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パンと目玉焼きとベーコンと、それからコーヒー

 


 お湯を沸かしてインスタントコーヒーをつくり、目玉焼きとベーコンを焼く。トースターが可愛らしい音を立ててパンを押し出す。


 食卓は、なにかの映画かドラマで見た風景にそっくりだった。


 初登校日の朝食はずいぶん前から決めていた。


 だって今日は、新しい人生の始まりの日なのだ。ありきたりで、特別で。ドラマチックで、日常的でなければならない。


 椅子に腰かけ外をぼんやりと見ながらパンをかじる。少し早く起き過ぎた。


 このまま早く学校に行ってみてもいいかもしれない。他にも早く来てる人がいたら、友だちになれるかもしれない。僕は誰もいない教室を想像し、コーヒーを飲み干した。


 慣れていないからかネクタイが中々ちょうどいい長さにならなかった。二、三度ネクタイを締め直してようやく納得いく長さになる。ブレザーを着て、スカスカの鞄を肩にかけ家を出ると、溢れる光に一瞬視界を奪われた。空から降り注ぐ四月の柔らかい日差しは僕の門出を応援してくれているようだった。


 十五分ほど歩いて最寄り駅に着いた。スーツの大人に混じって電車に乗りこむ。田舎暮らしの僕には人生初の満員電車で、想像以上の混雑に驚愕したが、学校まではたった三駅だ。ドアの前で大勢の人とともに乗ったり降りたりを繰り返していたら案外すぐに着いた。


 駅からの道は、早い時間のためか生徒の姿はまばらだ。通学路はただの住宅街だったが、これから三年間この道を通うのかと思ったら何か特別なもののように感じた。


 校門をくぐり、張られたクラス名簿を見て自分の教室へ向かう。都会の高校は、自分の通っていた田舎の中学校とは比べ物にならないほど大きかった。


 僕はB組だった。教室に入ると、黒髪で短髪の男の子が机に突っ伏しているのが見えた。彼は僕が近づいてきたことに気付くと、顔を上げてにっこりと笑いかけてきた。


「おはよう、君もB組?」


 いきなり話しかけてくれるなんて愛想のいい人だと思った。ここにいるのだからB組に決まっているじゃないか、と思わないでもなかったがそんないつものひねくれた自分は出さないように気を付ける。


「そうだよ、椎名っていうんだ、よろしく」


 僕が精いっぱいの笑顔で答えると


「俺は三木みきっていうんだ、よろしく」


 と言って、彼は黒板へ目をやった。黒板には座席表が張られていた。


「椎名は、おっ。そこの一番後ろの席だな」


 ありがと、と言って三木が指さしたところに鞄を置き、彼の席の近くへ行った。気さくな人だ。この千載一遇の友達ゲットのチャンスを逃すわけにはいかない。


「来るの早いね」


「俺は一番に教室に来たかったんだ。そしたら二番目に来たヤツと自然に話ができるだろ?」


 いたずらっぽく笑う三木は少年のように澄んだ瞳をしていた。たしかにね、と僕も笑った。


 ――どこの中学? え、一人暮らしなの? いいなー。俺もしたいわ。料理できないけど。


 そんな話をしていたら続々と生徒がやってきて、僕と三木を中心に会話の輪が広がっていった。誰もが新しい環境で誰かと仲よくしたいと思っているからか、話は自然と弾み、先生が教室に入ってくるころには僕はクラスの半分くらいは名前を覚えた。三木と同じクラスになれたことはこの学校に来た最初の幸せかもしれない。


 入学式の校長の話は特に面白いものではなかったが真面目に聞いた。要約すると、君たちは優秀で日本を背負う人材になってほしい、みたいな。名門校らしい些か傲慢な話だった。


 連絡事項だけを伝えるホームルームが終わるともうすぐお昼という頃合いで、今日は解散になった。三木に一緒に帰ろうぜと誘われ、僕らは帰路についた。


 一番はじめに話した相手とはいえ、どうして三木が自分みたいなつまらない人間と一緒に帰ろうと思ったのかはわからなかった。


 まだ誰と仲よくなってグループをつくるか考えている途中だろうし、そういうこともあるだろうとあまり気にしないことにした。


 僕らは一緒に電車に乗って自己紹介の続きをした。どうして地元の高校に行かずにこの高校に来たのかと聞かれ、一人暮らしをしてみたかったからだと答えた。三木は「だよなあ、いいよなあ」と言った。


 別に、嘘をついたつもりはなかった。


 僕が地元の高校に行かなかった本当のわけなんて、彼も知りたくはないはずだ。僕はそう自分に言い聞かせ、もうすっかり慣れてしまった愛想笑いを浮かべた。三木の屈託のない笑顔は、僕の罪悪感を少し和らげてくれた。


 三木と別れ、マンションに帰り着いた。鞄から鍵を取り出し、ドアを開けて部屋に入る。部屋はまだ知らない匂いがした。


 テレビをつけて冷蔵庫をあさる。昨日作った煮物の残りが入ったタッパーとラップに包んだごはんをレンジで温めて、少し遅めの昼ご飯をとった。


 温め直したごはんはあまりおいしくなかったので、次からは多少面倒でもいちいち炊こうかと思った。


 食べ終えると、すぐに食器を流しに置いて、テレビの電源を切った。一度も開いていない教科書を手の平でギュッと押して折り目をつける。


 日の光の差す誰もいない部屋はなぜかすごく落ち着いて、勉強がはかどった。高校の範囲というのはやはり中学までの勉強とは全然違っていて、まるで、新しい世界への扉が開いたみたいだった。




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