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瀬戸内の海で、俺は人魚姫に恋をした  作者: 陽七 葵


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最終話 十年越しに実る恋

 あれから月日は流れ、十年が経過した。

 その間、ノアがいつものビーチに現れることは、一度も無かった。しかし、小さなノアは、時折現れた。


 今は、寒い寒い季節。昼間にこの海を訪れる者は、釣りをする年配の男性か、海水を瓶に採取する俺くらい。


 半透明の、やや濁った海水を太陽に翳していると、セーラー服姿の女子高生に話しかけられた。

 

「あ、お兄ちゃん、またいた!」

「お兄ちゃんって……もう、二十七なんじゃけど」

「お兄ちゃんは、お兄ちゃんじゃん」


 言わずもがな、小さなノアだ。いや、もう、あの時のノアと背丈は変わらないかもしれない。年齢も十八歳になったようだ。

 とはいえ、俺も成長して、ノアの頭一つ分大きくなっている。


「実は、今日は、お兄ちゃんに報告があって来たんだよね」

「報告?」

「うん。これ、見て」


 ノアがスマホを操作すれば、空中に光がさし、液晶が現れた。そこには、大きく『合格』の文字が書かれていた。


「マジ!?」

「マジ」


 ニッとピースサインをするノアは、俺と同じ広大の生物生産学部に合格したらしい。


「やったじゃん! てか、一発合格って、ヤバッ! エグ!」

「お兄ちゃん、四浪してたもんね」

「うッ……」


 しかも、翔に先を越されて、学部は違えど、翔が先輩という恥ずかしい構図になってしまった。


「けど、今は大学院生じゃけぇ。ノアちゃんの先輩じゃけん」

「はいはい」


 スマホをしまったノアは、ポケットから貝殻の髪飾りを取り出し、耳の上に付けた。


「涼君」


 寒い風が俺とノアの間を通り抜け、艶のある黒髪が靡く。

 お兄ちゃん呼びではなく、俺の名を呼ぶノアは、先ほどまでと打って変わって大人びた表情に変わった。


「やっとだよ。やっと、ここまで来れた。ありがとう」


 俺は、遠くの地平線を眺めながら、首を横に振る。


「ううん。俺は何も」

「してるよ。涼君のような人が繋いでくれてるから、瀬戸内の海は、少しずつだけど、元気になってる」

「そうだと良いんじゃけど。まだまだこれからよ」


 海を保護する団体が世論に呼びかけていることもあり、十年前に比べると、環境対策の意識付けが高まっている。その甲斐あって、生態系の変化によって絶滅するかもしれないと危ぶまれていた生物らも、かろうじて生存している状態だ。


 しかし、十年なんて、長いようで短い。海全体が元の活気を取り戻すには、更に長い長い年月がかかるだろう。それこそ、俺はお爺さんになっているかもしれない。それでも、俺は、この果てしない海を守りたい。そして――。


「俺は、ノアさんを人魚に戻したい」

「その時は、涼君も来てくれる?」

「え……?」


 何を言われたのか理解できず、ホタテの髪飾りを見ながら固まっていると、ノアがニコッと優しく微笑んだ。


「好きだよ。涼君」

「え……」


 その言葉の意味が、後からジワジワと伝わってくる。


「が、ガチで……?」


 外気はマイナスになりそうな程に冷たいのに、俺の顔は真夏のように熱い。


「本当はさ、人間になる前に伝えようと思ったんだよ。けど、お婆ちゃんが、さっさと人間にしちゃってさ。しかも、子供って。笑っちゃうよね」

「はは……じゃね」

「私も、大人の仲間入りしたからさ、こんな子供でも涼君が嫌じゃなければ……」


 恥じらうノアが可愛くて、どうしようもなく抱きしめたくなって、俺はその体をフワッと包み込んだ。


「嫌なわけないじゃろ。俺が、ずっとノアさんだけを見てたことも知っとるくせに」

「ふふ。翔くんに、ロリコン扱いされてたよね」

「それは……俺も毎日葛藤したわ」


 抱きしめていた体をそっと離し、見つめ合った。そして、俺はその薄ピンク色の小さな唇に、キスを落とした。


 初めてのキスの味は、爽やかなレモンの味がした――。


「ノアさん。卒業したら、どこに住むん?」

「うん。施設も出ないといけないから、一人暮らしする予定」

「じゃあ、一緒に……住む?」

「私は、そうしたいけど……」

「ノアちゃんを口説く必要があるんかぁ」


 魔女の計らいか悪戯か知らないが、ノアは髪飾りを付けた時だけ、本来の人魚の記憶を持ったノアになる。けれど、外した途端に、それらを一切忘れてしまった十八歳のノアになってしまうのだ。


 それでも、人間になった目的までは忘れていないようで、目指すところは瀬戸内海を豊かにすること。故に、同じ志を持つ俺に懐いてくれている。


 そんな純粋なノアに、十歳近く歳の離れた男が一緒に住みたい、ましてや、好きだと告白したらどうなることやら……。


「ワンチャン、通報されたりして……」

「あるね」

「もう、怖いこと言わんといてや。てか、ずっと髪飾り付けとってや」

「そうしたいけど、校則違反になるからねぇ」


 こればっかりは、どうしようもないか。


「じゃけど、なんでノアちゃんは、会う度にその髪飾り付けてくれるんじゃろ。もしかして、内側から見とるとか?」

「さぁ、どうだろう。けど、一つだけ言えるのは……」


 ノアが、髪飾りをスッと外した。


「え、なんで、今外すん!?」


 今は正に、キスをした後の、抱き合ったままの状態だ。こんな状態で十八歳のノアになったら、平手打ち間違いなし。


 急いで離れようと、ノアの腰に回していた手を引こうとしたが、時既に遅し。


「お、お、お兄ちゃん!?」


 顔を真っ赤にさせたノアが、俺の胸元に顔を埋めてきた。


「ちょ、え」


 互いに戸惑いが隠せない状況のまま、抱き合う形になってしまった。


「あ、えっと……ノアちゃん。その、ごめん」

「どうして、謝るの?」

「だって、こんなこと……」


 どうして良いか分からず、一旦髪飾りを付けてもらおうと口を開きかけた時、ノアは上目遣いをしながら瞳をうるうるさせて言った。


「知ってる? プレゼントされた物を毎回身に付ける理由」

「え? それって……」

「この貝殻のこと」

「それは、俺からであって、そうじゃないというか……」


 本当のことを俺から伝えても良いが、それこそ内側から聞いていない限り、まず信じないだろう。

 言葉を詰まらせていると、ノアが続けた。


「これは、お兄ちゃんから貰ったものだよ。それを身に付けるのは……」


 ノアが背伸びをした。そして、唇に本日二度目のそれが当たった。


「ノア……ちゃん?」


 呆気に取られる俺の胸に、またもや真っ赤な顔を埋めるノア。


「こ、こういうこと。分かった?」

「…………」

「なんで何も言わないのよ」

「いや、だって……最高かよ」


 何はともあれ、俺の恋は十年越しに実った――。


               〜おしまい〜

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