第八十二話
衝撃が軽いものだったこともあり、グラスを落としたり盛大に中身をぶち撒けることはなかったけれど、中身の揺り戻しによって数的の飛沫がスカートの裾あたりに降りかかる。ああ、せっかくのドレスにシミが!うう、これちゃんと落ちるかな?
「あら、ごめんなさいね」
謝罪の言葉に振り向くとそこいたのは、謝っている筈なのに全然謝っていないような表情をした玲奈さんが取り巻きの人たちを引き連れて立っていた。
「あっと、大丈夫だと思います。目立つような場所じゃないですし、きちんとシミ抜きすれば大丈夫だと思いますから」
「その必要はないわ。あとで掛かった費用は全部払ってあげるから、それで新しいドレスでも作りなさい」
「え、それはどういう・・・?」
「こういうことよ」
ちょっとジュースがかかったくらいだしシミ抜きすれば大丈夫なのに全額弁償?とか考える間があるかないかの内に頭から体へと伝わる冷たさに思考が中断される。
「おい、宇都宮!」
「玲奈様、流石にそれは・・・!」
「外野は黙っていなさい」
不敵な笑みを崩さないままこちら向けた顔を逸らすことも無く木下君や取り巻きの人たちの声を切り捨てる。
グラスを持っていた筈の右手は何故か私の頭上に伸ばされている。傾けられたグラスには入っていた筈の液体は残っていない。
玲奈さんのグラスの中身の行先はこの髪から滴る雫の感触なのだろう。でも、なんで、どうしてこんなことを?
「いつまで呆けているのかしら、これだけ冷やしてもまだ正常に作動しないなんてよっぽど浮かれた頭をしているのね。あれだけ嫌がらせをされたり怖い思いをしたはずなのまだ学園に居座ったままでいられるのもそのお花畑な頭のおかげなのかしら?」
今日までの嫌がらせの犯人が玲奈さん?たしかに玲奈さんはゲームでの悪役令嬢で、嫌がらせの犯人にされる可能性が高いだろうっていうのは聞いていた。でも、その場合はゲームでのシナリオ上でそうなっているから周囲からそう見られるようになるだけなのだと思っていた。
けれども、今の玲奈さんの言葉からは玲奈さん自身が嫌がらせをやっていたのだと言っているように聞こえた。
「玲奈さんが嫌がらせの犯人だったってことですか?でも、それならなんでそんなことをする必要があるんですか?」
「人の婚約者と噂をたてられるようなことをしでかしておいて何でも何もないでしょうに。しかも、この宇都宮家の令嬢であるこの私の婚約者を相手に」
「噂のことだったら相談した時に説明したじゃないですか、私と成松君は付き合ってなんかいないって、ただのクラスメートだって」
「そういえば、そんなことも言っていたわね。白々しい、あんなものでこの私が簡単に騙されるとでも思ったのかしら、もしそう考えていたとするのなら随分と馬鹿にしてくれたものね」
「嘘なんかじゃありませんよ、私と成松君は正真正銘のただのクラスメートです。それに私が信じられないと言うのなら成松君のことを信じてあげてくださいよ、成松君は玲奈さんのことを裏切る様な人ではないでしょう?」
「・・・、噂の真偽なんて今更どうでもいいことよ、私は噂が出回ったこと自体が気に食わないのだから。火の無い所に煙はたたないものよ、噂をされるような出来事があったということでしょう?何も無いのならなんで勝彰のルートに入っているのよ!」
ルート?ゲームのこと?成松君のルートに入っているから、だから私と成松君が付き合うと思った?ゲームのシナリオ通りに?それで、私に嫌がらせをし始めたっていうの?
噂をされるような出来事というのがイベントのことを言っているのなら確かにその通りなんだろうね。木下君に見せてもらった攻略ノートを読んでみたら、成松君との間にあった出来事って見事にイベント絡みだらけだったもん。それも、フラグ成立に必要なのばかりをピンポイントで。
ならこの世界がゲームの世界だと思っているのなら成松君と私が付き合う流れになっているんだろうって勘違いしたって不思議じゃない。でも、この世界がゲーム通りの世界じゃないって教えてくれてのは玲奈さんじゃないか、ゲームとは違う結末を得られるって実証して見せたのは玲奈さん自身じゃないか。
「それが私に嫌がらせをした理由ですか?でも、そんなことをして何になるって言うんですか、あんなちゃちな嫌がらせで本当に私が学園を去るとでも思っていたんですか?思ってませんよね?だったらもっと酷いことすればいいじゃないですか、今日だって黙っていれば私は玲奈さんが犯人だなんて気づきもしませんでしたよ、なんでそんな悪役を演じるんですか、そんなことをして何になるんですか、ただ玲奈さんが傷つくだけじゃないですか」
「そんなこと分かってるわよ!でもそうすれば勝彰が幸せになれるじゃない!!」
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