(3)
目線で白い尾を追っていけば、やがては美しい横顔にたどり着く。
私の視線に気づいたのだろう。前を向いていた紅葉が、こちらを向いた。
「どうしたんだい?」
「いえ……その、尻尾が、出ています」
何となく言ってみると、紅葉は目を瞬かせて、ふっと笑う。
「そういう四葉も尻尾が出ているじゃあないか。それに耳も」
指摘されて、私ははっと頭の上を押さえた。さっき合羽を脱いだから、頭の獣耳もおしりの尻尾も丸見えになっているのだと今さら気づく。
耳と尻尾をしまおうと集中しようとしたが、車の窓の外がぱっと明るくなり、轟く雷鳴に「ひっ」と息を呑んだ。
ぼふっと膨れた焦げ茶色の尻尾に、紅葉がくすりと笑いを零す。
「相変わらず雷が苦手なんだね」
紅葉はそう言って、軽く目を閉じる。雷鳴を気にも留めずに、七本の白い尾を簡単に消してしまった。余裕を見せつけられたようで、少しむっとする。
私だって、と耳と尻尾をしまおうとするが、雷の光や音に気を取られて集中できない。隣から注がれる視線も気になって、余計に焦った。
うんうんと唸りながら苦戦する私の傍らで、空気が動く。甘く爽やかな匂いがして、視界に影が差した。
顔を上げる前に、私の頭に温かな手が触れる。私の獣の耳を、私のものではない手がそうっと押さえてきた。
「っ……」
「四葉。前にも教えただろう?耳も尻尾も、自分の体の一部だって。目を閉じて、集中しなさい」
声は違えども、それは確かに、かつて私に教えてくれた姉弟子の言葉と同じであった。
『集中なさい、四葉。耳も尻尾も自分の一部分よ』
耳を覆う柔らかな手。甘く優しい声。
懐かしさに、私はつと胸を突かれる。
かつて紅葉と私は、師匠――花崎月之丞の下で、姉弟子と妹弟子として共に暮らしながら修行をしていた。
大雑把な師匠に代わり、私にあらゆる化け術を懇切丁寧に厳しく教えてくれたのは、紅葉……モミジ姉さまだった。
『耳も尻尾も、見えなくするには消すのではなく、自分の中に溶かし込んでしまえばいいの。さあ、ゆっくり、十数えて――』
『…………姉様、できました!ちゃんと隠せましたよ!』
『そう、よくできたわね。じゃあその状態を維持しましょうか。あの山に月が昇るまでね』
『え!?で、でも姉様、今夜は曇りで……』
『ええ。明日の晩には晴れるといいわね。それまで頑張りましょうか。……あら、もちろんできるでしょう?私が教えたのだから。ね?』
『うっ……で、できます!』
自分のはるか先を行く、敬愛してやまない姉弟子に、少しでも追いつきたかった。
泣き言を堪え、負けまいか、泣くまいか、と頑張った。
『よくがんばったわね』
術を一つ覚える度に、褒めてくれる笑顔と、頭を撫でてくれる手が、嬉しくて。大好きで――
「……四葉?」
紅葉の訝し気な声に、私は我に返る。
そうして、自分がぽろぽろと涙をこぼしていることに気づいた。
悲しいのか、嬉しいのか。自分でも分からぬ感情が胸を締め付ける。
ひくっと喉が震えて、声も出せずに泣いてしまう。堰を切ったように溢れる涙を止めることはできなかった。
頬から顎をつたった涙が、高級な皮のシートにぽたぽたと落ちる。とっくに雨の雫で濡れているから、涙の数滴は気にしなくていいだろう。気にしている余裕もない。
「四葉、どうしたんだい?」
黙って泣く私に、紅葉は珍しく戸惑っているようだった。
いつもの紅葉のようにからかうことも、かつてのモミジ姉さまのように優しく宥めることもしない。やがて躊躇いがちに、白い掌が頬に触れてくる。
「……そんなに、雷が怖いかい?」
「……」
「それとも、私に触れられるのが、いや?」
ああ、なんて――意地の悪いお人なのだろう。
私が答えられないことを、知っているくせに。
私の答えなんて、きっと知っているくせに。
彼が試すような言動をしてくる思惑は、私にはわからない。だがそれは、私の心を揺らがせる。彼の一挙一動に、一喜一憂するのだ。
小さき獣である狸の心には、とても抱えきれないというのに。
「……き……きらい、です」
辛うじて言い返した言葉は小さくて、震えていた。何が嫌いとも言えてない。はっきりと言って拒絶してしまえばいいのに、それすらもできなかった。
私の虚勢に、紅葉は「そう」と囁くように相槌を打つ。淡々とした声は、なぜかひどく寂しそうに聞こえたが、気のせいだろう。私が寂しいから、きっとそう聞こえるだけなのだ。
それきり紅葉は黙って、ただ私の頭を抱き寄せて、頬を気まぐれに撫でる。
そのおかげだろうか。泣き続ける私に追い打ちをかける雷様の音も光も、もう届くことは無かった。




