3-1-9 至高の存在
闇の女王の魔法は、すでに理を踏み越えていた。
人間が積み上げてきた知識も体系も、その前では足場を失う。対抗策を探ろうにも、机上に並べられる理論はどれも決定打には届かず、最後の一線で崩れ落ちる。
「闇の魔法に対抗するには、ただの魔法じゃ足りない。あの女王は、常識で測れる力の外にいる」
《獅子の剣》を携え、闇の奔流をその眼で見たミーナが、静かに言い切る。
誇張も躊躇もない、その断言だけで十分だった。
否定の余地はない。
室内の空気は、ゆっくりと、しかし決定的に沈んでいく。重みだけが確かな現実として、場に落ちた。
エヴァも腕を組み、低く落ち着いた声で続ける。
「そもそも、あちらの戦争が終わる前に、こちらも巻き込まれて崩壊するかもしれないわ。拠り所がなければ、いずれ全てが飲み込まれる」
その言葉は悲観ではなく、冷静な見通しだった。
誰も反論しない。否定できる材料が、どこにも存在しなかったからだ。
諦めという選択肢が、名を与えられぬまま卓上を漂う。
誰かが口にすれば、それが結論になってしまう──そんな気配だけが静かに広がっていた。
だがミーナには、最初からその道はなかった。
届くかどうかではない。手を伸ばさないことこそが敗北なのだと、彼女は知っている。
そして、呼吸を整えたあと、静かに口を開く。
「今ある戦力じゃ足りない……でも策はある」
全員の視線が自分に集まるのを受け止め、迷いを切り離すように言葉を継ぐ。
「私たちに必要なのは、人間が扱う魔法じゃない──それを超越した存在の力」
サーラが息を呑み、わずかに目を見開く。
「まさか、それって……」
ミーナは一度だけ、静かに頷いた。
「そう。魔法生物のなかでも最上位に位置するもの。あらゆる魔法を退け、いかなる干渉も受けない存在──ドラゴンよ」
その名が告げられた瞬間、視線が一斉に交錯した。
誰も否定せず、誰も肯定しない。
「待って、それってドラゴンを探すってこと?」
シェリーが不安を隠しきれずに口を開く。
この場にいる誰もが、火竜アルカンティスの名前を思い浮かべていた。
神話としか思えなかったものを、ミーナが実在を証明したという事実も。
だが、それはあくまで“一頭”だ。
伝承の裏付けにはなっても、数の保証にはならない。
ましてや王国の命運を託す前提には、あまりにも心許ない。
神話と伝説の奥にのみ棲むはずの存在。それを「さらに探す」という発想は、やはり常識の外側にあった。
「アルカンティスみたいな存在が、あと何頭もいるなんて、考えにくいわ」
その言葉は、シェリー個人の懸念というより、この場にいる全員の胸中そのものだった。
「それなら心配はいらないわ」
ミーナは、ごく静かに微笑む。
その表情には、揺るがぬ確信があった。
「水竜、天竜、地竜……伝承では、それぞれ一頭ずつ存在すると語られている」
静まり返った室内で、可能性だけが順に置かれていく。
サーラの目が、明確に光を帯びる。
恐れより先に、思考が走った。
新たな竜を探す──自分にはなかった発想だ。
常識の延長線では辿り着けない跳躍。
「……そんな手が、あったのね」
声は抑えられている。だが、その奥に熱がある。
未知への恐怖よりも、可能性への興奮が勝っていた。
「教えて。どうやって、そんな存在に会えたの?」
ミーナは一瞬だけ沈黙した。
それは説明のためではない。
その名に、自らの記憶が重なるのを待つような間だった。
「火竜、アルカンティス──
海と空を自在に渡り、不死と謳われる存在。
何百年も生き続けてきた古代の竜よ」
わずかに目を細め、視線を遠くへ向けた。
今ここではない、別の日の光景を見つめるように。
嵐の夜。打ちつける雨。引き裂かれそうな風。
記憶の奥で、あの夜の匂いが蘇る。
彼女の物語が、今まさに開かれようとしていた。
「出会いは、偶然だったわ」
淡々とした声音。しかし、その奥に微かな震えがある。
「それまで、火竜なんて神話だと思っていた。でもあの夜、私は──」
一瞬、言葉を切る。
室内の全員が、無意識に息を止めた。
そして、静かに続ける。
「本気で、死ぬと思ったの」
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