(4)
その日の夕方。
城下町で三弦兄さんと別れ、旅館に帰り着いた私は、本館の食堂の縁側でひとり休んでいた。
休館日とあって、いつもよりもずっと静かな我が家である。
お客さんのいない食堂の座敷を背にした私の傍らには、母からもらった小遣いで買ったお土産の大福の箱と、三弦兄さんに別れ際にもらったマドレーヌの箱が置いてある。
みんなで食べようかとも思ったが、両親や五樹君は狸姿でくぅくぅと気持ちよさそうに寝ていたので、起こすのも忍びなく。起きて出迎えてくれた二海兄さんが、今台所でお茶を用意してくれている。
私はひとり、縁側でぶらぶらと両足を垂らして待っていた。陽が翳ってきた庭を眺めていれば、上から柔らかな声がかかる。
「おかえり、四葉」
顔を上げると、浴衣姿の一郎兄さんがいた。
袂に手を入れた彼は、私の側に置いてある菓子を見てふっと微笑む。
「あいつは、元気にしていたかい?」
あいつ、が誰を指すかは言わずもがなである。
「はい、元気そうでしたよ。豆蔵のパフェとおはぎセットとあんみつをたいらげていましたから」
「ははっ、相変わらず甘党だねぇ」
軽やかな笑いを零した一郎兄さんは、屈んでマドレーヌを一つ取った。いただくよ、と言い残して、一郎兄さんは去ってしまう。呼び止める間もなかった。
入れ替わりにやってきたのは二海兄さんだ。湯呑と急須の乗ったお盆を持っている。
二海兄さんは一つ減ったマドレーヌを見て、「兄上か?」と尋ねてくる。
「はい。さっき持っていきました」
「そうか」
一緒に食べていけばよかったのにと思うが、たぶん誘っても一郎兄さんはさらりと断るだろう。たまにそういう時があるのだ。
私よりも一郎兄さんのことをよく知っている二海兄さんは、何も言わずに茶を注ぎ、湯呑を差し出してきた。
そうして二人縁側に並び、お茶と共にマドレーヌと大福を頬張る。二海兄さんは大きな口でマドレーヌを半分齧り、味わうようにもくもくと噛んで飲み込む。
「うん、美味い」
「最近、焼き菓子を任されるようになったようですよ。マドレーヌとクッキーと、それから、ええと……フィナンシェとかいうお菓子です」
「そうか。……良かった」
二海兄さんの目が、嬉しそうに細められる。
……二海兄さんは三弦兄さんとは双子であり、私達五兄弟の中でも一番仲が良かった。
とはいえ、二人の性格上、べたべたと引っ付いて常に一緒という仲の良さではない。ただ、相手のことを一番理解していた。いわゆる“つうかあ”の仲と言うのだろう。
だから、私は不思議でならなかった。
三年前、二海兄さんは三弦兄さんを何度か引き止めたものの、最後は見送った。
家を出る双子の片割れを黙って見送る大きな背中を、私は後ろで見ていた。
一番仲が良かったのに。
一番理解し合っていたのに。
なのに、二海兄さんは、一郎兄さんの側についた。
三弦兄さんと一緒に出ては行かなかった。
三弦兄さんと一緒に行くべきだったのでは、とは言えない。
二海兄さんまで出て行ってしまっていたら、きっと花崎旅館は今のように立ち直ることはできなかっただろう。
だから、残ってくれて良かったと、私は利己的にも思ってしまう。
けれども、二海兄さんはどうなのだろう。
本当は、三弦兄さんと離れ離れになりたくはなかっただろう。私もきっと、五樹君と離れ離れになるなんて耐えられない。
それを我慢して、兄さんは家族のために、山の狸たちのために残ったのだろうか――
大福を頬張りながら考えていると、ふと肩を軽く叩かれた。はっと横を見れば、二海兄さんが口元を緩めてこちらを見ている。
「粉だらけだ」
「え?」
二海兄さんの指が示す先を見れば、私の纏う作務衣の胸元から膝まで、大福の白い粉が飛び散っていた。作務衣が紺色の分、白い粉は余計に目立った。
わたわたと慌ててはたくが、その手にも大福の粉が付いているので、余計に白くなってしまう。困って眉尻を下げる私に、二海兄さんが小さく微笑んだ。
「難しい顔をして、考え事をしているからだ」
手拭いで私の口の周りについた粉を拭き取り、作務衣の表面の粉を軽くはたきながら、二海兄さんは言う。
「あいつが元気で、無事でいる。それが分かれば、十分だ」
「……」
「俺は、ここで待つと決めた」
だから、気にするな。
そう言って、二海兄さんは私の膝の上に、粉をはたき落とした手拭いを敷いた。これ以上汚さぬようにとの配慮である。
一連の幼子に対するような扱いに、私は耳を赤くする。
扱いのせいだけではない。私の考え事は、二海兄さんにはお見通しだった。
一郎兄さんも、二海兄さんも、三弦兄さんも。
家族を守りたいのは、みな同じなのだ。
一郎兄さんは狸の生活を、三弦兄さんは狸の誇りを優先した。
そして二海兄さんは、家族の絆を守れるように。この場所に残って家族を守り、いつか三弦兄さんが帰って来られるようにと――
私は恥ずかしさをごまかすように残りの大福を一口で頬張った、しかし今度は粉で噎せてしまう。
結局、二海兄さんにお茶を渡され背中をさすられ、甲斐甲斐しく世話されることとなり、私は己の未熟さを痛感したのだった。