1580:覚えていない。
ジークが王都に出掛け、戻ってくると言っていた時間を少し過ぎていた。
アストライアー侯爵領領主邸の自室で執務を済ませた私はリンと一緒に、ジークの帰りを待っている。夕ご飯の前には戻ると言っていたのに、ジークが戻ってくる気配はない。これ以上遅くなれば、夜ご飯は別々に食べることになるなあと、少し寂しい気持ちが湧いてくる。ぼけーと窓の外を見つめてお腹を見せている毛玉ちゃんたちを撫でながら、側にいるリンに私は声を掛ける。
「ジーク、遅いね」
「大丈夫。戻ってくる」
今日はエーリヒさまとユルゲンさまから声が掛かりジークは王都へと向かったのだが、なにをしているのやら。まあ男性同士、気軽に馬鹿なことをしていると良いけれど。面子的に羽目を外すことはなさそうだし。
だというのにジークのことが気になるのは何故だろう。いつも一緒にいるから、存在が欠けていることに慣れないようである。リンは少し呆れているようだから話題を変えた方が良さそうだと、私はなにがあるだろうと考えつつ言葉を紡ぐ。
「神さまの島に向かう面子、どうなるかな?」
そう。昨日、グイーさまと約束した神さまの島へと向かう方を選定すべく、方々に手紙を送っていた。夏に南の島へ向かっている方たちと亜人連合国の皆さま。ボルドー男爵さまとヴァイセンベルク辺境伯さまとアルバトロス王国の陛下。
ヤーバン王国のアリーさまにアガレス帝国のウーノさま。ミズガルズ神聖大帝国には皇帝陛下か皇太子殿下か第一皇女殿下に行ってみませんかと誘っていた。他にも誘いたい方がいたものの、あまり人数が多くなっては問題だろうと止めておいた。
ヴァルトルーデさまとジルケさまは『もっと誘っても困らない』『親父殿なら力を使えば良いからな』と神さまらしい回答を頂いている。グイーさまも誰でも連れてきて良いと言っていたから、私は誰でも連れて行く予定である。手紙を出した方たちには一緒に行きたい方がいれば、その人もどうぞと一文を添えてあった。さて、どうなるやらと肩を竦めると、私をじっと見ていたリンも肩を竦める。
「気合いのない人は無理そう」
「気合いがないわけじゃないと思うけど……」
リンは神圧を耐えられる方が早々いないから参加者は少ないのではと言いたいようだが、気合でどうにかなる問題ではないような。私が苦笑いを浮かべていれば、寝床の篭の中で話を聞いていたクロが声を上げる。
『魔力量の低い人は神圧を耐えるのは大変そうだよねえ』
クロが翼を広げて、私の肩の上に飛んできた顔をぐしぐし擦り付けると、リンの肩の上にいるネルも彼女の顔にすりすりを始める。可愛いなと私は目を細めながら、クロのすりすりを受け入れた。
「祝福でなんとかなりそうだから施すけれど……知らない人が多いからね。そういえばクロは神圧を感じないの?」
前回、創星神さま方が屋敷にこられた時は屋敷の皆さまと応援の方々に、私が施した祝福のお陰なのか気絶する方はいなかった。今回、島へと赴く方で祝福を希望するなら施すけれど……お偉いさん方だからプライドの問題があるだろうし、安易に私に頼めないかもしれない。こっそりと施すのは駄目だろうから、手紙の一文にどれほどの効果があるのか分からない。とはいえボルドー男爵さまとアリーさまは参加するという返事がきそうである。
『感じるよ~でも敵意じゃないからどうにか耐えているってところかなあ。二十七柱の創星神さま方が集まった時は本当に凄かったねえ。でも、ナイの側にいたから少しはマシだったかもしれないね』
どうやら私の周りにいると私が漏らしている魔力で神さま方の圧を感じ難くなるようだ。それはそれでどうなのだと思うものの、今更感もあるようなと私は息を吐く。リンはクロの話を聞いてなにやら一瞬考え込んだあとへらりと笑った。
「そうなんだ。嬉しい」
ふふふと小さく笑うリンの腕が私に伸びてくる。彼女は私に守られているようで嬉しかったらしい。小さい子供ではないのだから、そろそろリンの甘え癖は治さないといけないだろうか。
でも、貴族家の当主と護衛という関係だからこの先もリンとは一緒に過ごすはず。無理に直すと拗らせそうだし、やめておこうと私は息を吐く。すると侍女の方が私の自室に顔を出し『ジークフリードさまが戻られました』と告げる。お迎えに行こうかとリンに声を掛ければ、分かったと返事がくるのだった。
◇
俺はエーリヒとユルゲンと別れて王都の店に寄ったあと、転移魔術陣を利用して王都からアストライアー侯爵領領主邸へと戻ってきた。数時間だけ屋敷を離れていたというのに、何故か随分と長く離れていたような気持ちになっている。転移陣が設置されている地下の部屋から一階の廊下を通り、二階にある自室を目指していると、少し離れた位置にナイとリンの姿を認めた。そろそろ夕食の時間だから食堂へ向かっているのだろう。
俺は屋敷の主に戻ってきたことを伝えるべく、彼女の下を目指す。するとナイとリンも俺の存在に気付いたようで、少し歩く速さを上げていた。そうして互いに一メートルほどの距離となって歩くのを止める。
「ジーク、お帰りなさい」
「ただいま、ナイ」
ナイが顔を上げて俺を見ている。彼女の瞳に映り込んでいる俺の姿が見えてしまい、妙な気分になってしまう。落ち着けと自身の心に言い聞かせていれば、妹のリンが半歩前に出た。
「お帰り、兄さん」
「ああ、ただいま」
リンの声で悶々とした己の気持ちがすっと引いた。どうにもナイが発した言葉の意味を知り、気分が浮ついているというか……普段通りの俺を演じれるかと疑問を抱えつつ大事なことを思い出す。
「土産を買ってきたから、あとで渡す。それと陛下から手紙を預かってきた。なるべく早く読んで欲しいそうだ」
今、俺の手の中には大量の土産がある。ナイが出先でいろいろと買い込むところを見ていたためか、世話になっている人やナイたちになにか買ってこなければという意思が俺にも目覚めたようだ。
王都の街に出た際、ナイへと贈る品を選んだ他に菓子類をたくさん買ってきた。侯爵家の警備部には甘い品が好物という者もいる。ただ口にしてしまうと男の癖に軟弱なと言われてしまう風潮のため、声を大にして主張することはない。
ただ警備部の執務室に置いておけば自然となくなっていくだろう。そして警備部だけに買えば摩擦が起きるため、調理部と侍女部門と下働き部門用の菓子も買ってきている。食べ物の恨みは怖いから買っていく際には慎重にとナイの言葉を覚えていたから、買っておいた。これもまあ、渡しておけば自然となくなるはずと俺は苦笑いになる。
陛下からの手紙は俺の帰り際に宰相補佐殿に呼び止められて、陛下からアストライアー侯爵に渡して欲しいと頼まれたものである。内容は神さまの島行きに関するものだそうだ。ナイは手紙を見ながら少し考える素振りを見せると、俺を再度見上げる。
「ありがとう、ジーク。じゃあ、陛下の手紙は今から執務室で開けて読んでみる」
「分かった。着替えたら、俺も直ぐに執務室に向かう」
「ん。あとでね」
「ああ」
そんな会話をナイと交わして俺は自室に戻る。着替えを終えた俺は王都で買ったナイに贈る品を手に取って胸元に仕舞った。ナイであれば宝石類より食べ物の方が有難がる。でもまあ、告白を受けたまま俺がなにもしないというのも、男が廃るというか。言葉の意味が分からず、エーリヒとユルゲンに相談を持ち掛けて良かった。でなければ王都で買い付けなんてしなかっただろうから。
「緊張するな……でも」
部屋で独り言葉を紡げば、肩の上に乗るアズがこてんと首を傾げた。
「なんでもない。執務室へ行こう」
俺はアズと視線を合わせれば、甘えるような鳴き声をひとつ上げる。アズとネルは最近、俺たちの訓練の際に相手の動きをよく見ている。訓練の際は危ないからと、肩の上から降りて貰い止まり木で待って貰っているのだが……どうにも、俺たちと一緒に攻撃を加えることを意識しているようだ。
まだ小さいから守られている側で良いのだが小さくても竜である。本能が刺激されているのかもしれないし、アズと協力して敵を倒せたならそれはそれで構わないのだろう。自室を出て、ナイの執務室を俺は目指す。廊下をしばらく歩けば、執務室の扉の前に立った。二度、扉をノックして、応対を待っているとリンがゆっくりと開いてくれる。
「ん」
どうぞ、くらい言ってくれと口にしたくなるのを我慢して部屋の中に入ればナイが机の上に突っ伏していた。大丈夫かと俺が声を掛ける前に彼女が身体を起こす。
「ジーク……」
顔を真っ赤に染めたナイが俺を見つめる。一緒にきていたリンが少し呆れているのは何故だろうか。クロたちは少し嬉しそうな雰囲気を醸し出しており、執務室の空気が妙な感じになっている。いつもの面子――ハイゼンベルグ嬢とヴァイセンベルク嬢と家宰殿――がいなくて良かったと俺は少し安堵してナイを見つめた。
「どうした、ナイ?」
「全然、記憶がないけれど……私、寝込んでいた時に大事なことを伝えたみたいだね」
陛下からの手紙には二つの内容が記されていたそうだ。一つは神さまの島行きの話。そしてもう一つはナイが寝込んでいた時の話である。ということはナイが俺に大事なことを告げたことを上層部は知っているようだ。
エーリヒが気を使ったのかと俺は片眉を上げるものの、状況を進ませたいなら悪い手ではないのだろう。俺もなかなか踏み出せずにいたから、外から背を押してくれる者がいるなら有難い。他人頼りは情けないと言われてしまいそうだが、ナイとの関係が進まないよりマシである。
「そうだな。やはり覚えていないか」
「あ……ごめん、あんまりね……でも私が言ったことは事実だよ。さっき、クロたちに聞けば『言ったよ』って教えてくれた」
妖精たちも盗み聞きしていたようで、亜人連合国ではめでたいめでたいと盛り上がっているとか。そういうことなら遅かれ早かれ、アルバトロス上層部も知ることになっただろう。ナイの言葉にクロたちが『役に立ったでしょ?』という視線を俺に向けている。毛玉たちは状況を良くわかっていないようで、頭の上に疑問符を浮かべていた。
「そうか。だから、というわけじゃないんだが……ナイにこれを」
俺は胸に仕舞っておいた箱を取り出して、ナイの前に差し出した。カッコつけるなら俺がナイに着けてやれとエーリヒとユルゲンから助言を貰っているのだが、その状況に流れそうにない。でも渡すなら今が好機なのだろう。俺が差し出した小箱をまだ顔の朱が取れないナイが見つめたあと、すっとこちらを見上げる。
「開けても?」
彼女の声に俺は頷く。ナイはゆっくりと小箱を手に取って蓋を開けた。中身を見つめた彼女は頭の上から湯気が出そうなほどに、また顔を赤に染める。ナイがそこまで顔を真っ赤にするのは初めて見たかもしれない。おずおずと顔を上げたナイは俺をしっかりと捉えていた。
「……よろしくお願いします。で良いのかな?」
「ああ。改めて、よろしく頼む」
世間一般の男女の付き合い方とは違うかもしれない。でも、まあ。俺たちなりの告白だし、ナイが寝込んでいた時にあの言葉を紡がれて嫌な気は全くなかった。もし誰かに付き合うことになった経緯を聞かれて答えれば『おかしくないか?』と言われるかもしれない。
でも、それで良いと俺ははっきりと言える。ナイはきっと恥ずかしがるだろうが、関係を進めようと決意してくれた。だからこれからは俺たちなりの幸せを掴み、共に時間を過ごせればいいと箱の中身を俺は取り出す。
「指に嵌めるのは無理だから、これを買っておいた」
俺はもう一つ用意していたものをナイに差し出す。ナイの指は魔力制御のための魔術具でほぼ占めている。箱の中身は指輪なのだが、俺の気持ちを贈っただけで指に身に着ける必要はない。用意していたのは指輪を首から下げるためのチェーンである。ナイもそれを見て理解したのか、いそいそと指輪をチェーンに通して首に付けようとしている。
「ありがと、ジーク」
声を上げたナイに、今であればアレが行けるかもしれないと俺は『着けても?』と聞いてみた。すると『ん』と短く返事をくれた。彼女の背に回った俺は、耳まで赤く染まっていることに目を細めるのだった。




