(3)
「どういうことだよ兄貴!あの狐野郎を旅館に出入りさせるつもりか!?」
三年前、モミジと名乗っていた化け狐の七重紅葉が花崎旅館を訪れ、東の離れを貸切りたいと申し出をしてきたときのことだ。
その申し出を受け入れた一郎兄さんに、一番怒りを現したのは三弦兄さんだった。
「旅館を立て直すためにはお金がいる。七重殿は、ずいぶんと良い条件を提示してきたからね。背に腹は代えられないよ」
「ふざけんな!!そもそも、あいつのせいで旅館が潰れかけてんだろうが!」
冷静な一郎兄さんの胸倉を、三弦兄さんが掴む。常に落ち着いている無表情な二海兄さんが、困惑しながらも三弦兄さんを羽交い絞めにして押さえた。
「落ち着け、三弦」
「離せよ!二海、お前は兄貴の味方をするのか?狐野郎を出入りさせて平気なのかよ!?」
「それは……」
二海兄さんは言葉を濁しながらも、三弦兄さんを拘束する腕は緩めなかった。
私と五樹君は離れた場所で母様の腕の中に隠れながら、おろおろとすることしかできなかった。
三弦兄さんは兄弟の中で一番血の気が多く、一郎兄さんと衝突することは度々あった。今までも何度か兄さん達の喧嘩を見てきたが、ここまで激しいものは初めてだ。
三弦兄さんの怒りの矛先は、一郎兄さん以外にも向けられる。
「親父もお袋も、なんで兄貴の言うことなんか聞いてんだよ!四葉と叔父貴を騙して、花崎一族の名に傷をつけた奴だぞ!」
「……三弦、それは私もよくわかっている。お前の気持ちもよくわかるよ。……だが、旅館と山を守るのが私達の役目だ。旅館が無くなれば、山が無くなれば、残る同胞は行き場を無くしてしまう。それだけは避けたいんだ」
「っ……」
「すまない三弦。でも、どうかわかっておくれ」
父様の言葉に、三弦兄さんは苦しそうに顔を歪めながらも、牙を収めなかった。
「狐に化かされて、狐のご機嫌とりをして……あんたら、それでも化け狸かよ。狸の誇りはどこにやったんだよ」
ぎり、と歯を噛み締めた三弦兄さんは皆を睨みまわす。
「俺は、絶対に認めない。あの狐を出入りさせるってんなら、こんな旅館出て行ってやる…!」
「……じゃあ、そうするといいよ」
さらりと答えたのは、一郎兄さんだった。
「僕が決めたことに反対するのなら、出て行ってくれて構わない」
「……」
呆気に取られる皆に、一郎兄さんはただ静かに微笑んだ。
三弦兄さんが父様や母様、二海兄さんの制止を振り切って家を出たのは、その翌日のことであった。
周囲の野山だけでなく町中の路地を探し回ったが、ついに行方は知れることはなかった。
***
三弦兄さんが家出し、消息が掴めぬまま半年が過ぎた頃であろうか。
私が山に入って、干し柿にする柿を採っていたときだ。聞き覚えのある鳴き声が聞こえてきて、辺りを見回せば、茂みの中から一匹の狸が姿を現した。
「……三弦兄さん?」
呼びかけに応えるように、きゅうと小さく鳴いた彼は、くるりと回って人間の青年の姿へと変化する。私は急いで駆け寄って、その胸に飛びついた。
「よかった、無事だったんですね!みんな心配していたんですよ。今までどこにいたのですか?」
見上げると、三弦兄さんはどこか気まずそうに目を逸らしながらも、「久しぶりだな」と頭を撫でてきた。
「……元気にしていたか?」
「はい、私もみんなも元気ですよ」
久しぶりの手の感触に嬉しさを覚えながら、私は彼の腕を取った。
「早く家に帰りましょう。父様も母様も喜びます。あれから旅館の方も、少しずつだけどお客さんが来るようになったんですよ。三弦兄さんが帰ってくれば、やっと家族みんなで……」
しかし三弦兄さんは私の手を払って、きっぱりと言う。
「俺は家に戻る気はない」
「え……」
「あの狐がいる限り……兄貴が考えを変えない限り、俺は家に帰らない」
「で、でも、ここにいるではありませんか。帰ってきてくれたんじゃ……」
「……たまたま近くを通りがかったから、少し寄ってみただけだ。べ、別にお前たちのことが気になっていたわけじゃあないからな!」
最期に怒鳴るように言うと、兄さんは再び狸姿に戻る。私が引き止める前に、ざっと茂みを鳴らして姿を消してしまった。
急いで追いかけて探したが見つからず、結局私は一人で家に戻った。家に戻る気はない、と言い切った三弦兄さんのことを両親や兄たちに話すこともできなかった。
話すべきか、黙っておくべきか。悩みながらもひと月が過ぎた頃である。山に入った私の前に、三弦兄さんが再び姿を現した。
驚く私に対し、仏頂面の兄は「たまたま道に迷っただけだ」と言って、元気かどうか尋ねてきた。そうしてまた、去ってしまった。
偶然の再会。二回目は困惑したが、三回目になると、おや、と疑問が出てくる。
約一か月おきに山に、しかも私が一人でいるときを狙って“たまたま”通りすがる三弦兄さんに、さすがにこれは偶然ではないと気づいた。四、五回と繰り返されれば、確信へと変わる。
――三弦兄さんは、家族の様子を見に帰ってきている。
しかしそれに気づいても、尋ねれば否定されることはわかった。
そして問い質すような真似をすれば、こうして会いに来てくれることも、無くなってしまうかもしれないということも。
だから私は、三弦兄さんの行動に気づかぬふりをしながら、その後も会い続けた。
旅館の裏山での面会は、他の兄弟に見つかるかもと三弦兄さんが落ち着かないので、次第に城下町で会う流れになっていった。
こうして私は、家族に内緒で月に一度、三弦兄さんと会っている――わけなのだが、どうやら家族には最初から筒抜けのようだった。
今日のように、出かけに母様や父様から小遣いをもらうこともあれば、二海兄さんからおにぎり(三弦兄さんが大好きな昆布の佃煮入り)を預かることもある。
そしておそらく、三弦兄さんもきっと、すべて気づいているのだ。
*****
最後に残った餡子のおはぎを食べ終えた三弦兄さんに、私は声を掛ける。
「三弦兄さん。そろそろ帰ってきてはくれませんか。みんな、兄さんの帰りを待っています」
「……」
「……いつまでも、待っていますから」
眉間の皺をそのままに、無言になった三弦兄さんは、私から目を逸らしてしまう。
もっとも、これが初めてのことではない。三弦兄さんに会ったときに私が必ず言うことであり、彼の答えは大抵無言であった。
今日も答えは無いものかと諦めていたが、ふと三弦兄さんがこちらに視線を戻してきた。
躊躇うようにいったん目を伏せた後、への字に曲がっていた口が小さく開く。
「……近い、うちに……」
「三弦兄さん?」
「……何でもない」
ふいっと、三弦兄さんは再びそっぽを向いてしまった。
言いかけた言葉を聞きとることはできなかったが、今までと違う態度に私はしばし戸惑う。
何と言ったのか尋ねようとすれば、三弦兄さんはメニュー表を取って「あんみつ追加!」と誤魔化してしまい、聞けず仕舞いになってしまったのだった。




