私が〝本物〟
――機先を制す。
地上に広がる動揺の波と叫ぶ反ムルドゥバ派の声を耳にした時、リュウヤはそう判断して咄嗟に行動していた。当初の予定ではセムの護衛役を任されており出番などなかったのだ。ロイドの襲撃も地上からの攻撃を想定していた。しかし、もはや当初の作戦は完全に狂ってしまっていた。
このまま予定に従っていれば騒ぎ立てた連中が行動を起し、彼らに影響されて暴動が起きかねないとリュウヤは思っていた。
リュウヤが〝天翔竜雷〟を放ったのも、ロイドたちを駆逐する為だけでは無く、地上の民衆の度肝を抜いて暴動を防ごうとしたことも狙いにある。
そのリュウヤの判断は結果的に正解で、強烈な衝撃波を目の当たりにしてからは地上の民衆や反ムルドゥバ派の人間たちはすっかり委縮してしまい、人々は金縛りにあったように空を見上げている。
「〝あいつ〟め、リュウヤがいるならきちんと情報を流せ……!」
呪詛めいた愚痴を言いながら、押し寄せる熱波にセムは〝星鳥〟を急旋回させ、わずか一瞬あとに激光を放ちながら竜を模したエネルギー波が翔け上っていく。辛くも天翔竜雷をかわすことが出来たと安堵の息を漏らしかけたが、光の竜が空へと翔るすぐ傍で、熱波がチリチリとセムとロイドの肌を焦がす。熱波から伝わる力の大きさに二人は戦慄していた。
一方のリュウヤも切り替えが早かった。
二人を逃したと覚ると遠距離攻撃を諦め、鎧衣を推進させてきた。セムが巧みに“光鳥”を操り、ロイドの魔法攻撃で防いでいるが、リュウヤも次々に迫る攻撃魔法を斬り、或いはかわして次第にロイドたちへと距離を縮めていく。
しつこいとセムが舌打ちした。
「ロイド、“星鳥”をあなたに任せて良いかしら」
「良いさ。姉さんの“星鳥”があればあんな奴。今の技も、集中していればかわせない速さじゃはない」
「頼むわよ」
セムは星降りの指輪をかざすと、大量の光の粒子が空に舞い、やがて強烈な光となってリュウヤとロイドたちを遮った。
突然の光にリュウヤの目が眩み、その場に立ち竦んでいると、不良となった視界に光の中から何かが突進してくるのを捉えていた。
「行くぞ、リュウヤ・ラング!」
ロイドの怒声とともに、光の中から雷撃が生じリュウヤに襲いかかってくる。視力が回復しきっていないリュウヤとしてはかわす他なかった。雷撃から逃れて視力を取り戻すとリュウヤは目を疑った。“星鳥”と呼ぶ光をまとったロイドが猛進してきたからだ。
「そんなこともできるのか……!」
「これが“星降りの指輪”のもたらす力のひとつ、“星奉祭”に集う十二の星座。星たちに描かれた“星獣”たちを我らの力とする!」
シャンタクが確かに星座にあることをリュウヤは思い出せたが、他に何があったかまでは考える暇はなかった。
振りかざした星鳥の翼が、巨大な剣となってリュウヤに伸びていく。弥勒で弾いたが重い一撃に手が痺れた。正面から受けたらまずいと、リュウヤの本能が告げていた。柳の枝のように身をかわすと、間合いをとって八双に構え直した。
――〝捕まえる〟か。
〝斬る〟ではなく〝捕まえる〟。
星奉祭前の打ち合わせで、しっかりと話し合いたいというのが祭主セムからの要望であった。屈辱の目に遭わせ、大人しく話合いができるとは思えなかったが、血走った目つきで睨んでくるロイドを見ていると、戦闘中に耳を傾けるとも思えない。捕まえるしかないとは思うが、手加減できる相手ではないために、ロイドを斬らないで済むかリュウヤには自信が無かった。
ロイドの後方では、セムが翼をはやした狼のようなものにまたがっている姿が視界の端に映った。
「さあ、“星狼”、偽物を潰しにいくわよ」
「くそ、待て!」
「させるか!」
祭壇に突撃しようとするセムに、リュウヤが阻止しようとしたがロイドが執拗に迫ってくる。星鳥から繰り出される重い攻撃がリュウヤの行く手を遮り、リュウヤはロイドの相手をせざるを得なくなった。
その間に、セムは“コートドール”へと突進していく。その姿は燃え盛る流星のようで、フンゼルら参列者や星告げの使者もあわてふためいて逃げ散っていく。セムは猛烈な勢いで祭壇に降り立つと、爆発したような衝撃が巻き起こった。周囲にいた人間は吹き飛ばされ、岩壁にいた音楽隊の星告げの使者も危うく転落しかけていた。
「さあ、これであなたは消える。“本物”だけが残るのよ」
土煙が周囲を漂う中、セムは静かに“セム”へと近づいていく。ローブ姿の“セム”は背を向けたまま、地面で丸くなっている。
「子どもの頃から雷が嫌いで、あなたそうやって毛布被ってやり過ごしていたわよね」
「……」
「気が弱くて頼りなくて、情けない自分が嫌だった。あなたには力があったのにね。でもそれも終わりよ」
「……」
“セム”は地に伏せたままぶつぶつと何か呟いている。一定のリズムがあり、祈りの文句だろうとセムはせせら笑った。
「そうね、最期だから祈りなさい。届かない祈りを」
「〝……我らが力よ、竜の血よ。今まさにその力を示す時……〟」
「」
微風にのって聞こえてきた祈りの文句にセムは違和感を懐いた。
祈りの文句には、今ここで聞こえてくるような文言などない。
「〝母なる地よ。紅の竜を風に乗せ、空にその威を示せ……〟」
「呪文の詠唱……?」
その時、伏せた“セム”の下から、爆発したような強風が巻き起こった。ローブが煽られフードが外れると、その下から豊かな金色の髪がたなびいて現れた。その両手の内には、強大な魔力を含んだ光の塊が生じている。
「クリューネ・バルハムント……!」
「喰らえ……、“臥神翔鍛”!!!」
振り向き様に向けた手の内から激光が生じ、灼熱の竜がセムに襲いかかった。
「“星狼”!」
セムは咄嗟に星狼をぶつけると、高エネルギー同士の衝突で、猛烈な爆発と衝撃波が発生した。また周囲の人間がなぎ倒される中で、衝撃波の圧力にのって、二人は互いに間合いをとって構えていた。
「ちっ、超至近距離ならいけると思ったがの」
「あいつは……、偽物をどこへやったの」
「教えるわけなかろうが」
喚きながら放つクリューネの“雷鞭”が、地面を砕きながらセムに向かっていった。
「しゃらくさいわね!」
セムは吼えると同時に、腕を払って雷鞭を弾き飛ばした。セムの腕は魔力が滞留していることを示す淡い光に包まれていたが、よほどの魔力でなければ雷鞭レベルの魔法を弾き飛ばすことなどできはしない。
「……その程度の魔法じゃ通用しないわよ」
セムが歯を剥いた。笑っているような怒っているような悪鬼の形相に、全身に冷たいものが流れた。
臥神翔鍛中心で勝負するしかない。魔力の消耗を考えればリスクが大きいが、そんな余裕はなさそうだった。
睨むクリューネにセムが吼えた。
急激に増幅した魔力が猛風を生じさせて、砂塵が巻き起こった。
「さあ全力で来なさい。クリューネ・バルハムント!」
※ ※ ※
クリューネとセムの攻防が始まるのを目の端に入れながら、上空ではロイドが歯噛みしながらリュウヤの攻撃を凌いでいた。
――“あいつ”の話では、祭壇にいるのはセム本人だという報せがあったのに。
「寸前で入れ替わっていたのか」
間隙を突くように蒼光の蝶が突進してくる。
「セムさんに手を掛けるつもりか!貴様の姉さんなんだろ!」
リュウヤは吼えながら“弥勒”を振るった。尋常ならざる鋭さに、ロイドも一瞬たりとも気が抜けないでいる。ただの片刃の剣で星鳥の猛攻を凌ぎ、反対に攻め込んでくるリュウヤという男に信じがたい思いでいたが、それが目的の邪魔をしているのかと思うと、ロイドの中で怒りが増幅していった。
「あれは偽物だ。貴様に関係ない!」
「偽物てなら、先に化けの皮を剥いでみせろ!てめえらが本物だ偽物だと騒いでいるだけでわかるか!」
距離をとった瞬間、リュウヤの天翔竜雷が咆哮した。ロイドは身を翻しながら熱波をかわし、“雷槍”を発した。鎧衣のバリアで防いだものの、真正面からでは勢いのあるロイドが勝っていた。リュウヤはボールのように弾かれ、重い衝撃に骨が軋みをあげた。
「毅然とした仕草に颯爽とした行動力。迷わぬ果断さ。して何よりも“星降りの指輪”を巧みに操る力。あれこそが“本物”のセム姉さん。俺たちにとってはそれだけで充分だ」
「それだけだと……?それだけで」
予想もしない答えに、リュウヤの心に一瞬の空白が生じた。それが隙となり、あっという間にロイドが目の前まで殺到していた。
「ムルドゥバの犬ごときに、俺たちの気持ちがわかるか!」
「くそ!」
リュウヤは鎧衣でバリアを張ったが、ロイドは巨大な翼を叩きつけてきた。重い衝撃がリュウヤの身体にのし掛かり、リュウヤは地上へと押されていった。
「リュウヤ!」
クリューネは叫んだが、リュウヤの危機に気を取られたのがいけなかった。
それほど長い戦闘ではないはずのに、クリューネの魔力はほとんど残されていなかった。セムは以前よりずっと力を増していて、わずかな間に魔力が消耗しきっていた。
クリューネが視線をそらしていた隙に、セムが“雷槍”を放っていた。クリューネも咄嗟に“雷槍”を撃ったものの、圧力で負けて爆風によって地面に叩きつけられていた。
「しまった……」
背中を打って息が詰まった。急に視界が滲み、身体を打ちつけた影響か力が入らなくなっていた。身体をうつぶせにするだけが精一杯で、クリューネは這うように前に進んでいたのだが、スッと人の足がクリューネの行く手を阻んだ。頭上から女の声がした。相手が誰かわざわざ確かめるまでもなく、クリューネは女の足元をじっと睨んでいた。
「どう?前よりも、かなり魔力が増したでしょ。これが指輪を操る者の力」
「いったい何者だ貴様……」
「知っているでしょ。“本物”のセムよ」
「違う。本物とやらのセムはちゃんとおる。私にだってわかる。騒いでいるのはお前とロイドだけじゃ」
「確かに、あのセムも“本物”だからね」
「……?」
「でも、あれはロイドが望むものじゃない。だからそうじゃないものは〝偽物〟なのよ」
「……何を言っているのだ」
わけがわからず眉をひそめるクリューネに、優勢なロイドを横目にセムは勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「私はねえ、“あの”セムから生まれたのよ。一年前、あの“星奉祭”の日に。星降りの指輪によって」
「なんじゃと……?」
「今日は良い天気ね。風に運ばれてくるこの葡萄の甘い香りも好き。今年のワインは上出来ね」
目を見開くクリューネを横に、セムは風の匂いにスンスンと鼻を鳴らしていた。
細めた先にリュウヤとロイドのまとう光が交錯し、放出したエネルギーが空を照らしていた。ロイドの圧力から何とか逃れたらしいが、“捕まえる”という頭があるせいか、リュウヤの動きがどこかぎこちなくためらいがある。
「この素晴らしいシュタルトを、ムルドゥバなんかの意のままにされるなんてね。情けないワタシ」
「貴様は、あのセムから生まれたじゃと?」
「そういや、話が途中だっけ?」
セムの声は、喫茶店で雑談しているように明るい。
「星降りの指輪。持ち主の祈りを叶える伝説の指輪。その力は充分に知っているわよね。昨年の“星奉祭”であのセムはこの指輪を使い星に祈った」
「ああ、だがセムは何もなかったと……」
「あったのよ。星に祈りは届いた。〝偽物〟が知らないだけ」
「なに?」
「あの子の祈りは“ロイドを護る”こと。自分の理想像を思い浮かべながらね」
「……」
「精神的に明るくタフで大胆。肉体的にも優れて背がスラリとしてる。私はあのセムの理想なのよ。私はロイドを護るために生まれ、ロイドも私を受け入れてくれた」
「そんなことが……」
「私がここにいて、星降りの指輪をうまく使っている以上に良い証拠ある?」
ロイドはね、と悲しそうに長いまつ毛を伏せた。
「一度は死んだ。今の身体は私の魔力で心臓を動かしている。私が死ねばロイドも死ぬ。全てが繋がった本物の姉弟」
「……ようそこまで種明かしするな。ベラベラと」
「そうね。余裕があるからかしら」
ふっと笑って、セムは空を仰ぐようにロイドを見上げた。
「ロイドが勝つからね」
虚空に爆発音が轟いてクリューネが見上げると、禍々しい黒煙の塊の中からリュウヤが吹き飛ばされていく姿が映っていた。




