DAY 7
北原高校文化祭当日。早朝の学校は準備で賑わっていた。
「唐都木~。次このパネルを体育館」
人混みをかき分けながら、長谷が蒼いパネルを運んでいる。海を表すためにかなりの量のパネルを作ったんだ。男一人でも一気には運べない。
「持ちすぎだ一紀。半分持つから。ほら」
「へへっ。さんきゅ」
蒼いパネルを抱えながら、体育館の方へ歩く。蒼く塗られたベニヤ板は、あの日、朝日の光で照らされた洞窟の色にも似ていた。
「演劇部の発表は真ん中ですね~。あっ、的羽先輩~! 長谷先輩~!」
体育館の入り口で、小道具を運び終えた藤崎が手を振っていた。相川と会話をしていたのだろう、藤崎は隣にいた相川の肩を掴むと前に彼女を立たせた。
「見てください先輩、私の超魔法! これで観客の男子の心臓わしずかみです! ぐしゃっと!」
「藤崎、それ物理的に心臓掴まれてないか?」
「長谷先輩だけは物理的に掴まれてください」
「理不尽」
平常運転の2人はひとまず置いておいて、相川の顔を覗くと、恥ずかしそうに俯いた相川の腫れた頬には、珊瑚やヒトデのペイントが施されていた。
藤崎の言葉通り、施された化粧の出来は一種の魔法と勘違いするほどだ。
腫れた部分を逆に利用したフェイスペイントは、よくよく見なければ描かれたものだとは考えられないくらい、リアルに肌に馴染んでいる。
「すごいな。本当に頬についているみたいだ」
「気になるからって触っちゃ駄目ですよ。ほら、それより先輩、相川先輩に一言」
腕で腹を小突かれ、俺はパネルをうっかり落としそうになる。
ああ、そうか、相川に一言・・・。
「似合ってるぞ、相川。まるで本当に人魚みたいだ」
「・・・」
「わ~。唐都木。イケメーン」
「わ~」
仲がいいのか悪いのか。長谷と藤崎は俺を冷やかしながら体育館の方へと走っていく。朝から元気だなあいつらは。
俺も早く手伝いに戻ろうと、すると、後ろから袖を掴まれた。
「待って。的羽くん」
相川が、俺の制服の裾をつまんでいた。
相川が俺を止めている力は弱い。振り払うことだってできた。
できたはずなのに、俺はできなかった。
「どうした、相川」
「・・・勘違いだったら気にしないで。的羽くん、どこか痛むの?」
相川の一言が、俺の心臓を貫いた。
どくん、どくんと心臓が脈打つ音が身体を振動させている。
「相川、お前、どうして」
どうして、俺の痛みに、気づいたんだ?
「顔、泣きそうだったから」
その一言で、俺の「何か」が崩壊した。
ざわざわと、近くにいた生徒の視線を感じる。パネルを持ったまま泣いている俺から、相川はパネルを取り、体育館の入り口に置くと、俺をどこかに連れて行った。
誰もいない、グランド裏。赤木の喫煙スポットに、俺はいた。
情けないことに、涙の止まらない俺を周りの生徒から隠すため、相川が連れてきてくれたのだ。
「相川、すまん」
「いいよ。発表までに治まりそう?」
優しい声音の相川に、俺は頷くことができなかった。
「俺、わからないんだ。これが何なのか。この気持ちが、わからないんだ」
「・・・的羽くん」
言葉を詰まらせながら、俺は相川にクレアのことを話した。
人魚が洞窟にいた。なんていくら相川だって信じっこない。
それでも、転んだ子どもが「痛い」と泣き叫ぶのを我慢できないように、俺は言葉にすることを辞められなかった。
俺の頼りない言葉を、相川は笑うことなく聞いていた。そうして彼女は、俺が全ての言葉を吐き終えると、はっきりとした声で言い放った。
「的羽くん。洞窟に行って。そこで、全部クレアさんに思ってることをぶつけてきて」
「クレアは! もういないんだ!」
「いなくても! 的羽くんの気持ちはずっとそこにあるの!」
泣きじゃくる俺の肩に手を当てて、相川は叫んだ。
「的羽くんが苦しいのは、心がそこに置いてけぼりになってるからだよ!? だから劇が始まる前に迎えに行って!」
相川の怒号に驚いて顔をあげると、そこには強く、まっすぐに俺を見据える相川がいた。
「行って。的羽くん。待ってるから」
「・・・相川」
彼女は俺の涙をそっと拭って、いつかの夕焼けの中で見せたような顔で、微笑んだ。
海へと続く坂道を、駆け下りている。
頬も顔も、身体も熱い。湿った空気を肺に送りながら、洞窟へ走る。
浜辺に着く頃には、しとしとと雨が降っていた。
息苦しい夏の雨が降る砂浜を走ると、足がもつれて何度も倒れた。
人魚姫も、こうやって、頼りない足取りで砂を踏んでいたのだろうか。
肩で息をしながら、洞窟を覗く。
そこに、クレアはいない。もう日はとっくに登っているのだから、当たり前だ。
「クレア、俺は、きっとお前が好きになってたんだ」
彼女がいつも座っていた場所に、膝をつき、海水の水面に呟く。
頬から、暖かい滴が海に落ちる。何粒も、何粒も。笑える程情けない顔の男が、いなくなった人魚に涙を落としいた。
「どうすればいい? お前がいないのに、俺はこんなにも、お前が好きなままなんだ」
洞窟の外では、まるでシャワーのように強い雨が降っていた。
一体、どれほどの時間が経ったのだろう。時間の感覚は、いつの間にか完全に麻痺してしまっていた。
「唐都木」
それは、幻聴だったのかもしれない。聞いた事が無いのに、耳にすれば恋しくなる、透明な声が、水面の底から聞こえてくる。
「私を好きでいてくれて、ありがとう。私も、あなたが大好きよ。だから唐都木、あなたがやるべきことを、精一杯頑張って」
「クレア・・・」
声はもう聞こえない。腕時計は、開演までもう時間がない事を示していた。
呼吸を整え、立ち上がる。
クレアは、最後まで俺を応援してくれていた。
あの人魚姫を、幸せになる物語を、好きでいてくれた。
「舞台に。行ってくるよ」
誰もいない洞窟に、俺の声だけが響く。寂しいはずなのに、心は不思議と穏やかだった。




