文化祭とライブとそれから
それから二人で文化祭の準備をしながらも、僕は頭ではずっと他のことを考えていた。
どうして榛原は林間学校のことを知っていたのか。なぜ林間学校のことを聞いてきたのか。
彼女は林間学校のことをずっと聞きたかったと言っていたが、それはどういう意味なのか。
そして、僕はどうして榛原と姉さんが似ていると思ってしまったのか。
榛原と一緒に文化祭の買い出しに行っている最中も、彼女は何かにつけて僕を優しいと言ってくれた。
スーパーで買った荷物のうち、重い方を持てば優しいと言われた。
文化祭準備を手伝うと言われ、「大丈夫だからそれより榛原さんはゆっくり休んで明日一緒に頑張って、頼りにしてるから」と言えば優しいと言われた。
「優しいね」と言われるたびに心の奥の方が、きゅっと縮こまり、そしてフワフワした。
「優しい」だなんて、今まで何度も言われたことがある。そんな言葉には何の意味もないと思っていて、むしろ媚びるようなその言葉に嫌気がさすこともしばしばだった。
けれど、彼女が笑顔を浮かべながら口にするその言葉は、僕にとって特別なものだった。
街灯が照らす夜道を歩いている最中、僕はこんなことを言った。
「榛原さんは優しいって言ってくれるけど、それは過大評価だよ。実際、ほんとはちょっと怒ってるし。榛原さんの前だからカッコつけてるだけだよ。心の中では、学校に火でもつけて全部燃やしちゃいたいって思ってるし」
「そうだね。燃やしちゃいたいね、あんな学校」
榛原はまた、僕の話なんか聞いてなかったみたいに笑った。そのぞんざいな感じが、やっぱりどこか姉さんに似ていた。
虫の鳴く音だけが、やけに鮮明に聞こえていた。
その晩、文化祭の準備をしていたら結局朝になっていた。多少頭はぼんやりしていたが、どうせ布団に入っても寝付けなかっただろうからと思えば諦めもついた。
一時間半ほど机の上に手を組んで眠り、シャワーを浴びて学校に向かった。やらなければならないことはまだまだたくさんあった。
もうすぐ昼の二時。ようやくお客の波も落ち着き、僕はお昼ご飯を食べる時間が取れた。
クラス展示のレストランは思っていたよりもずっと順調に営業できていた。お客の回転率もいいし、クレームもほとんどきていない。多少、シフトに穴をあけるやつがいたりはしたが、僕と榛原で埋められる程度の穴だった。
きっとこういうものは最初の加速だけつけばあとは慣性の法則で勝手に進むものなのだろう。
僕は少し得意げだった。めんどくさくてやりたくない集団行動も、ちゃんと頑張ったのだ。リーダーシップをとって、出しゃばり過ぎないように気を付けて、周りの人をやる気にさせて。佐久川の時みたいに、失敗をしないように丁寧に。きっと姉さんならこうしただろうっていうふうに。
ただ一つできなかったことと言えば、住永たちと残った料理班のメンバーの仲直りだった。そもそも間を取り持とうにも、彼女たちが教室に現れなかったのだ。昼過ぎに少し様子を見に来たらしいが、自分たち抜きでもお店が回っているところを見て拗ねてしまったのかもしれない。
たこ焼きを一口で食べる。中にタコが入っていなかったが、寝不足の頭ではそんなことはすぐにどうでもよくなった。
焼きそば、たこやき、クレープ。
どれも榛原が二つずつ買ってきてくれたものだ。オムライスやらハンバーグやらはもう見たくもなかったのでありがたかった。今回はしっかり榛原の分までお金を払うと申し出たが、結局一人分も満足には払わせてもらえなかった。
「椎名君、あのメニューとかの準備、一晩で終わらせたの? すごいね。もしかして寝てない?」
「いや、ちょっとは寝たよ」
「やっぱり。お疲れさま。ごめんね、昨日やっぱり手伝えばよかったね」
俯く榛原に僕は強く首を振った。
「ううん、大丈夫。ちょっと疲れたけど」
「じゃあ今日はもう帰って休んだほうがいいんじゃない? 大丈夫だから、私に任せて」
「うん、ありがとう。そうしたいんだけど、明日、部活のライブがあるからそっちの練習があるんだ。だから帰れなくて」
「そうなんだ、大変だね。でもそれならなおさら今日はゆっくり休まないと。じゃあどうしよう、その練習って時間決まってるの?」
「うん、三時から三時半まで」
「それじゃあ三時まで休んでなよ。保健室とかで寝てたら? 私、起こしに行くよ。それで練習終わったらすぐ帰ったほうがいいよ」
「うーん、じゃあ三時まではクラスのほうを手伝って練習が終わったら真っ直ぐ帰らせてもらおうかな」
「ほんとに? 大丈夫? 無理にクラスのほう手伝わなくても」
根掘り葉掘り聞いてきたりする心配性なところも姉さんにそっくりだなぁと僕は眠い頭で思った。
「ほんとに大丈夫だよ、ありがと」
「ほんと? じゃあわかった。三時以降は私に任せて」
顔を覗き込んで何度も尋ねる榛原のせいで、僕は別の理由で大丈夫じゃなくなってしまいそうだった。
「うん、お願いします」
「任されました。ねえ明日のライブ聴きに行きたいな、行ってもいい?」
「うん、ちょっと恥ずかしいけど。ありがとう。十一時から体育館でやるからもしよかったら」
「十一時に体育館ね、わかった。絶対行くね」
僕はガラにもなく、榛原の明るい声を聞いているだけで元気をもらえたような気がした。
練習は上手くいった。リハーサルなので一通り頭から通したら終わりだし、夏休み中ずっと練習していたのだ。手が次にどこを押さえればいいのかを覚えている。少々眠いからといって間違えたりはしない。
今回やる曲は最近流行りのポップスで、アップテンポのラブソングだった。今まで何も考えずに歌っていた曲が、今日はちらちらと榛原の顔が浮かんできて少し戸惑った。浮かんでいるイメージを振り払いながら無我夢中で歌っていると、いつの間にか曲は終わっていた。もしかして、好き勝手やってずれたかもしれないと不安になったが、二人は「調子いいじゃん」「ちょっと走ってたけど、ちゃんと声出てたよ」と言ってくれた。
その日は榛原との約束通り、真っ直ぐ家に帰り風呂にも入らずすぐに眠りについた。明日がくるのが楽しみだった。
翌日は五時に目が覚めた。まだ日が顔を出し始めたところだった。茜色に染まる空を見て、一瞬、丸一日中寝てしまったのかもしれないと焦ったが、それが杞憂に終わることは何となくはわかっていた。
一日の始まりを告げる空と、一日の終わりを告げる空は違う。これは始まりの空だった。
昨日までの疲れは微塵もない。身体も軽く、頭も冴えていた。今なら何でも出来る気がした。六時に設定しておいた目覚ましを止め、シャワーを浴びる。朝ごはんを済ませて家を出た。
いつもより空いている電車に乗って学校をめざす。まだ早い時間なのに学校には生徒がちらほら来ていた。みんなじっとしていられないのだろう。
足早に教室に向かい、昨日の片づけと今日の準備を始めた。
しばらくすると三木が来た。
「おはよう、早いな」
「おはよ。昨日早く帰っちゃったからね」
「何か色々あったみたいだけど、椎名のおかげでなんとかなりそうだな」
「ううん、みんなが手伝ってくれたおかげだよ。昨日だって榛原さんがいたから早く帰れたし。内装班も三木がいなかったら間に合わなかったと思うよ」
三木は少し照れたらしく、「椎名って時々恥ずかしいこと真顔で言うよな」とはにかみながら言った。
それから程なくしてクラスメイトも集まってきて、開店準備が整った。秋晴れの日曜日、文化祭二日目が始まった。
みんな慣れてきたらしく店の回転率は昨日よりもさらにいい。昼前には材料が足りなくなってきて追加で買い出しに行かなければならないほどだった。
僕は買い出しから戻ると、荷物を教室においてすぐさま部室へ向かった。ギターが「待ってたよ」とでも言っているようだった。昨日も会ったのに、不思議な感覚だ。
徐々に鼓動が早くなっていき、緊張感が身体を包む。ステージに早く上がりたいと思った。そんなことを思ったのは初めてだった。
そろそろ時間だった。軽く指をあっためてから、衣装に着替える。黒いシャツに黒いズボンなんて最初はカラスみたいだと思ったが、ギターを持つとよく映える。三木はなんだかんだでセンスが良い。
三木と相澤と一緒に、逸る気持ちを抑えてゆっくりと幕から出て行く。檀上から見渡した薄暗い体育館は、いつも授業をしたり全校集会をしている場とは思えなかった。
すっと息を吐いて目を閉じ、首や肩をグニャグニャと動かす。目を開けると、隣のバンドマンには到底見えない真面目そうなベーシストと目があった。後ろを見ると、やたら髪の毛を逆立てたドラムの城の城主とも目が合った。
三木は二本のスティックを高々と掲げ、火花が出るんじゃないかと思うほど強くそれらをぶつけた。
カン、カン、カン……。
四拍子の曲だから、合図は四つのはずだった。
でも、四つ目は聞こえなかった。
目がくらむほどの強い光と、鼓膜を震わす歓声。それらが刹那、僕の五感を奪っていったからだった。
聞き慣れた相澤のベースと三木のドラムだけがやたら近くで聞こえる。それ以外、何もかもが遠くなっていく。
勝手に動く指。勝手に光る照明。勝手に騒ぐ観客。何もかもが溶けて一つになっていくような気がした。
二曲目が終わったところで僕はふっと我に返った。そうだ、自分たちの持ち時間は十五分しかないのだ。もうあと一曲でこの時間は終わってしまう。そしてあと一曲は、自分が歌うのだ。
手の甲で額の汗をぬぐい、相澤からマイクを受け取った。特に話すこともない。話したいこともない。
けれど一つ、自分に確認しておきたいことがあった。
「好きな子のために歌います。聞いてください」
一瞬の静寂あとに、喝采が起こった。
何事もなかったかのように三木が決まったリズムを刻み出し、曲が始まる。相澤は少し笑っているようにも見えた。
心を込めて歌った。宣言通り、君にこの思いが届けばいいと思って歌った。彼女はきっとここにいる。光が眩しくて客席のほうはよく見えないが、絶対行くと言ってくれたのだ。いるに違いない。彼女が約束を破ったりしないことはよく知っている。
ライブが終わり、「好きな子って誰だぁ」「名前言ってけぇ」というヤジを飛ばされながら幕の中に帰った。たぶん、先輩たちだろう。
心地よい疲労感が全身を包んでいた。




