自由時間2:こんな所から出られるか
この合宿所も施設である以上は固定電話があるのではないか。そう考えた小陽はスタッフルームや教員用の部屋を探してみたが、扉には鍵がかけられていて入ることができなかった。
「ハルハル、家族に電話したいの? そしたらえるーんに頼むか、せんせーに言えばよくない?」
「お願いしたって、どうせ直接は話させてもらえないよ……直接話せても、意味があるかはわからないけど……」
そもそもの話として、家族はこの合宿に同意済みである。必死に助けを求めれば多少の効果はあるかもしれないが、榎戸やえるに阻まれるだろう。菜々緒と同じように、有無を言わさず女の子にされてしまうに違いない。
「どうしてこんなことになったんだろう……こんなディストピア、漫画とかゲームのそれだよ」
「ハルハルってば、そんな絶望すること無くない? 給食よりもお弁当の方が美味しいし、広ーいお風呂に毎日入れるし、勉強は面倒だけど、ずっと閉じ込められるわけでも無いんだしさ? ちょっとした旅行だって思えば楽しい部分もあるっしょ」
「でも、菜々緒くんだって昨日は逃げ出そうとしてたって……」
「それは昨日までの話だって。今はそんなこと全然考えてないよ。せっかくえるーんがアタシたちの為に色々用意してくれてるんだし? どうせなら楽しまないと損じゃん!」
これもヘルメットによる洗脳の影響なのだろうか。それとも自身を女の子と認めて吹っ切れた結果なのだろうか。どちらにせよ、今の菜々緒に昨日のような反抗的な態度は全く見られなかった。
機嫌の良さそうな菜々緒を否定することもしたくない小陽は何と返すべきか頭を悩ませ、そこでとある事実に気が付いた。
「あれ……でも待って? お弁当も、お風呂も、全部を榎戸先生が用意してるわけじゃないよね? お弁当は外から配達されてるはずだし……お風呂だって定期的にメンテナンスは必要なはず……。この合宿所って、僕たち以外の人も出入りしてないとおかしいよね?」
「それはそうじゃん? それこそスタッフルームなんて、そういう業者さんの為の部屋なんだし。その内すれ違ったりも全然あるっしょ」
「そうだよ……! それなら、電話なんて必要ない……外部の人を見つけて、直接助けてもらえばいいんだよ! お弁当は日持ちするような物じゃないし、きっと毎日配達してるんだ。そのタイミングさえ分かれば……僕たち、きっと逃げられるよ!」
具体的な希望が見え始めたことによって、小陽の身体に気力が満ちていく。知らない大人に頼らなければならないという不安こそあったが、それでも必死に求めれば助けてもらえるだろうという目算もあった。
朝食と昼食は終わってしまったが、まだ夕食が残っている。既に夕食が配達済みだとしても、保管場所が分かれば配達員の動線に目星をつけられる。榎戸が食堂の用意を始めてしまう前に、夕食の弁当を探そうと意気込む小陽だったが――
「ハルハルー?」
――菜々緒に止められてしまった。小陽の肩を掴む手は、ネイルが食い込む程に力が込められていた。
「いたっ……なっ、菜々緒くん?」
「ハルハルさー……もしかしてだけど、えるーんの邪魔しようとしてない?」
小陽の瞳を見つめる菜々緒の瞳は全く揺れておらず、精密な機械を想起させた。
「邪魔って……僕はただ、もうこんな合宿を続けたくないだけだよ。睦美も……菜々緒くんだって、早く外に出てお医者さんにカウンセリングしてもらわないと――」
「どうして? どうしてアタシとムッツリンにカウンセリングが必要なの? 仮に必要だとしても、えるーんにしてもらえば済む話じゃない?」
「そっ、そんなっ……菜々緒くん、思い出してよ。これは、本当に菜々緒くんの望んでいることなの? 菜々緒くんは、本当に女の子なの?」
もしかしたら、話せばわかってもらえるかもしれない。ヘルメットの洗脳なんて一時的な弱いもので、しっかりと話してみれば拍子抜けするほどあっさりと元に戻るかもしれない。
そんな都合の良すぎる希望はただの妄想に過ぎないのだと、菜々緒は丁寧に小陽に教えてくれた。
「アタシは女の子だってば。えるーんが言ってたっしょ? 自分の心に素直になるのが大事なんだって……ハルハルも、えるーんに直接教えてもらった方がいいんじゃない? ね、えるーん?」
「はいはーい、えるを呼んだかな?」
菜々緒が懐から取り出したスマホには、白衣を着て聴診器を下げたえるの姿が映っていた。
「なっ、菜々緒くん? 何をするつもり?」
「そんなに可愛く怯えなくても大丈夫だってー。ただ、えるーんと一緒にお話ししてあげるだけだから……ハルハルの本当の性別の話をさ? ちゃーんと、ハルハルが素直になれるように……ね?」
「まっ、待ってよ菜々緒くん! ちょっと落ち着こうよ!」
菜々緒はえるの映るスマホを手にしたまま、小陽を壁へと追い詰めた。小陽の視界を菜々緒とえるだけで埋め尽くさんとばかりに、ふたりが小陽に迫る。
このままではまずいとわかっていても、小陽には何もできなかった。洗脳されているだけの菜々緒に手荒な真似はしたくなかった。
めり込んでしまいそうなほどに壁に背中をくっつけて、吐息が鼻の頭をくすぐるほどに迫られ、ぎゅうっと瞼を閉じることしかできなくて――
「おい、てめえら何してんだ?」
――ぶっきらぼうな声に驚いた小陽が目を開けると、久野絵が菜々緒の肩を掴んでいた。
「こらこら、めっだよ久野絵くん。菜々緒くんは女の子なんだから、そんなに乱暴に肩を掴んだりしたら――」
「消えろ、くそAI」
「――うん、それじゃあまたね。ばいば~い!」
音声案内の途中で電源を消された電化製品のように消えてしまったえる。お説教の途中でもスリープ機能は有効らしい。
「で、桜……てめえ何してんだ?」
「何って、ハルハルとお話しようとしてただけだよ? ハルハルがえるーんの邪魔しようとしてるみたいだったから、ちゃんとこの合宿の意義をわからせてあげないとダメかなって」
「は? てめえ何言って……いや、そうか……お前、そうだったな……。でも、それは桜の勘違いなんじゃねえか? なあ朝比奈、そうだろ?」
「あっ、うっ、うん! そうだよ、菜々緒くん。僕はえるの邪魔なんてしないし、業者の人に助けを求めたりもしないよ! ただ、そういうことをする人が出てくる可能性もあるかなって思っただけなんだ」
久野絵に話を合わせた小陽に納得したのか、菜々緒は照れ笑いを浮かべながら小陽から離れた。
「なぁんだ、アタシの勘違いか。ハルハルが変なこと言うから、早とちりしちゃったよー。でもさ……本当に嫌だよ、ハルハル? ハルハルがえるーんの邪魔したりしたら、アタシ何しちゃうかわかんないかも?」
「う、うん……気を付けるね?」
洗脳を受けた生徒はえるの狂信的な味方になってしまう。新たに発覚した事実を、小陽は心の奥底で重く受け止めていた。
「あっ、ちょっと待ってクノンパイセン」
事態が収束すると見るや何も言わず立ち去ろうとしていた久野絵に菜々緒が声をかけた。その声音は先ほどまでの不穏な気配を帯びたものではなく、少し弱々しく感じられた。
「なんだよ、俺に何か用でもあんのか?」
「うん、あのね……アタシ、クノンパイセンに謝らないとって思ってて。ほら、クノンパイセンってずっとアタシは女の子なんだって教えてくれてたでしょ? それなのに、アタシはえるーんに教えてもらうまで全然聞く耳持ってなくて、だから……ごめんなさい!」
両手を太腿に添えて頭を下げる菜々緒。それをしばらく見つめてから、久野絵は話し始めた……小陽が初めて聞く、棘の無い声で。
「オレは、あくまで相対的な話で桜を疑っていただけだ。教えてたわけじゃねえし、謝られる筋合いもねえ……わかったら、気色わりいから顔を上げろ」
「クノンパイセン……アタシが可愛いからってそんなに照れなくてもいいのに……」
「死ね」
ミニスカをヒラヒラと振りながら腰をくねらせる菜々緒と、率直に中指を立てる久野絵。
踵を返して立ち去ろうとする久野絵に対し、今度は小陽が質問を投げかけた……夜の話し合いが始まるよりも前に、久野絵の意思を確認する為に。
「ねえ……久野絵くんは、男の子なの?」
自らを男の子だと宣言するということは、他者を女の子だと告発するということ。小陽は久野絵にその意思を問うた。
「……どうでもいいだろ、そんなことは。俺はてめえらと仲良しこよしする気はねえ……それと、あのヘルメットも絶対被らねえ……それだけだ」
己の性については明言しないまま、明確な敵意だけを残して、久野絵は小陽の前から立ち去った。




