43話「最終話」:那覇から糸満へ
内藤さんの奥さん、さおり、保子さんが、耐えきれず気分が悪くなり廊下のベンチに移動した。しかし海藤智惠さんは、あふれる涙を拭こうともせず手帳に何かを書いていた。男子達は目頭を押さえて、その智惠さんの後を追い見学を続けて1時間位して見学を終了。そして、お昼になり海藤努はじめ男性達が、食事にいかないかと言い近くのカフェに行きランチを食べた。智惠さん以外の女性達は紅茶だけで昼食を食べなかった。
一休みして13時頃、次、ひめゆりの塔へ行きますと智惠さんが言うと、さおりさんと保子さんが行きたくないと言った。すると智惠さんが、強制するつもりはないけど、今、現在、私たちが、なに不自由なく生活でき旅行に来られている。
「でも戦争という悲惨な歴史に目を背けるというのは、先人に対して失礼だわと、冷静だ、しっかりと言い切った。」
「ここに眠っている人達も、好き好んで死んでいった訳ではないのよ、私たちだって集団就職で貧しい農村での生活から、押し出され,見ず知らずの東京で働き出した。」
「幸運にも、こうして恵まれた生活をしている。」
「そう言う人間にとって70年以上前に数多くの犠牲者の上に私たちの今の時代があるのよ。」
「その現実をしっかり見ていかなければ、駄目と、最後は,涙声で訴えた。」
「すると海藤努、内藤、斎藤が、その通りだと言った。」
「すると、さおりさんと保子さんが,ごめんなさい、謝った。」
ワゴンタクシーを呼んで、10分で、ひめゆりの塔へ着いた。ひめゆりの塔に着くと、まず石碑を拝んだ。直ぐ近くのひめゆり平和祈念資料館に6人で入った。
「その中の資料に、ひめゆり学徒隊とは、1945年3月末、看護要員として沖縄陸軍病院に動員された沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒222名と引率教師18名の事。」
「米軍の侵攻により5月末には沖縄本島の南部へ撤退。」
「6月18日に突然解散命令が出され数日の間に死亡者の約80%に当たる100名余りが命を落としたと書いてある資料を読んだ時、初めて智惠さんが声を上げ口にハンカチを当てて号泣した。」
「女性達も全員が茫然自失といった感じでベンチに座り込んだ。」
「たぶん同じ女性として身につまされたのだろうと海藤努は、しばらく、そっとして置いた。」
「落ち着いた頃、じゃー外に出ようと言って、ひめゆり平和祈念資料館を出た。」
既に時間は14時半を過ぎていて、ワゴンタクシーを呼んで、サザン・ビーチホテルに15時頃に到着した。そしてホテルの前のビーチを6人で散歩すると、さおりさんと保子さんが智惠さんって素晴らしい女性ねと、つぶやいた。彼女が、銀行のインターネットの先駆者としてプログラマーや銀行の上司、アメリカ人と連携して大きな仕事をしたのは、彼女の優秀な頭脳だけじゃない。
人間として女性として根性が座っていると褒めた。すると海藤努が、俺もそう思うと照れながら言うと智惠さんが、照れるじゃないですかと海藤努の背中を強くたたいた。もう一つ力も強いやと笑いながら言った。内藤が、まとめるように智惠さんが、語り始めた。
集団就職組では、唯一、大学を卒業しエリートコースを走ってきたのは、やさしさ、根性、責任感、言うべき事は、ひるまず言う精神のたまものだったのだろうと解説した。すると智惠さんが、今夜で、沖縄ともお別れなんだから、今夜は、派手ーパーっと飲んで楽しもうと言った。
「18時が過ぎ、夕日が落ちてるのを見て斎藤が、夕日が落ちるまでベンチに座って眺めようと言い、6人がベンチに座った。」
「すると6人の、これまでの人生を祝福するかのように1瞬、生暖かい、なんとも言えない、良い匂いの潮風が吹いてきた。」
「翌日、昼過ぎの飛行機で、各自15時頃に家について、また新しい生活が始まった。」【完結】




