36 獣の愛
玄関を出ると、ツナギ姿のミトが庭の手入れをしているのが見えた。
「ミト……何してんのさ?」
「俺の風貌でぼーっと突っ立ってたら怪しまれるからな。カモフラージュだ」
雑草だらけだった庭が綺麗になり、伸び放題だった植木も伐採されてスッキリしている。なかなかの手際だ。ミトにこんな才能があるなんて初めて知った。
「行こう」
「お、もういいのか?」
「ああ。用は済んだ。さっさと着替えなよ」
「あいよ」
ミトは「へーんしん♪」と言ってクルリと一回転し、ライダースのレザージャケットにGパン、バッシュという、いつもの格好に一瞬で変わった。
こいつ、確実に二代目の血を引いてるな。あいつもふざけた特技を山ほど持っていたし。
「ふんっ!」
僕は目の前にあったバケツを思い切り蹴飛ばした。バケツは放物線を描いて庭の真ん中あたりに転がった。
「なんだ、不機嫌だな」
「不機嫌にもなるさ。なんだよあの兄妹は。気持ち悪い」
「『キング・オブ・気持ち悪い』のお前が言うなんて、よっぽどだな」
「……君の僕に対する評価って、どうなってるんだ?」
「おっと口が滑った。忘れてくれ」
つまり本音か。コノヤロウ、いつかヘコませてやる。
「で、何が気持ち悪いんだ? あの兄妹って、研究のしすぎでイッちまった兄が、可愛い妹を手篭めにした、てだけのことだろ?」
「バカか君は」
ミトの見当違いの回答に僕は悪態を返す。
「妹がジワジワ誘惑して兄を狂わせたんだよ。それも無自覚に、だ。妹は被害者ぶってただけだ、あっさり騙されるなよ」
奏の兄に対する思慕は、執着と言っていい。
奏は兄の愛情を独占するため、兄が好む女であろうと努力し続けてきた。そして兄には、理想の兄であることを求め続けた。
どうも、数学者を志していた兄が、多少の挫折ののちに物理学者となったあたりからおかしくなったようだ。あの妹は、兄が挫折するはずがない、これは兄が私に数学者になって右腕になれというメッセージなのだと曲解し、兄に代わって数学者を目指した。
まあ、そこまでなら可愛いものだ。「微笑ましいねえ」て笑って見ててやる。何なら応援してやってもいい。
だが、兄が女に誘惑されて論文の不正に手を貸したと知ったとき、本来の歪みが出てきた。
そんなのは自分の兄ではない、私が理想とする兄の姿ではないと、面と向かって詰り、罵倒し、ついには脅迫して追い詰めた。用意周到にして緻密な、理詰めの追い詰めだったようで、兄は妹に対して相当な恐怖を抱いたらしい。
追い詰められた兄は、保身のため事故に見せかけて妹を殺そうとした。
妹は、それに気づき、逆手にとった。
兄の計画をあえて止めず、事故を起こさせて兄に罪悪感を植えつけた。一命を取り留めたところで懸命にリハビリに励む姿を兄に見せつけ、その罪悪感を煽った。頑張りすぎて完治しては兄の罪悪感も減ってしまうと考え、リハビリは途中でやめてしまった。
「とどめは、介護にかこつけて肌をさらして誘惑し、自分を襲わせた。論文不正、殺人未遂、近親相姦。ガチの犯罪で兄の心に罪悪感のトリプルコンボさ」
「こえーな、おい」
「命懸けの恋といえば聞こえはいいけど、こんなのもう呪いだ。しかも全部、無自覚でやってのけた。呪いの強さという点じゃ僕の完敗だよ」
「まじか」
ミトがあんぐりと口を開けている。僕だって驚きだ。ただの人間があそこまでの呪いを完成させるなんて思いもしなかった。
これが、神すら生み出す新人類、ホモ・サピエンスの力か。産業革命が起こるまではただの餌だったのに、もう僕程度じゃかなわないかもしれない。何とかしないと、僕は本当に消えてしまう。
「まあ、事故の衝撃は予想以上で、フラッシュバックに悩まされてたみたいだけど。妹の中でいろんなものがごっちゃになってたから、僕も最初は見抜けなかった」
「支離滅裂で整合性がない、て事か?」
「そゆこと。奏視点で語るのを聞いたら、矛盾点がいくつもあると思うよ」
「そんなの、あの女を食いもせずよくわかったな」
「簡単さ、兄の方を食ったんだ」
「……あ?」
「ずっと女の子のふりをしていたのに僕が男だって知っていたろ? 不思議に思わなかった?」
誘惑され、妹を襲わされた翌朝。妹に何を吹き込まれたのか、僕の顔を見るなり襲いかかってきた兄を、僕は逆らわずに受け入れた。
「いや凄かったね。妹にほとんど腐らされててさ。鼻つまんで食べたよ」
「あのプンプン臭ってたやつを? 食うなよ、そんなもん」
「おかげでお腹壊しちゃった。少彦名命が腹に穴開けてくれなきゃ、今も抱え込んだままだったよ」
「お前、アホだろ」
少彦名命が僕の腹に穴を開けた時、まず流れ出したのがそれだ。少彦名命が勘違いして食えばいいと思っていたが、見た目が最悪なので警戒したらしい。さすがは大国主命のブレーン、若造のくせに知恵がまわるところが小賢しい。
「俺には兄の仕打ちに怯える妹、て見えたがなあ」
「無自覚の誘惑だったからね」
奏には、兄を誘惑しているときの自覚もなければ記憶もない。ある種の二重人格と思われる。人格として独立するまでには至っていないようだから、本人は夢の中の出来事のように感じているかもしれない。
ああ。
弱点があるとすればそこか。思考が生み出す巨大な力に、ホモ・サピエンスの肉体は耐えられない。あの妹も、脳が呪いに耐えられなかったのだろう。
だが僕なら耐えられる。なにせ僕は死なない。そもそも生きてすらいない。あの忌々しい古代神どもを倒すためにも、ホモ・サピエンスが持つ思考の力をなんとしても手に入れたい。
「で、あの二人はどうなるんだ?」
「さあね」
そう答えて、僕は笑う。
「まあ、ストッパーを外しておいたからね。今まで通りじゃないだろうね」
「ストッパー?」
「倫理観だよ。欠片も残さず食ってやった」
兄への異常な執着があるくせにそれが表面化しなかったのは、それを上回る倫理観があったからだ。そいつが奏の異常な執着心を押さえ込み、反発すらさせていたのだが、それを僕が食い尽くした。
「餞別に、二人を同じベッドに放り込んできた。目が覚めたら欲望のままに食らい合うさ」
「本を取り戻すだけにしては遅いと思ったが……そんなことしてたのか」
「僕からのお祝いさ。獣の愛に祝福あれ。支離滅裂さも、ちょっとはマシになるさ」
そして僕を上回る呪いも消える。ざまあみろ。
「趣味悪いなあ。お前、悪いのは性格だけにしとけよ」
あくび混じりのミトの言葉にムカついて、僕は蹴りを放った。
それをミトは軽々と受け止める。ちくしょう、腕っ節じゃ絶対に勝てないか。今に見てろよ。




