第三十一話
「ちょっとこっちに来てくれ」
落としたスケッチブックを回収すると真剣な表情と声でそう言ったかと思えば、返事をする間も無く腕をつかまれて美術準備室に連れ込まれてしまった。
初めて入った準備室が物珍しくて見まわしていたら背後でカチャリと小さな音が、ふり返ってみればどうやら内鍵をかけたところらしい、・・・アレ?もしかして、ピンチ?
とは言うもののあまり危機感というか焦ってはいなかったりして、というのもこの部屋、普通の話声はシャットアウト出来るけれども少し大きな声を出せばすぐに隣に聞こえるし扉にも大きな窓がついているので室内で何をしてるかは美術室側から丸見えだし、外鍵用の鍵は部活動の時間中はいつも扉脇にかかっているので何かあればすぐに突入できるので危険なことには使われない、ってことを先輩から聞いたことがあったから。
まあ、普通の話声程度の声量ならシャットアウト出来るので、部活の打ち合わせなどに使われるほか、部員同士で内緒の話をするときなんかにも使われるようで、いつもは開け放してある扉が閉まっていたら内緒話で使ってますよ的な合図になっているらしい。
なので木下君がこの部屋に私を連れてきたのも暴力的な何かしらをするためではなく、何か内緒の話でもあるんだろうし、その内容にもなんとなく予想はつく。
「突然で悪いな、あまり他人には聞かれたくない話だからな」
「うん、まあ、ある程度の予想はつくし・・・さっきの絵のことだよね?」
正確にはその絵を描いた人物のことかな。ちらっとしか見えなかったけれどあれは確かにとんがり豚トロさんの絵だった。前世ではとってもお気に入りの絵師さんでよく巡回していたイラスト投稿サイトに新作がアップされたら通知が来るように設定していたくらいだし、「キュンパラ」のキャラデザやイラストを描いていたのも豚トロさんだったからというのも購入の理由の一つだし、見間違えてるとは思えない。
「何でお前があの絵を・・・、いやあの絵を描いた奴を知っている?」
「それはだって豚トロさんのファンだったもの」
「その名前はこっちでは存在しない筈なんだがな」
「そうなんだよね、いろいろと探してみたんだけれども見つからなかったんだよね」
こっちに来た当時、記憶と情報の整理の為にいろいろと調べてまわったんだけれど、その時に豚トロさんのこともこっちの世界でも活動していないかなって調べたんだよね、結局どこからも見つからなくて諦めたんだけれども。
こんなことになるんなら受験が終わってからなんて我慢なんかしないで買ってすぐにプレイすれば良かったって後悔したものだよ。うう、ゲーム内のスチルとか見たかったよぉ。
それにしてもさっきの絵って豚トロさんの絵そのものって感じでトレス絵にしても似すぎているというか、もしかして木下君が豚トロさんの中の人?って、そんな訳ないか、でも少なくとも木下君は多分、私や玲奈さんと同じ境遇の人だよね。
あんなに似ている絵を描けるくらいだし豚トロさんの名前も知っているしお願いしたらゲームのスチルとか模写とかしてくれないかな、あ、でも木下君ってどう見ても男の子って感じだし多分前世も男の人だよね、じゃあ乙女ゲームの内容なんて知らないかな。イラスト投稿サイトにはかわいい女の子の絵も沢山アップされていたし、そっち方面からのファンかもしれないしね。
「まあ、そのことはどうでもいいか・・・、俺には今目標がある、他の事に目を向けている余裕はない。お前が何の目的で美術部に入ったのかは知らないが、俺の邪魔になるようなら容赦はしない。もし俺のことを、いや木下直昌のことを攻略してやろうなどと思っていたのなら諦めるんだな。言いたいことはそれだけだ」
正に言いたいことだけ言ってそのまま内鍵を開け部屋から出て行ってしまった・・・あれ、警戒されてる?「攻略」って言葉を使ったくらいだし木下君も「キュンパラ」のこと知っていたんだなあ、森山華蓮のこともしっかりヒロインだと認識しているようだしゲームの内容にも詳しいのかもしれない。
木下君の目標というものが何かは知らないけれどももちろん邪魔をするつもりは無いんだけれども、絵を描いてってお願いすることも難しくなっちゃったかな。今の誤解?というか警戒している状態で仲良くなろうとしたってそれこそ攻略しようと仕掛けるヒロインそのものだって思われちゃうだろうしね。
まあ、木下君のことを攻略しようだなんてことは全く思っていないわけだしそのうち警戒も解けるだろうし、その時に改めてお願いしてみよう。
ふと時計を見てみれば思っていたよりも時間が経過していたみたいでもうすぐ図書室を閉める時間間際だった。そうたいした作業が残っている訳じゃあないけれど、それでも相方一人に全部投げっ放していいものじゃあないし急いで戻らないとだね。
準備室から出ると女子の先輩が何人かこちらの方をニヤニヤといった音が聞こえてきそうな表情で視線を送ってきている、ああこっちはこっちで何か誤解が生まれている気がするし。今は急いでいるから他の先輩に目礼だけで無視しちゃうけれど、これは後で冷やかされたりするんだろうなあ。
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