劇団“ワテニンゲン”
152話より少し前の話です
都市国家ムルドゥバの中心街である大通りは相変わらずの人混みで、古くから町に住む者、新たに外から移ってきた者と多種多様な人間で賑わい、行き交う人も川の流れのように絶えることがなかった。
そんな雑踏の中で一組の男女、正確には小柄で金髪の女がやたらはしゃいだ様子で店から店へと渡り歩いていた。
「ティアよ、次はあの洋服屋に行くぞ」
「またですかあ、クリューネ様」
ティアと呼ばれた少年――ティアマス・リンドブルム――は、いささかうんざりしながら主であるクリューネ・バルハムントの後を追った。店に寄るのは次で五軒目であるが、やいのやいのと騒いだ後で、結局何も買わずに店を出る。何が楽しいのかティアにはさっぱりわからず、疲労がたまっていくばかりだった。
「なんじゃ、だらしないぞ。まだ昼にもなっとらん。町見物は始まったばかりじゃろが」
「でも、洋服屋洋服店洋服店洋服店、でまた洋服屋じゃないですか」
「馬鹿いえ。三軒目は洋服兼アクセサリー屋、さっきのは兼眼鏡屋じゃ」
「それはどっちでも良いですから」
「この洋服屋の次は、どっか飯屋に連れていくつもりだぞ。ちょうど昼だろうしの」
「そうじゃなく、もうちょっとこう……、町の全体をみたいんですが」
ティアが苦情を訴えると、クリューネは店の前で立ち止まった。
「よいか。ぼんやりと眺めておってはいかんぞ。一を聞いて十を知る。物の流れ、商品の数や品質、サービス。それぞれ店によって違っておる。よく観察し違いを知り今後に活かすことが大事じゃ」
「でしたら、武器屋に魔法道具屋なども、覗いた方が良いんじゃないですか」
「あんなとこつまらんじゃろが」
「はあ……」
クリューネの言い分にも一理あったが、所詮は一理でしかない。バイト先の「えっしゃっせ〜」という挨拶とやる気のない接客態度を考えるといささか説得力に欠けた。それに大都市に慣れぬ身としては、全体を見てから、市庁舎や公共施設の位置に河川に港の整備、町の各所に配置されてある“魔装兵”等、気になっている点をとティアは考えていたから、クリューネのように店の冷やかしに付き合うのは、はなはだ疲れるものがあった。
――アイーシャちゃんに頼めば良かったかな。
クリューネに聞かれたらどつかれただろうが、幸いにも心の中だけで思っているだけだから、クリューネはるんるんと足取り軽く、弾むように店内へと入っていく。
もうすぐ六歳になるというアイーシャ・ラングは“お姉ちゃんになるんだから”と、母セリナの手伝いで忙しい。若干、背伸びな印象もあるが一生懸命な姿はティア少年からも見て頼もしいものを感じていた。
――クリューネ様も、もう少し見習って欲しいや。
滅びたバルハムント国の復興に興味が無いとはいえ、既に成人した一人の女性として見ても、はしゃぐクリューネに不安を感じてしまうのだった。
ティアは店に入るのも億劫になって、店の軒先で待っていることにした。どうせ、クリューネ一人で騒いでいるだけである。
手持ち無沙汰となり、ティアはぼんやりと人の流れを眺めていた。
行き交う人々の姿を追ううちに、ふと南側の通りが何やら騒がしいのが耳にとまった。先には噴水が設置された大きな広場がしばしば催し物が行われる。目を凝らすと、そこに人だかりができているようだった。店の中を覗くとクリューネが店員との会話に夢中になっている。少しくらいはと、ティアは人だかりへと近づいていった。
広場の端の方に大きな舞台が設置されてある。舞台両脇には土台のしっかりした太い木枠が備え付けられ、一枚の大きな布が下がっていて舞台上は見えなくなっている。人だかりはその前に集まっているようだった。
ティアは近くにいたハンチング帽の青年に尋ねた。
「何が始まるの」
「芝居だよ。劇団“ワテニンゲン”が来たんだよ」
「ワテニンゲン?」
「知らないの?ワテニンゲン大公が主宰している宮廷劇団だよ。いつもは大公の劇場でやってんだけど、ムルドゥバまでわざわざ来てくれたんだ」
「へえ……」
「役者を一から育成して、端役から舞台衣裳、演出に時代考証まで凝っている。単なる商業主義じゃない。演劇界の本格派、良心とまで言われているんだ」
「はあ……」
「この昼公演は、夜公演の宣伝のための短い演劇らしいけど、こんなところでワテニンゲンの演劇が観られるなんて最高だなあ。もう人生、悔いはないよ」
青年は随分と熱心に語っている。手には附せん付のノートまで持参しているし、もしかしたら、俳優志望なのかもしれなかった。
ティアにしてみれば、演ずるということには興味が持てないでいたが、人間のすることに物珍しくはあった。青年の話から、組織として機能しているものに興味がわいて、人だかりから離れると、舞台の裏の方へと歩いていった。裏にはテントが設置され、垂れ幕が下がって中は見えない。急ごしらえの控室らしい。衣装係や道具係らしい人間がそれぞれの仕事を集中してこなしている。顔つきが職人に似ていると思った。
「おい、そこの!」
後ろから声がし、振り向くと厳つい大男が立っていた。
「あ、ご、ごめんなさい!」
「君でいい。はやく、こっちに来い」
「……え?」
追い払われるのかと思いきや、強面の大男に腕を掴まれるとティアはテントへと引っ張り込まれていた。テント内には複数の男女がいて、着替えやメイクをしている。下着一枚姿の女性など、竜族のティアでも顔を真っ赤にするような光景が広がっていたが、互いに裸でも平気な顔をして雑談をしていた。
大男も気にした様子もなく、太った中年男と話し込むタキシード姿の老人のところへティアを引っ張っていった。
「ワテニンゲン大公殿下、ちょうど良いとこに良いのがいましたぜ」
「ほうほう」
大男がティアを指すと、ワテニンゲンと呼ばれた老人は葉巻をぷかぷか吸いながら目を細めた。ティアはさっきの青年が言っていた、演劇好きな大公という話を思い出し何の用かといぶかしんでいた。
「あの……、何の御用でしょうか」
「君、舞台に出てもらえないかね」
「む、無理ですよ!」
ティアは慌てて手を振った。バルハムントが滅びて森の奥で狩りをして暮らすばかりの日々で、演劇など観たこともやったこともない。
「役の子が急に体調悪くしてね。君なら体格もちょうど良いし、その着ている服も今は滅びてしまったバルハムント国の使者の礼服に良く似ている」
「……」
「題材が竜族でね。君ならイメージにピッタリだ」
似ているどころか、バルハムントの礼服そのものなのだが、ムルドゥバまでの長旅ですっかりくたびれてしまっていたし、まさか本物が目の前にあるとは思わないだろう。
「でも、僕、演劇なんてやったことないんですけど」
「何、舞台の端で立っているだけでいい。君は世界を旅する竜の子という設定だ」
「……」
「勧善懲悪ものでね。最後に竜となって悪人たちを倒す話なんだが、変身時に君が舞台からはける。この演劇の見せ場は、精巧につくった竜のぬいぐるみでもあるから。なんせ“魔石”で動く画期的なぬいぐるみだ。ま、君は気楽にやってくれればいい」
「……」
「本番は夜の劇場だし、二十分ばかりの一公演だけ。どうかな」
演劇など自信はなかったが、ワテニンゲンの話を聞いているうちにティアの心境は変化しつつあった。立っているだけというのもあったし、少年らしい好奇心も働いて演劇というものを体験してみたくもあった。何より、竜族が善玉というのが気分がいい。
「……わかりました。僕でよければ」
ティアが言うと、ワテニンゲンはそうかと安堵した表情を浮かべた。
「なら、よろしく頼むよ。衣装はそのままでいい。変に真新しいものよりリアリティがあるだろう」




