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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
番外編3「ティアとクリューネ」
219/243

なんだかんだ言っても

 立っているだけ、気楽にとワテニンゲンは言ったものの、いざ舞台に立ってみると軽率な自分の判断に後悔していた。

 幕が開き、役名で呼ばれて舞台に上がると、舞台の前には数百とも思われる群衆が集まっていた。しかも視線が自分たちに注がれている。一気に身体が硬直し、指定された位置に着くだけでも、途方もない距離のように感じた。

 クスクスという笑い声がどこからか聞こえそうなるともうまともに観客に視線を向けられない。たしかに立っているだけではあったが、緊張のあまり立ち眩みまでして、周りが何を言っているのかさっぱり聞こえてこなかった。

 わずかに断片の台詞が、耳に届いてくるばかりである。


“……の声を聞け!”

“君が……というなら……”

“……オスカー!”

「……ティア君、ティア君」


 自分の名を呼ぶ声が聞こえ、現実に引き戻されて声のありかを探すと、舞台袖でワテニンゲンが手招きしている。“オスカー”というのはティアの役名で、呼ばれたら「はい!」とだけ叫んで、舞台からワテニンゲンがいる方向に下がるよう言われていたのだ。

 しかし、ティアは極度に緊張していた。


「は、はひぃぃ!」


 詰まった笛のような声を発し、観客からはどっと笑い声が起きた。情けない気分になって涙が出そうになっていた。舞台を降りると、ワテニンゲンがお疲れとニコニコ顔でねぎらいの言葉をかけてきた。


「ご苦労さん。大変だったね」

「すみません……」

「気にしなくて良い。愛嬌というのも宣伝になる。飲み物を持ってこさせるから」

「はい……」


 重い疲労感を抱えたまま、ティアはそばにあった小さな木箱に座り込んだ。失敗した。この誇り高き竜族の僕が。たかがあんな演技で。

 不意に観客の笑い声が再び蘇ってくると、ティアの頭の中は恥ずかしさや屈辱感で溢れそうになり、熱を帯びた頭を抱えて何度も呻いていた。


「喉渇いたな……」


 飲み物を持ってこさせると言っていたのにまだ来ない。仕方ないので自分から貰いにいこうとテントに足を向けた時、その奥から爆発したような凄まじい音がし、騒然となっていた。その中にはワテニンゲンの声も聞こえてくるが、悲鳴のようなものが混ざっている。


「なんだ……?」


 ティアがテントを注視していると、メリメリとテントが裂け、中から巨大な緑竜が現れた。


「竜……?いや、あれは」


 身体の質感に見覚えがある。ワテニンゲンが見せ場だと言っていた竜のぬいぐるみである。しかし、ティアが見たものは二メートル程度のはずだった。しかし、今、目の前に現れたのは十メートル以上ある。壊れたテントの周りでは、大人たちが倒れていた。

 ティアはワテニンゲンのそばに駆け寄ると、急いで治癒魔法をかけた。


「ワテニンゲンさん、どうしたんです!?

「核となる魔石が暴走したらしい。突然巨大化して暴れだしたんだ……」


 舞台裏から現れたドラゴンの姿に、何も気がついていない観客からはどよめきが起きた。声に恐怖や動揺の色はなく、ただの演出としか捉えていないようだった。


「このままでは……」

「僕がなんとかします。腕の怪我を治しました。あとはお願いします」

「何をするつもりだ……」


 ワテニンゲンの問いにティアは答えることなく、無言のままドラゴンへと駆け出して行った。あまりにも無謀な行為にワテニンゲンはティアを静止させたかったが、治癒したばかりの身体には痛みが残っている。無理に身体を動かしたせいで全身に激痛がはしり、ワテニンゲンの意識は急速に遠退いていった。

 暗闇の中に沈む寸前、ワテニンゲンはティアが駈けていった方向から激光が生じたのを見た気がした。


  ※  ※  ※


 暴走したドラゴンを見て、観客の中で異変を感じたものはほとんどいなかった。凝った演出だと思い込み、ティアと話した青年などはさすがワテニンゲンだと感泣しているほどだった。

「おお、オスカーよ。鎮まりたまえ!」

「心を闇に喰われてしまったのか」


 舞台上の役者たちはさすがに危険を察知していたが、混乱を与えないことと、役者の意地のようなものが働き、互いに目配せやアドリブでそれぞれ演技し魔法が解除されるまで粘ろうとしていた。

 しかし、ドラゴンが背景まで手を掛けて破壊までするようになると、観客もざわめき誤魔化しきれなくなっていた。


 ――ダメだ。


 役者一人が限界を感じ、「逃げろ」と叫ぼうとした時だった。舞台裏から光とともに背景や垂れ幕が吹き飛ばされると、その下から青い竜が咆哮しながらドラゴンに躍りかかった。


“……このリンドブルムの力なら!”


 演出のひとつと思い込んでいる観客は総立ちとなり、組み合いとなった二匹の竜に声援を送った。


「すげえ!」

「なんつう迫力だよ!」

「がんばれえ、リンなんとか!」


 もっとも、ティアことリンドブルムはそれどころではない。ぬいぐるみとはいっても、魔力で強化暴走したために、油断のできない力を感じていた。


“とにかく、この場からはなさないと……”


 リンドブルムは、力任せにドラゴンを宙に向かって放り投げた。ぬいぐるみなだけに力はあっても身体は軽く、あっという間に空高く飛ばされていく。リンドブルムは翼を広げると、一気に飛翔してドラゴンを追った。迫力のある戦闘演出に、観客も芝居に興味のなかった通行人たちもどよめきながらリンドブルムの姿を追っていた。


“この空なら……”


 リンドブルムはドラゴンに追いつくと、背後にまわりこんで思いっきり息を吸い込んだ。体内に溜め込まれた酸素がエネルギーへと変化し、リンドブルムの口の端から蒼い炎が洩れてくる。


“喰らえ!僕のサンダーブレス!!”


 クワッと洞穴のような大口を開けると、喉の奥から膨大な量のエネルギー波が吐き出された。リンドブルムの吐き出した息は、稲妻へと変質し迫るドラゴンの巨体を丸ごと呑み込んでいった。

 数千度を超える雷撃の熱波には、ぬいぐるみの身体ではひとたまりもない。ドラゴンは灼熱の奔流に押し流され、みるみるうちに燃えて小さくなっていき、サンダーブレスが消えた頃には、ドラゴンの身体も跡形も無く消失していた。


「すごいぞー!リンなんとかー!」


 誰かが叫んだのを皮切りに、地上からは爆発したような歓声がわき起こっていた。


「ありがとー!リンなんとかー!」

「リンなんとか、かっけーぞ!」


 リンドブルムと誰もまともに言えていない。知らないとはいえ、危険から救ったにも関わらず適当な歓声がシャクにさわって、リンドブルムはキッと地上の人間たちを睨み付けた。


“人間ども、いい加減にしろ!僕は青竜リンドブルムで……”


 リンドブルムは言葉を失った。人眼を遥かに超越する竜の目が、ある者を捉えていた。広場の噴水に腰掛けて、真っ直ぐにリンドブルムを見つめている者がいる。にらみつけていると言った方がいい。

 

「ク、クリューネ様……」


 リンドブルムの呻く声が聞こえたかのように、クリューネがニヤリと笑った。


「う、うああああああっっっ!!」


 町中で竜化は寄せと、クリューネと再会した時に注意されていたことだった。

 それを破ってしまった。

 リンドブルムは気が動転してしまい、身を翻すと後は振り返りもせずムルドゥバから飛び去っていった。馬鹿だ馬鹿だ軽率だ馬鹿だと何度も自分を罵りながら、リンドブルムはひたすらに空を突き進んでいく。消え去りたい思いで果てしなく飛び続けていたリンドブルムだったが、背後から急速に何かに迫ったかと思うと、信じられないほどの強大な力がリンドブルムの身体を掴んで静止させた。


“……バカ者、どこまで行くつもりだ”


 聞き覚えのある声とほのかに香る甘い匂いに、リンドブルムが顔をあげると白い竜がそこにいる。


“バハムート……クリューネ様ですか?”

“当たり前だ。いいか、地上に降りて人の姿になれ”

“は、はい……”


 バハムートとリンドブルムはゆっくりと地上に降り立ち、竜化を解いた。辺りは平野で人の姿も無い。遠くに親子の鹿が草を食んでいるだけだった。


「まったく。こんな、わけのわからん場所まで飛んできおって」

「すみません。約束破ってしまったから、叱られると思ったんです」

「馬鹿じゃなお主は」


 クリューネは片手でぐいっと、くせ毛ばかりなティアの頭を掴んだ。


「まあ、そういうお主の純粋なとこは好きじゃぞ。よう皆を助けてくれた。皆に代わって礼を言う。ありがとな」

「う゛う゛……」


 突然の戦闘から気が動転し、ひたすら逃げて礼を言われ、ティアの感情もすっかり平衡さを失っていた。涙腺がゆるみ、大量の涙が溢れてくる。


「なんじゃ泣くな。男が泣くときは、親が死んだ時と財布をなくした時だけと聞くぞ」

「ぶぁい……」

「こっからムルドゥバまで帰るんじゃ。しっかりせい」


 ティアの髪をぐしゃくじゃにしてやると、奇妙なものでティアも少し落ち着きを取り戻したようだった。まだ鼻をすすり、肩を震わせていたが、真っ直ぐ立てるくらいには戻っている。さて、とクリューネは背伸びをした。


「帰りは安全運転で頼むぞ。またどっかに飛ばれたらかなわん」

「……ムルドゥバ、今ごろ大騒ぎでしょうね」

「どうせ演出としか思っとらんよ。観客も喜んでおったし、ウチラまで飛び火はすまい」

「そうですかね」


 ティアは不安を口にしたが、結局はクリューネの予想通りとなった。

 リアリティのある二匹の竜とその戦闘は高い評価をあげ、その後の劇場公演は連日連夜満員御礼となり、劇団への志願者も例年の倍となった。ムルドゥバ国立劇場にはワテニンゲンの功績を讃える人物画まで飾られた。残念ながら、魔王軍の特殊結界“降魔血界(ワクテカ)”によって、劇団は壊滅。人物画も劇場とともに焼失してしまったけれども、生き残ったワテニンゲンは奮起して活動を続け、演劇界の伝説となって歴史に輝き続けることとなる。


「……取り合えず、帰ったらティアの服を新調してやろう」

「でも、これバルハムントの礼服ですよ」

「礼服でもボロボロじゃ仕方あるまい。二軒目に行った洋服屋。あそこが一番良かったから、あそこに行こう」

「もしかして、そのために、洋服屋ばかりを」

「気になっとったからな」


 照れ臭そうにクリューネはそっぽ向いて頬を掻いていたが、また両目に涙を溜めているティアに気がつくと、思いっきり背中を叩いた。


「ほりゃ、さっさとリンドブルムにならんか。わたしゃ、今日はもうバハムートにはなれんのだからな」

「は、はい!」


 ぐっと涙を拭った少年の瞳は、陽光に照らされキラキラと輝いていた。不器用ながらも優しく見守り引っ張ってくれる。いまだに苦難の道にある竜族。これからのバルハムントにはクリューネのような存在が必要なのだと改めて実感していた。


 ――今は無理でも……。


 粘り強く説得しよう。

 きっとこの思いが伝わるはず。

 ティアは心に決めると、精神を深く集中させていった。そして光がティアの身体を包むと、やがて竜族の気高き青竜リンドブルムへと姿を変えていった。

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