偽物呼ばわり
偽物。
リュウヤもクリューネも言葉の意味がわからず、ニセモノニセモノと何度も頭の中で反芻させていた。
最初に思いついたのは何者かが化けているということだったが、それは違う気がした。これで以前は優しい性格だったのに突如暴君に変貌したというなら、リュウヤも少しは疑う気にもなっただろうが、テトラの話では内気で家庭的というのは昔からのようではある。そんなセムが偽物とは考えにくいものがあった。
考え込んでいるとガタンと高い音がなり、リュウヤが我に返るとロイドとセムは椅子から立ち上がっていた。
「とにかく全ては明日の“星奉祭”。それがシュタルトにとって、新たな始まりの日となる。これ以上の邪魔をしないでほしい」「馬鹿な!」
クリューネが吐き捨てるように言った。
「なんもかんもムルドゥバに頼っとるくせに、民をどうやって食わせるつもりじゃ」
「アルベキアがある。ムルドゥバにはまだ及ばないが、対抗できるのはあの国ぐらいだ」
「アホか。アルベキアがどんな国か知らんわけじゃあるまいに。いたずらに争いの火種を撒き散らしとる場合か。少しは頭を冷やさんか」
アルベキアとは、シュタルトの東にある強国だが、王による強権と弾圧で成り立っているような、いわくつきの強国だった。
圧政の国にありがちで、軍事力こそ高かいものの、クリューネから見れば張り子の虎。魔王軍という対立者の存在によって国を保っていられているだけで、そんな国が何のあてにもならないくらいはクリューネでも想像がつく。
「アルベキアも姉さんと星降りの指輪の力を無視できない。我々の力を必要とし、立場を尊重するだろうするだろう」
「アホ。盾代わりされて、シュタルトが戦場になるだけじゃろが」
「……話にならないわね」
「それは、こっちの台詞じゃ。指輪程度の武力で物事がどうにかなると思うな」
「指輪の力を知らないからよ」
「これは立場の問題だな」
ロイドが二人を遮るように言った。
「リュウヤたちがシュタルト人でなければ、我々が抱くこの憤りなどわからない。議論が平行するだけだ。レジスタンスならわかってくれると思っていたが」
「ロイド、そろそろ行きましょ」
「待てよ、まだ話は途中だろうが」
「話はこれで終わりだ。知りたいなら、明日の“星奉祭”ですべてが明らかとなる。……後に知るのは新聞辺りだろうが」
「なに?」
「さらばだ」
ロイドが切り口上で言い終えると、ロイドとセムは素早く身を翻し、あっという間に小屋から飛び出していった。あまりの唐突な行動で声を掛ける間もなかった。その途端である。絵の具を溶かしたように、周りの空間がぐにゃりと歪み始めていった。異様な圧迫感がリュウヤたちを包んでくる。リュウヤが舌打ちする横で、クリューネは竜眼で正体をさぐっていた。
「やっぱり罠があるのかよ。何が用心深いだ」
「この魔力の流れ、空間転移の一種じゃな。私らをどこかに飛ばすつもりか」
「そうはさせるか!」
リュウヤは“弥勒”の鯉口をゆるめると、歪む空間に向かって駆け出していた。
「何をするつもりじゃ!今から解除する魔法をやってみるから……」
「それじゃ間に合わねえんだよ!」
リュウヤが叫びながら“弥勒”を抜いて大きく振りかぶった。強く踏み込み、“弥勒”の刃が空間を一閃すると、溶けて歪む空間に鮮やかに輝く線がはしった。やがて、その光線を境にして、歪んだ空間が次第に裂けていく。
二つに裂けた空間はふわりふわりと溶解していき、元のオンボロ小屋へと戻っていった。完全に魔法の効力が無くなったのを確かめると、リュウヤはドアを蹴破って外に飛び出していった。しかし、ロイドたちの姿は既にない。
事前に打ち合わていたのか、マーカスらも逃げてしまっていて、空には満天の星空が広がり、目の前にはシュタルトの河川が静かに流れているばかりだった。夜の冷たい風がそばを吹き抜けていった。
周りは静寂そのもので、今起きた騒動でも、誰ひとり表には出てきていない。先程までついていた灯りも消えていた。争う音が聞こえなかったはずがないが、巻き込まれるのを恐れて消してしまったのかもしれない。
「くそ、罠があることくらいは予想できたのに……」
「怪我なく生きていただけでも充分じゃろが。それよりロイドたちの言っとることが気になる。シュタルト城にいるセムが“偽物”じゃと?」
「フカシかと思ったけど、セム“さん”は星降りの指輪をろくに扱えなかったと言ってたよな。だけど、あの“セム”には扱えた……」
逃走を図ったロイドたちを斬りかかることも可能だったが、“偽物”という言葉がリュウヤたちの行動をわずかに躊躇させていた。
「たしかに、あのセムが本物とは言えるが、考えてもらちがあかん。とにかく今は基地に戻ろう。テトラとあっちのセムにも相談せんとな。リュウヤよ、“鎧衣”で連れていけ」
逃したことは仕方ない。
敵を目の前にしておきながら逃したのは失態としか言えなかったが、気持ちを切り替えるしかなかった。
クリューネがひょいとリュウヤに飛びついてきて、お姫さま抱っこのような形となった。
「おい、くっつきすぎだろ」
「腰にしがみついとるだけでは不安でな」
クリューネは言い訳をしたが、実際は落ちないように腰にしがみつくだけで充分だった。しかし今は二人きりという状況がクリューネを大胆にさせていて、クリューネはリュウヤの首に腕をまわすと、ギュッと身体を寄せていった。
苦情を言った割に、リュウヤもさほど気にした様子もない。リュウヤにしてもこの姿勢のが運びやすいこともあるのだろう。加えて、戦友としての付き合いが長いせいか、この程度の密着ではリュウヤの感情も揺らがないらしい。無論、その方がクリューネには都合が良かった。
分厚い胸板、たくましく鍛えられた腕の感触、息吹が頬を撫でてくる。ゆっくりと深呼吸を三回ほど繰り返すと、荒々しく興奮した気分も鎮まっていくようだった。
「……しかし、よく、結界を斬ろうなどと思いついたの」
気持ちが落ち着くとリュウヤがしたことを思い出し、クリューネは驚き呆れる思いがしていた。転移魔法には特殊な結界が生じているはずで、解除魔法で無効化するのがセオリーである。しかし、そんな特殊魔法を斬って防ぐという発想がクリューネには思いつかないでいた。
「そうかな?」
と、リュウヤは首を傾げた。
「俺は魔法斬りだってできるんだぜ。結局は同じ魔法じゃないか」
「簡単に言うな。それぞれ効果は違うだろうに」
「石にも筋目がある。川の水だって岩があれば分岐する。風だって物を置けばそこでもわかれる。それと同じさ。クリューネにだって“竜眼”があるんだ。神経を集中させれば、筋目みたいなのが見えるって」
「……わからんな」
「お前、見えないの?」
「そんなもん見えんわ」
「ふうん」
こともなげに言うリュウヤに困惑したが、見えないと返されて、リュウヤの方も不思議そうな表情を浮かべている。
神竜の力があるにも関わらず、リュウヤは自分には見えない世界がリュウヤには見え、常に一歩も二歩も先を歩いている。異世界から来た者だからこその“気づき”があるのだろうが、それを可能にするには“異世界から来たから”だけでは済まされないだろう。
やはりとつくづく思う。
「大したもんじゃの、リュウヤは」
「当たり前だろ。俺は天才剣士なんだぜ」
「……前言撤回。さっさと行け、甲斐性なし」
「へいへい、お姫さまの仰せのままに」
リュウヤは“鎧衣”を発動させると、テトラがいる駐留基地に向かって飛び上がった。
※ ※ ※
星奉祭当夜となった。
シュタルトの町は武装したムルドゥバ兵とシュタルト兵で溢れ、物々しい雰囲気に包まれていた。あちこちに松明が焚かれ、“魔装兵”が町の要所に配備されている。人々は不安げな眼差しを向けながら、見慣れぬ鉄の巨人たちの前を過ぎていく。星奉祭そのものは厳粛な祭礼で、盛り上がるの前夜祭なのだが、それ考慮するにしても、町の活気がいささか欠けているのは町を包む不穏な空気のせいだろう。
一方、シュタルト城一階の大広間では、きらびやかに輝くシャンデリゼの下、この日のために招かれたシュタルト国内の有力者たちが歓談を楽しんでいた。室内には穏やかなクラシックな楽曲が流される中、テーブルには高級な料理が幾多も並べられ、出来上がったばかりのワインを堪能しながら上品な笑い声が満ち溢れていた。
儀式が始まる前に、招かれた客は一時の時間を過ごすのだが、昨年の星奉祭は魔王軍との交戦中であったために、パーティは自粛していたので一年ぶりとなる。来賓者の中にはムルドゥバ駐留軍司令官フンゼル・イバルの姿もあった。
「……向こうは、美味しい料理がたくさんあるんだろうなあ」
星空の下、城内から流れてくる音楽に耳を傾けながら、白虎隊隊長テトラ・カイムは、ぼそぼそと乾パンをかじっていた。
国境付近で待機していた白虎隊は、列車事故が起きた翌朝にはシュタルトに入り、テトラと合流するとそのままシュタルト城警護の任務にあたっていた。白虎隊の休憩所として倉庫があてがわれていたのだが、城からは少し距離がある。白虎隊は三分隊で構成されて一分隊ごと各警備場所に配置されているが、休憩はその分隊の更に下の、班ごとに交替で休憩をとらせている。
隊長であるテトラと副長は、配置場所の最重要地点である城門前から離れるわけにもいかず、自身の休憩中は副長が用意した小さな折り畳み椅子に腰を落ち着けていた。
「ま、仕方ありません。これが我々の仕事ですから」
副長が穏やかに微笑し、出来上がったコーヒーをテトラに渡した。もちろんテトラが受け取りやすいよう手を添えて。
副長にはどんな心得があるのか、いつどんな時でもテトラのために美味しいコーヒーを用意してくれている。
「あなたが淹れてくれる美味しいコーヒーが、唯一の救いかな」
「こんなのでよければ、いつでもどうぞ」
「皆は大丈夫?今まで山の中だったんだから、疲れているんでしょ?」
「休憩中、仮眠は積極的に取るよう伝えてあります。安心してください」
「そう……」
テトラは静かにコーヒーをすすった。
シュタルトの夜は冷える。休憩中の白虎隊の兵士たちは互いに身を寄せるように寒さを凌いでいる。一晩くらいで音を上げるような男たちではないし、柔な鍛え方などしていないが、集中力の欠如や疲労は仕事の最大の敵である。事案が起きても素早く対応できるようにしておきたい。
“……ヤ・ラングから白虎隊。テトラ、いるか?”
副長が背負う無線機に、リュウヤ・ラングの声が入ってきた。声を聞くやいなや、貸してと副長にマイクをうながした。
「こちら白虎隊、どうぞ」
“……ろ、配置完了したよ。けっこう寒いな、ここは。厚着してくりゃ良かったぜ”
「白虎隊からリュウヤ・ラング」
リュウヤの無線が終わるのを待って、テトラ努めて冷静に返した。
冷静さを努めようとする余り、どちらかというと素っ気なくなっている。
「無線が頭切れ起こしています。前半の内容不明。ボタンを押してから2秒ほどして話してください。なお、司令室、各配置部隊にも聞こえていることを意識して通話してください。どうぞ」
“……リュウヤ・ラング、了解。以上”
ピシャリとした無線に、明らかに意気消沈したリュウヤの声を最後に無線は切れた。まったくと言いながら、テトラはマイクを副長に投げ返した。目には見えないが、副長の苦笑いが空気で伝わってくる。
「なかなか大変ですな」
「意外と世話が焼けるのよねえ、あの子」
「あの子、ですか」
「そうよ。あんなに強くてもおっちょこちょいで、周りがお世話してあげないと、けっこうポカするんだから」
テトラのおどけた言い方は噴飯ものだったが、副長は何とか笑いを噛み殺していた。人によっては侮辱や嫌味になるのだが、テトラが口にする言葉は変に愛嬌があって不思議と腹が立たない。
コーヒーを飲み干すと、テトラはコップを副長に返して天を仰いだ。副長も倣って空を見上げる。“星奉祭”に選ばれる日なだけに、敷き詰めたように星が輝き、いつもより星との距離が近いように感じた。 実際に、夜空には月と同程度の星が幾つか光っており、テトラの記憶によれば月の傍らに〝照星〟と呼ばれる星が燦然と輝いているはずである。
「それにしても、奴らは来ますかね」
「来るでしょうねえ。来てほしくないけど。フンゼル司令官だって、来ると予想はしてたくらいだし」
「それなのに援軍はなし……、ですか」
「あれには私もさすがに驚いたけどねえ」
「こんな時に保身など……あの司令官は何を考えているのか」
副長は歯軋りしながら、拳で自分の手のひらを打った。
列車襲撃事件もあって、テトラはフンゼルを通してムルドゥバ政府に援軍を再三要請していた。もはや秘密裡にしておけるものではなくなり、大規模な作戦や軍が必要な以上、調査程度の権限と立場でしかないテトラでは手に余るものだったからだ。
フンゼルもその都度了承していたのだが、“援軍要請せず”というフンゼルの冷たい言葉を聞かされたのは、シュタルト城に配置が完了してからだった。
「治安を抑えられなかったことで侮りを受けるのは私である。そして援軍がこれば功績は他の者に渡る。それなら、我が駐留部隊だけで解決してみせる」
パーティ会場に向かう礼服姿のフンゼルは傲然と言い放ったものだが、一方で中央から派遣された白虎隊を最重要警備と言えるシュタルト城の警護に使うというのだから、フンゼルの厚かましさにテトラも呆れていた。司令官が単独でできるというのだから引き揚げても良かったのだが、フンゼルたちでロイドや“セム”ら反ムルドゥバ派を防げるとは思えない。フンゼルはともかく、任務に忠実なムルドゥバ、シュタルト両軍の兵士。何も知らない民衆を放ってはおけなかった。
最近のムルドゥバ軍の風潮として“魔装兵”や魔弾銃などの新型兵器を過信して、古来からの剣や魔法を軽く見るところがあった。
リュウヤかつて「この世界の人間は“想いの力”に気がついていない」と語ったという。“想いの力”などという背中がムズ痒くなるような表現はともかく、追い詰められた者たちの力を侮るのは危険だと、視力を失ってから剣技が人の極限を越えた者としては思うのだった。
「……それに“偽物”という件もあります。言葉の意味は不可解ですが、セム祭主も奴らの狙いであることは間違いない。司令官も個人の功績や名誉にこだわっている場合ではないのに」
副長の憤然とした言葉が不意に途切れた。城内を警護する兵士たちが何やら騒がしい声がする。
「どうした!」
副長が急いで階段を駈け上がると、魔弾銃を構える兵士たちの前に、漆黒のローブ姿フードを目深に被った者が佇んでいた。フードがあまりに深いせいか男女の見分けもつかないほどで、影が立っているようだった。
「こいつ、城の奥からふらり現れて、入口で何も言わずに立っているんです。フードを脱げと言っても脱ぎもしねえ」
兵士の言葉に副長が舌打ちした。
「バカ、それが儀式の始まりを告げにくる“星告げの使者”だ。配置前のミーティングで説明しただろうが。忘れたのか」
「こいつが……、ですか?いや、しかし副長、顔を見せないで……」
その人は大丈夫よと、テトラが杖をつきながら階段を上がってきた。
「“星告げの使者”は身振りだけで伝えるのが役目。祈りを妨げないために喋ったらダメなの。その人は儀式に則っているだけだから、失礼なことしちゃダメよ」
「はあ……」
「ごめんなさいね。あなたの邪魔をしてしまって」
テトラが膝をついて“星告げの使者”に詫びると、“星告げの使者”は指先まで隠れた長い袖で、テトラの手にそっと触れてきた。テトラは袖の下から伝わる指の感触を確かめながら軽く握り返した。やがて使者がテトラの手をはなすと、テトラもゆっくりと立ち上がった。
「……よし!」
テトラは小さく気合いを入れてカツンと剣杖の先が地面を突くと、鳴り響いた音に驚いて男たちは思わず背筋を伸ばしていた。
しばしの休息を堪能していたテトラはすでに消え、白虎隊隊長テトラ・カイムの表情に変わっている。強烈な猛気が長身の身体から発せられ、近づき難い迫力に周りの男たちは息を呑んでいた。
「マイク貸して」
低い声でおもむろに差し出したテトラの手に、副長が無線機のマイクを渡した。テトラは部下たちを見渡しながら、彼らにも言い聞かせるようにマイクに向かって口を開いた。
「白虎隊隊長テトラ・カイムより各局宛。これより“星奉祭”の儀式が始まる。各隊は自分の任務を充分に把握し、不審者の発見動向に注意せよ!この城に近づく者はねずみ一匹見逃すな。以上!」




