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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
番外編2
217/243

シシバルとリリシア

150話ピクニック後のお話です。


 エリンギアの旧庁舎が建てられていた敷地の一角に、銀髪の男が四人ほど集まっている。それと額の広い黒髪の男がひとり。

 銀髪の男たちはいずれもエリンギア国代表シシバル長官の幹部で、魔王軍の頃から苦楽を共にしてきた魔族の仲間である。そして黒髪の男はレジスタンスリーダー、ジル・カーランド。


『いきなりシシバル長官から呼び出されたんだが、何だろうな。ジルは聞いてる?』


 一人がジルに訊くと、いやとジルは首を捻った。


「なあんも。昨日、宿の方にあいつやってきて、ここに来てくれと言っただけで、すぐ帰っちまった」


 そりゃお前と、苦い顔をして仲間の一人がジルに言った。


『誰か粗相があって、うるさく小言てとこだろうよ。いつものことだよ』

『心当たりあるの?』

『そりゃお前、大根は葉っぱまで使えとか、街路樹の落葉は一ヶ所に集めて肥料として集めろとかだろ。少しうっせえんだよ、あの人』

「ひでえ言われようだな」


 幹部連中の言い草に、ジルが苦笑いしていた。

 シシバルという元魔王軍軍団長は軍団長の中でも若手ではあったが、ムルドゥバでもリュウヤ・ラングと飲んだ時は銅銭一枚まで割り勘にするほどで、清々しい外見にも関わらずなかなかにケチ臭い男ではあった。しかし、国家を運営するにはそのけち臭さが上手く作用しているのか、エリンギアの復興も順調で、人も少しずつ戻り、廃墟と化した町に真新しい家が建ち始めている。今も目の前の通りでは、舗装工事が行われている真っ最中だった。

 工事の様子を眺めながら、他の一人が良いんだよと大きく手を振った。


『細かくて神経質なの、昔からだから。あの人、神妙な顔して頭下げてればね、小言は頭の上をツツーて通り越すから。“意見聞くときや頭をさげな、下げりゃ意見が通り越す”てな。それだけで満足しちゃうから、あの人』


 かつての魔王軍の上司部下ではなく、今は魔王軍に反抗した同志という関係も多少にはあるが、年齢も近いこともある。彼らは幼いころから父親たちと軍務につき、シシバルとともに成長している。竜魔大戦の際では初陣のシシバルが竜族の青竜リンドブルムによって、こてんぱんに叩きのめされた救ったのも彼らだ。強みも弱みもよく知っている古くからの付き合いであるために、その悪口にも遠慮がない。


『おい、来た来た』


 ひとりが声をあげたので、ジルたちが一斉に見ると、西の通りからエリンギア国代表シシバル長官が一人で歩いてくる。さすがに長官だけあって顔はよく知られていて、通り過ぎる町の人間たちから声を掛けられては、いちいち返していた。


『揃ったようだな』

『ええ、まあ』

「なんだ、シシバルの荷物?」


 ジルは訝しげに、シシバルが手にしているものを指差した。シシバルは口を紐で縛った大きな壺を肩にかけ、左手には大きなバスケットを持っている。


『今日、みんなに集まってもらったのはな、これまでの苦労を労おうと思ってな。一種の慰労会だ』

『慰労会?』

『この間、リュウヤとピクニックに出掛けたろう。俺たちでも何かやりたくてな。ちょっと持ってきた』


 シシバルはそう言って肩を揺すった。拍子に壺からチャポンと液体の音がする。まさかと幹部の一人が急に目を輝かせた。


『その肩に担いでいる壺……、まさか中味は酒ですか』

『まあ、そうだな。一種の酒みたいなものになるかな。こっちのバケットにはハムとチーズ……かな』

『あら』


 シシバルの奥歯にものがはさまったような、言葉を濁すような奇妙な言い方に引っ掛かる者もいたが、“酒”と“ハムとチーズ”という言葉に、大概の者は顔を綻ばせて手を打った。

 特に倹約令や禁酒令が出ているわけではないが、シシバルはエリンギアでは質素な食事に酒量もウィスキー小さなグラス一杯と決めている。そのため、周りも自然とシシバルに合わせるようになっている。シシバルに近ければ近い立場の者ほど質素な生活を送っている。

 万事が堅苦しいと思われていた大将の、意外な気前良さに驚きも多分に含まれている。


『いいですねえ、慰労会。良いじゃないですかあ。行きましょうよ』

『せっかくなんだから、ジルもリリシアを連れてこれば良かったのに』

『リリシアにも声を掛けたが、手伝いで飛び回っている。手が空きそうもないから諦めた』

『なんだあ』


 幹部の一人ががっかりしたように、肩を落とした。

 最近、リリシア・カーランドはエリギュナンの男たちから人気がある。一見、言葉も淡々として無愛想、どこか眠たげな顔で何を考えているのかよくわからないところがある。しかし反面、甲斐甲斐しく働くし、気配りの上手さが男心をくすぐり、積極的にアプローチする者も2、3人はいたのだ。だが、リリシアには慣れ親しむところを許さない毅然さがあり、そこがまたリリシアの評判を高めていた。


『リリシアはいないが、とにかく、出掛けるなら旧水門辺りが良いか。あそこなら人気もないし、のんびりできるだろ』

『どこだって行きますよ。酒とつまみがありゃ、なんだって結構ですよ』


 旧水門はかつてリュウヤと軍団長サイナスが戦った場所だが、一年余りの戦争で一度破壊され、別の水門は旧水門より南東部につくられている。旧水門は破壊されたものの、周りの自然は残されていたから、娯楽の少ないエリギュナンにとって憩いの場となりつつあった。


『酒飲んで、みんなとワーと騒げるなんて久し振りですからねえ』


 それなんだがなと、シシバルはちょっぴり気まずそうに両手の荷物をおろした。


『向こうでがっかりされたくないから、今のうちに言っておく。これは酒じゃない』

『へ?さっき酒って……』

『だから“一種の酒みたいな”と言ったろう。中を見てみろ』


 言われて一人が蓋を開けると、琥珀がかった水が浸されている。はじめはウィスキーかと思ったが、香ばしい独特の匂いもしてこない。


『なんです、これ?』

『余った紅茶の茶葉をまた煮て水で薄めたんだ、それ』

『紅茶なんですか?しかも出がらし……』

『仕方ないだろう。まだ財政は厳しい状況にある。いつだったか、リュウヤから聞いたことがある。“心ほどに世を経る”とな」

「……」

「心の持ちようで見えるものも変わる。これも酒と思って飲めば酒となる。だから一種の酒と言ったのだ』

『はあ……』


 得々と語るシシバルに対し、幹部の面々は返事はしたものの、ほとんどがため息に変わっている。歓びが大きかっただけに、すっかり意気消沈してがっくりと肩を落としてしまっていた。


『まさか、ハムとチーズてのも……』

『当たり前だろ。ハムはいちょう形に薄く切った大根。チーズは人参を短冊切りにしたものだ』

『……』

『ようし、みんな行く……』

『いったい何しに、行くんですか』


 音頭を取ろうとしたシシバルを遮って、堪りかねたように一人が叫ぶように言った。


『何て、さっきも言った通り……』

『こっちは、まだ忙しいんですからね。もうちょっと、士気をあげるようなことを考えてくださいよ』

『いや、だからな。“心ほどに……”』

『長官の言いたいことはわかるけど、心の持ちようなんてのは普段からやってますって』

『……』


 部下たちから一斉に責められ、さすがのシシバルも言葉がない。

 帰りますと一人が口にした。


『長官には申し訳ないですけど、自分騙してしょぼくれた飲み会なんざしたないですから』

『リリシアもいないんじゃなあ』

『帰って仕事に戻りますよ。長官の気持ちはよく伝わりましたから、また今度にしてくださいよ』

『……お、おい』


 部下たちはシシバルから背を向けると、ぞろぞろと去っていく。伸ばした指先がふわふわと宙に揺らめくだけで、シシバルはそれ以上、声を掛けることもできなかった。


「俺も帰るわ。わりいな」


 最後にジルが残っていたが、シシバルを慰めるように肩を叩くと、背を向けて去っていった。一人残されたシシバルは呆然とジルの背中を見送っていたが、やがてその姿も見えなくなってしまうとガックリと肩を落として、傍に転がっていた石に腰掛けた。

 シシバルはショックは尋常ではなかった。

 軍団長として部下を指揮するようになって、ここまで反発された記憶がない。

 堅物で叱咤する声が、雷鳴に似ていると恐れられたこともある。反乱を起こす時も、一も二もなくついてきてくれた仲間でもある。今回も何だかんだで不平を言いながらも、シシバルの誘いに乗っかると思っていた。その彼らがこんな些細なことで本気で怒っていたことに、シシバルはかなりのショックを受けてひどく落ち込んでいた。


「……シシバル?」


 ふと影が差し、見上げるとシシバルは目を疑っていた。

 太陽を背にしてリリシア・カーランドが立っている。何かの設計図らしい丸めた紙や書類を脇に抱えていた。


『リリシア、何でここに』

「そこの道路工事の関係で、監督さんと話があったから」

『……そうか。昨日、たしか言っていたな』

「どうしたの。みんなと出掛けるんじゃなかったの」

『実はな……』


 シシバルは事の経緯をポツポツと話し始めた。木槌を打つ音や、舗装に使う煉瓦の擦れる音がカラカラと耳に流れてくる。先程までは何ともなかったのに、落ち込む心によく響くようにシシバルは感じていた。

 シシバルが話す間、リリシアはシシバルの隣に転がっていた石に腰掛け、じっと話に耳を傾けていた。


『まあ、結局、思い上がっていたのかもな。俺が何か言えば皆ついてくる。そういったことに馴れすぎていたんだな』

「……」

『確かに、普段から質素な生活してるのに、遠出して、大根と出涸らしの紅茶じゃさすがに怒るか』


 自嘲気味にうつむくシシバルの横顔を、リリシアはじっと見つめていたが、おもむろに立ち上がると、シシバルが運んできた壺の蓋を開けた。


「シシバル、喉乾いたから、一杯もらえる?」

『ん?あ、ああ……。コップはバスケットの中にある』


 リリシアはコップに出涸らしを注いで口に含むと、何とも言えない複雑な顔をして宙を睨んでいたが、それを喉の奥に呑み込むと、ふっと小さく笑みをこぼした。


「確かに、シシバルらしいお酒ね。渋くて味が薄い。木が良く育ちそう」

『余計なお世話だ』

「バスケットの中にある大根は?漬物だよね?」

『セリナから習った。セリナはリュウヤの世界で習ったらしいが、そんなに難しくないようだから、俺も試しにつくってみたんだ』

「ふうん」


 リリシアは大根を一切れ摘まんで口に放り込むと、コリコリ音を立てながら何度もうなずいていた。


「うん、良い味でてる。塩辛過ぎないし、良い塩梅」

『ホントか』

「うん。シシバルも食べる?」


 おうと言うと、シシバルはリリシアが皿に盛った漬物に手を伸ばし、コリコリとかじって何度もうなずいた。


『なるほど、言われてみれば美味いな』

「食べてみなかったの?」

『自信がなかったんだよ』

「“お酒”はさすがに不味いけど」

『……うるさい』

「この“ハムとチーズ”には合うけどね」

『……』

「シシバル」

『なんだ』

「あなたの気持ちもわかる。心の持ちようも大切だけど、遠回しせずに“漬物と温かいお茶”で充分だったと思うよ」

『……そうだな』


 言葉は淡々としているが思いやりがあり、心の中に染み込んでくるような感覚がある。折りしも、ふわっと爽やかな風が過ぎて、清涼な気分が胸に溢れてきた。


『長官も長官なりに、やろうとしていたんだ。少々ケチくさいが』

「……さすがに可哀想だしなあ」

『少し俺たちも大人気無かったかもな。まだ長官はあの場所にいるといいが』

『しかし、リリシアがいないんじゃなあ』

『お前、さっきからそればっかだな』


 ジルと幹部たちがぞろぞろと道を引き返していく。

 一度は呆れ、怒りの余り引き上げてしまったが、冷静になってみると、シシバルもシシバルなりに精一杯のことをしようとしていたと思い直し、遠出はともかく、少しはシシバルに付き合おうと道を引き返していたのだった。


「もういないかもしれないし、先にちょっと見てくるわ」


 ジルが幹部に告げると、駆け足で旧庁舎に向かった。特にジルはシシバルを見捨てたような後ろめたさがある。幹部連中と違って、ジルは別に怒ってなどおらず、その分、空気に流されて付和雷同してしまった後悔が、ジルの足を急がせていた。やがて、旧庁舎に差し掛かり、そこで目にした光景にジルは足を止めて眺めていた。しばらくすると、元来た道を戻り、頭を掻きながら幹部たちと合流した。


「やっぱりシシバルの奴いなかった。どっか行っちまったみたい」

『もういないのかい?あの人も、もうちょっと待ってれば良いのに。せっかちだなあ』

「もう一回りして、シシバル探しにいこうぜ。その辺どこかふらふらしてるかもしれねえ。腹が減ったら戻ってくるだろ」

『犬かよ』

『世話が焼けるよなあ』


 幹部たちは口では文句言いながらも、さっきとは違って怒ってまではいなかった。世話が焼けると言ってもどこか嬉しそうだ。何だかんだいっても、皆から支持され、慕われているのがシシバルという男ではあった。


「いなかったら、また旧庁舎に戻ってみようぜ」


 ジルは視線だけは旧庁舎に向けながら、その場所から遠ざかっていった。

 旧庁舎に差し掛かった時、塀越しにジルはシシバルとリリシアが、肩を並べて座っている光景を目にしていた。

 シシバルが持ってきたものをポリポリかじりながら、時折、顔を合わせて笑う二人の姿は微笑ましく、それだけで絵になった。


 ――あいつら、お似合いかもな。


 リュウヤとの関係が終わって以降、リリシアは止まり木を失い飛び続ける鳥のようにジルの目には映っていた。「まだ物語を書けるほど落ち着いていないから」と、今はエリンギア復興のために尽力している。しかし、その一方でリュウヤの代わりに目の前の仕事に集中することで、心の空白を埋めようとしている節がうかがえた。

 人々は日々荒波に揉まれるような時間を過ごしている。

 リリシアも例外ではない。面に出すような性格ではないが、エリンギアに戻ってからは目まぐるしい日々の中で気を張っているのは、ジルの目にも明らかだった。

 そんな中、ジルは久し振りにリリシアのリラックスした笑顔が見られたと思った。

 リュウヤ・ラングに関しては、正直、ぶん殴りたい気持ちがないでもないが、クリューネから詳細を聞けばジルの手にも余りそうで、自分が同じ状況だったらと思うとリュウヤを責めきれないものがある。兄としては過去にこだわるよりも、妹の次の幸せを願うしかなかった。


 ――ようやく、止まり木を見つけたかな。


 ほんの一時、この一区画一周分くらいは二人きりの時間を稼ごうと、ジルは幹部たちの背中を押していた。

圓楽師匠の「長屋の花見」に触発されました。


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