3-1-11 火竜の逆鱗
ミーナたちの旅は、驚くほど順調だった。
船は穏やかな波間を滑るように進む。
レイラが持つ《宝瓶の壺》が大いに活躍していた。
壺から噴き出す水流は強力な推進力となり、帆を必要としないほどの速さで船体を押し出していく。
風を読み、舵を操るヴァイの技術も加わり、船は他の追随を許さぬ速度で目的地へと近づいていた。
ふと、レイラが眉をひそめた。
「……静かすぎない?」
壺の水流が生む飛沫の音以外、海は不自然なほど凪いでいる。
風も、波も、まるで息を潜めているかのようだった。
「こんなに上手くいくなんて、何かの前触れじゃなきゃいいけど」
船べりに腰かけ、海を眺めていたカリナがぼそりと呟く。
「こういうときこそ慎重にいかないとね」
ヴァイはそう応じながら、舵を握る手に力を込めた。
一行の目的地は、古い地図に記された火山島。
伝承によれば、そこにはかつて炎を司る巨大な竜が住んでいたという。
教団の幹部たちは鼻で笑っていた。
だがミーナは、それを単なる伝説とは思っていなかった。
物語や神話の背後には、必ずいくらかの真実が潜んでいる──
彼女はそう信じていた。
「あと少しで到着よ」
望遠鏡を覗いたミーナの声に、仲間たちの視線が前方へ集まる。
やがて船は、地図が示す海域へと辿り着いた。
だが──
そこに火山島の姿はなかった。
広がるのは、果てしない水平線と静かな海面だけ。
「おかしいな……この辺りで間違いないはずだけど」
レイラが地図を見返し、首をかしげる。
「地形が変わったのかもしれない」
ヴァイが低く言う。
「火山活動が激しかったなら、島そのものが沈んだ可能性もある」
「じゃあ、全部海の底か」
カリナが肩をすくめる。
「ここまで来たのに、何の成果もなしってわけ?」
船上に、静かな失望が落ちた。
だがミーナは、その空気に沈まない。
鋭い眼差しで海面を射抜くように見据える。
「諦めない」
その声は小さい。だが、疑いを許さぬ響きを帯びていた。
彼女は《獅子の剣》を取る。
己が信じる道を切り開くための刃。
これまでも幾度となく、理を超えて道を拓いてきた力だった。
そして、迷いなく船べりへ歩み寄る。
仲間の制止は背に届いていたはずだ。
それでも振り返らない。
正しさは、常に前にあると信じているからだ。
次の瞬間、剣を携えたまま海へと身を躍らせる。
白い飛沫が弧を描き、少女の姿は冷たい深淵に呑まれた。
「何を考えているんだ、あの人は!」
ヴァイの叫びが風に裂ける。
「ミーナ!」
レイラの声も波に散る。
だが応えはない。
その刹那、空が翳った。
黒雲が湧き上がり、風向きが反転する。
穏やかだった海は貌を変え、うねりを高く掲げた。
まるで、何者かの眠りを踏み荒らしたかのように。
「嵐だ……!」
雷鳴が天を震わせる。
閃光が世界を白く切り裂いた。
その轟きの底に、雷とは異なる低い唸りが重なる。
獣の喉奥から洩れるような、あるいは海そのものが呻くような、重い響き。
「まさか、ミーナがあの竜を怒らせたの?」
レイラの声がかすれる。
「船が持たないぞ!」
マストにしがみつき、《金牛の鎧》を鳴らしながらカリナが叫ぶ。
「誰か、ミーナを引き上げろ!」
自分が飛び込めないことを、誰よりも理解している声だった。
高波は容赦なく甲板を打ち、船体を傾ける。
人の決意など意に介さぬとでも言うように。
「しっかり掴まって!」
ヴァイは舵を握り直す。
だが自然の猛威の前では、どれほど熟練の技も頼りない。
空は黒く閉ざされ、海は牙を剥き、
世界そのものが、ひとりの英雄の決断を試すかのように荒れ狂っていた。
一方──
ミーナは冷たい海中を潜り続けていた。
沈んだ島の痕跡を探し、暗い水をかき分ける。
だが深みには、何もない。
ただ、重い静寂だけ。
(皆を連れてきたのは、私だ……ここで何も見つからなければ、どうする?)
自問しながらも、さらに潜る。
そのとき、周囲の水がわずかに震えた。
次の瞬間、激しい流れが生じる。
押し戻される。
水中で、風が吹いたような感覚。
流れは渦を巻き、彼女の身体を引き裂こうとするかのようにうねる。
ミーナは剣を握り直す。
だが、抗えない。
(まさか……触れてはいけないものに、触れた……?)
その瞬間、海面から轟音が響いた。
目に見えぬ力が、彼女を弾き飛ばす。
ミーナは水面へ押し戻され、荒れる海へと浮上した。
息を吸い込んだ瞬間、嵐が牙を剥く。
「船がない……皆、どこにいるの?」
嵐は空だけでなく、彼女の内側にも吹き荒れていた。仲間の姿が見えぬまま、胸の奥に冷たい渦が広がっていく。
その渦の中心で、彼女は初めて、自らの覚悟の真価を問われていた。
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