっくりと立ち上がり、城門で死線を戦い抜いた看守や兵士たちに親指を立てた。
大熊も同じように親指を立てた。
「うおおお! 俺たち勝ったんだー!」
「君たち二人は英雄だ! ありがとう」
城門の兵士たちが勝利を確かめ合うように声をあげる。
二人だけになった広場には虹がかかっていた。
「もう! 沢渡が無茶した時はどうなるかと思ったんだから」
「うむ──」
どさり、と沢渡がその場に倒れ込む。
「さ、さわたり? こんなところで寝たらべちゃべちゃになるよ?」
「ハァ……ハァ……」
「さわたり……? うわ、あつっ!?」
沢渡は尋常ではない熱にうなされ、意識を失いかけていた。
倒れた沢渡を見て、兵士たちがどよめき始める。
「君たち! 兵舎から担架を持ってきて。消毒用の酒と包帯もありったけだ! ぼうっとしてないで早く!」
看守は立ち尽くす兵士たちを叱咤し、沢渡の元へ駆けつけた。
呼吸と心音、それから瞳孔を確認し、首や唇に触れていく。
「意識が混濁してる。ゴブリン達の汚い刃物にやられたみたいだね。とにかく、応急処置をしてからベッドのあるところに連れて行くよ」
「さわたり……さわたり……」
大熊はうわ言のように沢渡を呼びかけながら、ぺたぺたと肩を叩いていた。