第一話 出会い
高校二年生の夏。
不思議な出会いをした。それは、現実では絶対にありえないような出会い。もしかしたら、あれは夢だったのではないかとも思う。
これは、そんな不可思議で甘酸っぱい、十七歳の俺の恋物語りである。
◇◇◇◇
夕暮れ時。
昼間は海水浴に来た人たちで賑わっていたベイサイドビーチは、今は閑散としている。
目の前に広がるのは、真っ青というより群青色の水面。オレンジ色の光が反射して、キラキラと煌めいている様は、何度見ても心が洗われるよう。
そこの砂浜で空き缶を拾う俺こと宍戸 涼は、高校二年生の十七歳。広島県広島市出身の根っからの広島人。
広島人だからと言って、お好み焼きにこだわりがあるわけでもなく、カープ色に染まるわけでもない。特別これといった趣味も特技もないのが、この俺だ。
そんな俺の口癖は「たいぎぃ」。
『たいぎぃ』=『面倒臭い』という意味なのだが、なんとなく使ってしまうだけで、さして面倒臭いと思っているわけでもない。本当にただの口癖。
だから、夏休みに入ったばかりの今日も今日とて、日課の海辺の掃除をしながら、ぼやいた。
「あー、たいぎぃ」
俺の言葉は、風に乗って海の向こうに消えていく。
誰も突っ込んでくれる人がいないので自分から言うが、何故、俺が「たいぎぃ」とぼやきながら海辺の掃除をしているのか。それは、ズバリ!
”徳を積みたいから”
見返りを求めてしまったら徳とは言わないのだろうが、それでも俺は『良いことをしたら、良いことが返って来る』という、ばあちゃんの口癖を信じて、小学生の頃から誰に頼まれるでもなく、海辺の掃除をしている。
ちなみに、友人に話したらバカにされそうなので、これは家族しか知らない。
とはいえ、これまでに良いことが返ってきた試しがない。悪いことも起こらないが……。
「あれ……誰か、倒れとんじゃろか?」
大きな岩に寄りかかるようにして、座っている髪の長い女性が目視できた。
そこは、ビーチの端に近く、周りに連れらしき人の姿はない。倒れていないにしても、もうすぐ満潮。知らせてあげるのが親切だろう。
「はぁ、たいぎぃ」
そう言いながら、俺は女性の元へと足を向けた。近付くにつれ、それは輪郭だけでなく、顔かたちがハッキリと見えた。そして、俺は目を疑った。
「……人魚?」
見た目は二十歳前後の若い女性。漆黒の長い髪は濡れており、貝殻の髪飾りをしている。上半身は水着なのか、はたまた本物の貝殻か、とにかく胸は隠れているが、それ以外は露出しており、問題はその下。正に魚のそれだ。外見が、おとぎ話の絵本で見た人魚姫にそっくりなのだ。
(ここは、見て見ぬふりが良いかな)
人魚のような彼女は、倒れているわけではなさそうで、海の向こうを憂いを帯びた表情で眺めている。
満潮の時刻を知らせるつもりだったが、人魚のコスプレをしたイタい女性に声はかけづらい。いや、かけられるはずがない。
「あー、十八時半には満潮になるみたいじゃけん、そろそろ帰ろうかなぁ」
腕時計を見ながら、やや大きな声で棒読みする。
そして、俺は素知らぬ顔で踵を返した。
(よし、これで一応満潮は伝えたけん、良いじゃろ)
俺もそろそろ帰ろうと、持っていた大きめのビニール袋の口をキュッと結んだ。
刹那、打ち寄せては引いていた波の向こうに、人影が見えた。それはトビウオの如く跳ねた。
「うわぁ、綺麗」
感嘆の声が漏れる程に美しかった。
髪の長い女性の周りに飛び散る水飛沫は、橙色の光に反射して煌めき、魚の尾ひれは、それはもうしなやかで、神秘的な光景だ。まるで人魚姫――――人魚姫!?
俺は、パッと後ろを振り返った。
さっきいたコスプレの彼女の姿は、そこにはなかった。
もう一度海に目をやると、海から髪の長い女性が出てきた。長い黒髪を横に流して水気を絞りながら、ゆっくりと出てくる彼女の顔は逆光で見えないが、足がある。綺麗なスラッとした二本足が。
違う人だろうかと思ったが、それが同一人物であると、すぐに分かった。そして、思わず口が開いた。
「尾ひれ、海に流されちゃったんですか?」
「…………」
彼女は、やや垂れ目の大きな瞳をキョトンとこちらに向けた。
「あ、いや、な、なんでもないです」
俺は何を聞いているのか。恥ずかしくなって、足早に来た道を戻ろうとして……転けた。
砂浜の上なので痛くはないが、羞恥でいっぱいだ。
ザッザッと砂を踏みつける音が近付いて来て、それは俺の前で止まった。言わずもがな、足音の正体は彼女だ。しゃがんで心配そうに見下ろしてきた。
「大丈夫?」
その可愛らしい顔にもドキドキだが、間近で見るピンクの貝殻のビキニは、男子高校生には刺激が強すぎた。鼻血までは出ないにしろ、顔が真っ赤になるのが分かるくらい熱くなった。
「だ、大丈夫ですから」
急いで立ち上がれば、彼女も自然と腰を上げる。
白いTシャツと黒いハーフパンツについた砂を軽く払いながら、何もなかったように落ちたビニール袋とゴミ拾い用のトングを拾った。
「ありがとう」
突然の感謝の言葉に、俺は顔を彼女に向けた。すると、彼女は、天使のような微笑みを浮かべ、もう一回言った。
「ありがとう」
胸がトゥクンと跳ねる。
この瞬間、俺は恋に落ちた。
彼女との出会いは、神様がくれた俺へのご褒美なのだと思った。
(徳を積んで良かったぁぁぁぁ!!!!)
心の中で、手放しで喜んだ。
ただ、顔は照れ隠しもあって怪訝な顔を見せる。
「俺、お礼を言われるようなこと、しましたっけ?」
「うん」
頷く彼女は、俺の持っているビニール袋に目をやった。
「いつも、私の居場所を綺麗にしてくれて、ありがとう」
「こ、これは……」
『私の居場所』その意味は分からなかったが、やはり、徳を積んで良かったと心底思った。
「ずっと、お礼が言いたかったから。それじゃあね、バイバイ」
海の方に足を向ける彼女は、呆気なく去ろうとしていた。焦って呼び止める。
「ちょ、ちょっと待って」
「ん?」
振り向き様のキョトン顔は最高に可愛くて……ではなく、ここで逃したら、一生会えないかもしれない。女性に免疫のない俺だが、意を決して言った。
「あの、俺と、俺と……ミナモア行きませんか?」
「……?」
「あ、えっと、最近、広島駅に出来て、お洒落な店も沢山あって、美味しいものも沢山あって、デートにはもってこいの場所で、そこなら話もはずんで……」
何を言っているのか分からなくなっていると、彼女は困った顔で笑った。
「ごめんね」
「で、ですよね。俺となんて……」
「そうじゃなくて、私、ここから離れられないの」
「それは、どういう……?」
ていよく断られているのだと思ったのも束の間、彼女は何か閃いたように両手を合わせた。
「そうだ。良かったら、ここで聞かせてくれない?」
「……?」
「あなたが見たもの、感じたもの……あ、食べ物なら、私も食べられるから、持って来てくれたら共感できるかも」
「それは、つまり、ここでならデートOKってことですか?」
彼女は、にっこり笑顔で頷いた。
「よっしゃ!」
今度は、盛大に体全体で喜んでしまった。
誤魔化すように、咳払いする。
「オホンッ。じゃ、日時は」
「人が少ない時間帯なら、いつでもいるよ」
いつでも『良い』ではなく、『いる』という表現に違和感を覚えるが、俺の心は過去一で舞い踊っているので、小さいことは気にしない。
「じゃ、明日もこの時間に来ますね。えっと……」
「ノアだよ」
「ノアさん。可愛いお名前ですね」
「ふふ、ありがとう。涼君」
「あれ? 俺、名前言いましたっけ?」
首を捻れば、ノアは笑いながら「じゃ、また明日ね」とだけ言って、駆けて行った。




