3-3-18 伝説のデバイスの導き
アーゼラは仮面越しに城内の様子を遠隔視していた。
淡く歪む視界の中、ガルダールは遠距離から放たれた矢に軌道を乱され、雷のごとき機動を崩していく。キマイラは幾重にも重ねられた斬撃によって牙を鈍らせ、城門を覆っていたスライムもまた、炎に焼かれて次々とその形を失っていった。
だが、その一部始終を見つめるアーゼラの表情に変化はない。
むしろ、わずかに口元を緩める余裕すら浮かんでいた。
「ふん……あの程度で慌てるとは。愛らしいものね」
呆れと愉悦が混じる声が、静まり返った大広間に落ちる。
仮面もまた、低く響く声で応じた。
「恐れるに足らぬな。相性の悪い敵に出くわしただけで、あの狼狽だ。統率も、判断も、まだ甘い」
映像の中では、女王候補たちが散り散りになりながらも、互いに補い合い、どうにか魔物を退けている。その姿をしばし眺め、アーゼラは小さく息を吐いた。
「……私たちは、何を警戒していたのかしらね」
自嘲の気配を帯びたその言葉に、仮面はすぐさま重ねる。
「期待が過ぎたのだ。あれが、現時点での限界だろう」
アーゼラはゆっくりと仮面に手をかけ、一度それを外した。
冷たい空気が素顔に触れ、わずかに肩が揺れる。
「まあ、いいわ。せっかくここまで来たのだもの」
軽く肩をすくめる仕草には、余興を選ぶような気安さがあった。
「もう少し遊んでやりましょう」
仮面は彼女の手の中で、わずかに震えるように気配を強める。
「ならば次は、本物を見せてやるといい。恐怖というものを、骨の髄まで刻み込む段階だ」
その声音は先ほどよりも近く、低く、耳元で囁くかのように響いた。
アーゼラは一瞬だけ視線を落とし、それから再び仮面を顔に戻す。
黒い輝きが瞳の奥に差し込み、ゆっくりと頷いた。
「ええ……いい考えね」
短く応じたその声には、わずかな熱が混じっていた。
やがて、冷たい笑いが重なり合う。
その響きは広間の奥へと沈み、次なる試練の気配だけが、静かに形を取り始めていた。
—-
サーラは、《処女の書》が用意した最終試験に向き合っていた。
これまでの課題は、いずれも想定を上回る手応えをもって乗り越えている。理論も実技も、積み重ねてきた研鑽が確かな形で応えていた。
書が示す叡智が、彼女を成長させている。
そう信じられるからこそ、進み続けてきた。
「……ここまで来たんだから」
指先に滲む汗を握り込み、息を整える。
「絶対に、合格してみせる」
そう呟いて、最後のページをめくる。
そこに記されていたのは、これまでの延長線上にはない、あまりにも唐突な一文だった。
【最終問題】
『闇の女王アーゼラの倒し方を五つ以上答えよ。
ただし、あらゆる論文・報告書の閲覧を許可する。時間制限は設けない』
──思考が、止まった。
視線が文字をなぞる。
意味は理解できる。だが、理解した内容が、現実として受け入れられない。
「……え……?」
乾いた声が、喉の奥で引っかかる。
これまでの問題とは根本が違う。
知識を問うものではない。技術を試すものでもない。
答えが、どこにも用意されていない。
「……“閲覧を許可する”って……」
無意識のうちに、指先が紙面を強く押さえつけていた。
「……そんなの、どこにも……載ってるわけない……」
視界の端がわずかに揺れる。
処女の書は、これまで一度たりとも「答え」を拒んだことはない。
どれほど困難でも、必ず知るための手がかりを示してきた。
だが今、目の前にあるのは──
それを、完全に放棄する問いだった。
「“五つ”……?」
かすれた声で、条件をなぞる。
ひとつでも至難であるはずの相手に対して、五つ。
思いつきでは済まされない数。偶然でも辿り着けない量。
「……意味、わかんないよ……」
呟きは、ほとんど独り言に近かった。
書は沈黙している。
いつものように導く気配はない。
ただ、突き放すように、思考だけを要求している。
「……教えてくれるんじゃ、ないの……?」
その問いに、応えるものは何もなかった。
静寂だけが、空間を満たしていた。
サーラは、しばらくのあいだ動けなかった。
開いたままのページに視線を落としたまま、指先だけがわずかに震えている。
「こんなの……試験じゃない……」
喉の奥でこぼれた声は、自分でも驚くほど乾いていた。
ページを押さえる指に力がこもり、紙がわずかに軋んだ。
《処女の書》は、これまで一度も誤らなかった。
どれほど難解でも、必ず“辿り着ける形”で問いを示してきた。
だからこそ、信じてきた。
だからこそ、ここまで来られた。
それなのに──
「……ここに来て、突き放すの……?」
疑念が、胸の奥に沈む。
見捨てられたのではないか──そんな考えが、一瞬だけよぎった。
サーラは唇を噛み、ゆっくりと息を吐く。
そのまま、もう一度、問題文を見直した。
「……あらゆる論文、報告書の閲覧は自由……時間制限なし……」
読み上げながら、わずかに眉が動く。
それはこれまでの試験にはなかった条件だった。
常に限られた情報と時間の中で、最適解を導き出すことを求められてきたはずだ。
「……なんで、こんな条件に……」
呟きかけて、言葉が途切れる。
思考が、わずかに別の方向へと滑った。
“答えを知っているか”じゃない。
“答えを持てるか”を見ている。
その感覚が、ゆっくりと形を結び始める。
サーラは、そっとページから手を離した。
強く押さえつけていた指先が、わずかに白くなっている。
「……そういうこと……?」
《処女の書》は、何も語らない。
だが、その沈黙は、これまでとは異なる意味を帯びていた。
導くための沈黙ではない。
選ぶための沈黙。
「……教えてくれないんじゃない」
小さく、しかし確かに言い切る。
「最初から……“自分で考えられるか”を見てる……」
胸の奥で、何かが静かに切り替わる。
これまで頼ってきたものが、すべて消えたわけではない。
むしろ、その積み重ねを使って“答えを組み立てろ”と突きつけられている。
「……だったら」
サーラはゆっくりと背筋を伸ばした。
揺れていた視線が、紙面の上で定まる。
「やるしか、ないじゃない」
震えは、まだ完全には消えていない。
だが、その震えは恐れではなく、思考が動き始めた証に変わりつつあった。
羽ペンを取り上げる。
すぐには書けない。
当然だ。そんな答え、最初からわかるはずがない。
それでも、彼女は迷わなかった。
「……正面から倒せないなら」
ぽつりと、言葉が零れる。
「そうだ、“アレ”が使えるかもしれない……」
断片的な知識が、ばらばらのまま浮かび上がる。
「できるかどうかじゃない」
ペン先が、ようやく紙に触れた。
「成立させる方法を、考える」
かすかな音を立てて、最初の一行が刻まれる。
《処女の書》は、何も語らない。
ただ、その静かな沈黙だけが、確かに応答していた。
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