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 それからしばらくは、野村と顔を合わせる事がなかった。異動に向け、得意先などに挨拶に回ったり、事務所に来ても色々とする事があり、忙しくしている。と、大和が言っていた。

(このまま会わずにお別れかもしれないな)

 漠然と考え、ほっとするような惜しいような感覚になる。

 最後の日には、野村も来て挨拶をするだろう。けれどその日晴奈はアルバイトに入っていない。あえてさけたわけではなく、ローテーションの関係だ。

 もし見かけたら、お世話になった礼くらいはしよう。品物を贈る雰囲気ではなくなってしまったけど。

 

 夕方、仕事を終え、晴奈は事務所の外へ出た。暮れかけた空がきれいに見え、見上げてしばしたたずむ。すると、後から人の気配がした。振り返り、一瞬体が緊張する。

「三井さん、今帰り?」

 野村がこちらに歩いてくる所だった。本来いる仕分け組の人達は休憩時間らしく、他に人はいなかった。

 野村は笑みを浮かべて言った。

「今回は、驚かせなくてすんだかな」

 そういえば、野村に声をかけられた時は毎度大きなリアクションだった。思い出し、恥ずかしくなった。すみませんと思わずつぶやくと、謝るのはこっちの方なんだけど、と野村は苦笑した。

 数秒沈黙したのち、野村が言った。

「あのさ、この間…飲み会の時は、余計なこと言ってごめん」

 晴奈は顔をあげ、野村と目を合わせた。困ったような表情が見えた。

 まさかこんな展開になるとは思っていなかった。会っていなかったとはいえ、日はだいぶ経っている。もう忘れたものと思っていた。

「あ、あの、私こそすみません。何か失礼なことを…」

「いやいや。失礼なのおれの方だし。ちょっと…酔ってて。言い訳なんだけど」

 右手を軽く上げ、晴奈の言葉を制するようにしながら野村が言う。いつも冷静な彼らしからぬしぐさに、晴奈は親しみを感じた。こわばっていた気持ちが解ける。

「いえ、野村さんの言う通りですから。私もちゃんと、人の中に入っていけるようにならないといけないですよね」

 彼の言うことが胸に刺さるのは、真理をついているからだ。晴奈にとって弱い部分を指摘されるから。他の人からすれば何てことのないアドバイスだが、晴奈にとってはそうではなかった。けれどそれは晴奈の側の問題だ。野村は悪気があったわけではないはずだ。

 晴奈の言葉を聞いた野村は、目尻を下げ、困ったような表情で頭をかいた。しばしあさっての方向に目をやった後、晴奈に向き直った。

「おれ、三井さんと同じ年くらいの妹がいるんだ。タイプも似てるから…なんか心配で。余計なこと言ったりしたのはそのせい」

 思っていなかった理由に晴奈は驚き、同時に腑に落ちた。晴奈にも兄がいるので、想像はできる。こちらの兄は野村とは似ても似つかないオタクだが。

「妹さんも大学生なんですか?」

 晴奈が言うと、野村は一瞬言葉を失い、それからぽつぽつと話し始めた。

「年齢的にはそうだけど…。うちのは、少し前から、ちょっと…引きこもりみたいになってて」

 あまりに意外な話に、晴奈はまじまじと野村をみつめた。彼のこれまでの様子を振り返っても、深刻な背景があるとは感じられなかった。

「あっ違うよ!? 似たタイプってさっき言ったけど、三井さんはずっとしっかりしてるし、学校も仕事もがんばってるし」

 あわてて手を振り野村が言うのを、そんなこと気にしないのに、と思いながら耳に入れる。

「ただ…どちらかというとおとなしい感じで、同じ年くらいっていうのが、妹とだぶっちゃってね」

 うつむき加減で苦笑いする野村を、晴奈は静かな気持ちでながめた。

 今目の前にいる野村は、普段の鋭さが減っている。どことなく気弱な部分が見える。

 器用に何でもこなしているように見える彼にも、さまざまな事情があるのだろう。そんな当たり前のことを、初めて晴奈は実感する。

「あの…野村さん」

 晴奈が声をかけると、野村がゆっくりと顔をあげた。途方に暮れたような視線に、どきりとする。何とか言葉を絞り出した。

「妹さん…大丈夫だと思います。心配してくれる人がいれば、時間はかかるかもしれないけど、また、頑張れます。私も、野村さんのおかげで、少し頑張れるようになった気がするんです」

 意外そうに目を見開く野村に、晴奈は続けた。仕分けの仕事ができるようになったこと、それをきっかけに他の従業員と親しくなれたこと。

「仕分けは、三井さんに向いてると思ったんだよね」

 いくらか仕事用の雰囲気に戻り、野村が笑った。みずほの考えとは違うようだが、確かに晴奈のためを思って仕分けの仕事を教えてくれたらしい。鈍感な自分に今更恥ずかしくなった。顔を隠すように頭を下げる。

「あの…本当にありがとうございました。異動先でも頑張ってください」

「うん。ありがとう。三井さんも」

 晴奈が顔をあげると、目の前に穏やかな笑みがある。どこかなつかしむような、さみしげな表情。

 晴奈はもどかしくなる。もっと言うべきことがあるのではないか。妹というプライベートなことを話してくれた彼に対し、上手く言葉を返せていない。

 何か言わなければと考えているうちに、従業員が休憩から戻ってきた。野村も彼らに呼ばれ、仕事に戻っていった。

 仲間とやり取りする野村の背中を、思わず目で追いかける。だがすぐに奥の方へ消えた。

 晴奈はがっくりとしてため息をつく。せっかくのチャンスだったが、充分に伝えたとは言い難い。残念だが、彼と会う機会はもうないだろう。晴奈も学校の用事があり、しばらくアルバイトは入れていない。次に来るのは、野村がすでに異動先で頑張っている頃だ。

(ここでお別れかー)

 拍子抜けする結末だ。随分前から地味に悩んでみずほにぐちをこぼしたりしていたのに。

 みずほに報告する時のことを想像して、晴奈は笑う。きっと彼女にとってはツッコミ所が満載だろう。そして結局笑い話になるのだ。

 野村がいなくなっても、晴奈の日々は続く。アルバイトも就職活動が忙しくなるまでは続けるつもりだ。野村の側も同じ。この事務所を離れても、人生は続いていく。

 不思議な感覚にとらわれ、顔をあげた。

 変わる年月の中、たまたま野村と出会ったことで、晴奈の行動は少しだけ変わった。ただ一人の影響がこれだけ波紋を呼ぶのなら、これから会う人々とはどんな関わりになっていくのだろう。

 見上げた空は赤く、夕日がまぶしくて手をかざす。

(いつのまにか、日も強くなってる)

 晴奈は笑って空に向けて手を振る。

 そして再び前を向き、いつもの道を歩き出した。

 

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