5話:仲間の業績好調と新事業の誘い
今年も暑い夏がやってきて、昨年、熱中症で、病院に担ぎ込まれたので、今年は注意しようと、冷凍庫で,毎日、ペットボトルに水を入れて、凍らせて、それを,外勤に出る時には,必ず持って、冷たい水の補給を,欠かさないようにした。しかし今年の夏は、意外に涼しく最高気温が33度を越える日が,2日ほどで曇りの日も多く助かった。
そのせいか、業績も良くて、自分の係のセールスさんの金融商品の売り上げは,順調だった。そうして8月が終わり、9月を迎えて、業績がよく、うまくいけば東京支店の売り上げベストスリーに今年も入れるかも知れないと思ったほどだった。10月に入り、もう少しで業績表彰で賞金をもらえるわよとハッパをかけて11月に入っても、順調に推移して12月中旬に、ほぼ、確定となった。
そして販売キャンペーンが、終了し2位の成績で2度目の業績表彰を受けた。そして佐藤営業部長に呼ばれて来年、君に新しい部署で働いてもらいたいと言われ課長待遇での辞令だと言った。新しい部署というのは電算・システム課と言われた。今後、銀行業界ではオンラインシステムを入れて電算化という流れとなるだろうと言った。その部署には、電子工学、ソフトウェアの人間を投入する。
しかし銀行の業務を知り尽くした人が、どういうシステムが望ましいか指導していかねばならない。その点、君の指導力と熱心さが買われて抜擢されだよと教えてくれた。その晩、家に帰って、この話を旦那さんに話すと、すごい、じゃないかと誉めてくれた。入社11年目で課長とは、素晴らしいというと勝ち気な彼女の目に涙が滲んで、やがて流れ落ちた。
今まで負けず嫌いで頑張ってきたけど報われて良かった本当に良かったと繰り返した。翌日から会社から帰ってきても智惠さんが分厚い本を持って部屋には行って夜遅くまで英語で書かれた本を読んだ。そして睡眠時間4、5時間の日々が続いた。やがて1982年。その後も本を読む日が続いていたので正月休みくらい休みなさいと言い車で仲間と箱根の温泉に出かける車中で爆睡。
風呂に入って出ても爆睡、本当に疲れているんだなと思うと海藤努は自分自身のふがいなさに腹が立ってきた。それでも保険の契約件数は営業所でトップクラスお客さんとのパイプが出来て盤石体制を取っていた。年収も報奨金を入れれば1千万円に届くほどになっていた。1982年1月にソニー株が下げてると見て1300円で2万株を2600万円で購入し残金が910万円となった。
一方、智惠さんはシステムの作りからについて試行錯誤を繰り返して、よりよい方法を選び出す方法で毎日テストを繰り返していた。翌日から、智恵子さんのオフィスにネットワークやソフトウェアの図解入りの入門書から専門書まで多くの本が所蔵され7ー8割が英語で書かれている本だった。
まず、全員が基礎を完全に理解して、今に何をしているのか、これから何をしようとしているのかを理解できるだけの基礎知識習得の時間に充てられオフィスの電話が鳴ることは、めったにない。数人単位で大学の研究機関や企業の研究機関へ出向いて研究したりする人が多かった。そして半年が過ぎて1984年10月になり早乙女支店長に呼ばれた。
その時、智恵子が、東大、東工大、慶応大学のネットワーク研究チームを訪問して紹介してくれた。すると早乙女支店長が学生達にドクター早乙女と呼ばれ、その道の第一人者である事がわかった。東京大学、東京工業大学、慶應義塾大学の3つの大学が互いに実験的にコンピュータをUUCPで結んだ「JUNET」について、智惠さんが、概略の説明を受けた。
次に1985年に、日本IBM、日本電気、富士通、日立製作所、東芝、三菱電機、沖電気、シャープ、三菱銀行、三井銀行、住友銀行、富士銀行などと結ぶ計画をしていた。その交渉が智惠さんの仕事だよと教えられた。
そして早乙女博士に、ここまでは話して良い事と話してはいけない機密情報を交渉前に確認し合って出かけるようになった。その後、企業の中心が日本IBM、日本電気、富士通、日立製作所、東芝、三菱電機、三菱銀行、三井銀行、住友銀行、富士銀行であることが判明した。