集まる力で“時空(とき)”さえ超えて
『あ、来た来た』
満月照らす月明かりが、草原に集まる人々を照らしていた。
その一人、ルシフィがこちらに近づいてくる人影に気がつき手を振ると、月夜がつくりだした影から現れたのはリュウヤ・ラングとその家族だった。
七歳になったアイーシャがルシフィに手を振り返している。
リュウヤの隣では母のセリナは幼い男の子を抱えていた。ルシフィはリュウヤたちに挨拶をすると、すやすやと寝入っている男の子の顔を覗きこむと、頬をちょんと突いた。
『こんにちは、ツムギ君』
ツムギ・ラング。
グリュンヒルデの戦いの半年後に生まれたリュウヤの第二子で、かつてアイーシャが言っていたように男の子だった。ルシフィはムルドゥバとの交渉の際に聖霊の神殿にも寄っていて、生後間もないツムギと顔を合わせているから、会うのは初めてではない。
「よく来てくれたな」
リュウヤが礼のつもりで言うと、ルシフィは肩をすくめた。
『ネプラス将軍とタギル宰相に任せてますから、あまり僕はすることなくて』
現在の魔王軍はルシフィを王とし、中核にネプラスとタギルを据えているが、次の将軍にはアズライルの声が高まっている。ミスリードもアズライルの補佐役として十分な働きがあり、若手も次々と育ちつつあるという。また、制度の性質も変わりつつあった。制度上の名称は変わらないものの、ルシフィは政治と王の存在を分けようとしている。バルハムントのクリューネが竜族の代表であるように、ルシフィも倣って絶対に等しい王の権力を分散し、魔族の代表という立場程度にしようとしている。バルハムントとは国内の事情が異なるために時間も調整も必要ではあるだろうが、今、ここにルシフィが一人でいられるというのは、順調なのだろうとリュウヤは思うことにした。
リュウヤに政治家の器や資質というものがどういうものか、はっきりと口にできるほど政治に詳しいとは言えない。しかし、畏怖を持って魔族を従えたゼノキアやエリシュナ、人と人と思わぬムルドゥバのアルドがリーダーシップを発揮し、民衆から頼られていた光景を思い返すと、ルシフィは幾分優しすぎるように思えた。その優しさというものが具体的にどういうものか、リュウヤにも説明できないから、あれこれ口にはしないのだが。
「姫ちゃんのとこも、それくらい余裕できてたらねえ」
傍に来ていたテトラ・カイムが、深々とため息をついた。
本来いるべき、大事な一人がこの場にいない。
その寂しさを、ため息で表しているように思えた。
『僕らとは違って、クリューネさん自身が動かないといけない問題が山積みでしょうしね』
「姫ちゃんのためにもティア君、あんたしっかりしなきゃダメだよ」
「ちょ、ちょっとテトラさん!」
テトラは見送りに来たティアを捕まえると、天然パーマ気味の髪がくしゃくしゃになるほど頭を撫でてきた。
ティアの方と言えば、リュウヤから預かった“弥勒”を両手で抱えているために、テトラのされるがままになっている。
リュウヤとクリューネが話していたように、ティアはこの一年で随分背が伸びた。まだ十三歳になったばかりだが、リュウヤの肩ほどまでになっている。
「最近、女の子たちにもてはじめたらしいじゃん。でも、女の子にうつつ抜かしたらだめだよ」
「そんなことないですってば。あ、髪くしゃくしゃにしないで!ちょ、ちょっとやめてくださいよお!」
「男が髪に拘るなての。姫ちゃんがひとりで頑張ってんだからね」
ティアはテトラから逃れると、憮然としながら髪をなおした。
「……僕は姫を支える身です。立派な家臣となるのは当たり前じゃないですか」
「うむ、わかっていればよろしい」
テトラとティアのやりとりを、周りは可笑しさを堪えながら見守っていた。
一区切りついたところで、セリナがテトラのところに来て「どうですか、服のサイズはキツくないですか」と訊ねた。
「うん、ちょうどいいよ。」
剣杖を手にしているが、いつもの士官服ではなく、白いブラウスにロングスカートという品の良い服装でいた。隣にはジルが木製の杖のような義足に体重を預ける格好で立っている。ハーツが研究中という義肢は、まだ完成にはほど遠いらしい。
「テトラさんて、スタイル良いから何でも似合いますよね」
「セリナさんが選んでくれたのになんだけど、私としたら、いつもの短パンが落ち着くんだけどな」
「テトラさんの私服、いつも露出が多すぎます。初めての異世界訪問なんだから、品の良い方が好印象なんです」
「俺はでかい胸や生足がバーンて出てるあの服が好きなんだけどな……」
「……ジルさん!」
セリナの強い語気に、ジルは恐縮して頭を掻いた。
テトラ・カイムは、二ヶ月前にムルドゥバから退役していた。
復興を目指すムルドゥバ政府は新たに兵制を改革したのだが、その中で白虎隊の解隊も含まれていた。
アルドが乗っていたムルドゥバ旗艦“ペルセウス”が爆発する直前、「アルド将軍、発狂」という無線が各部隊に伝わったことから、一時期混乱があったものの、現在ではアルドが突然死として伝えられている。アイーシャを拉致して兵器として操り、プリエネルで意図的に敵味方問わない無差別な殺戮をした行為は機密扱いにされ、上層部にかたく秘せられている。
そのため上層部はリュウヤたちに協力し真実を知るテトラと白虎隊を疎んじ、部隊の解散とテトラに閑職にまわした。無意味で無慈悲なことをするとリュウヤには思えたが、上層部はアルドを神格化することで、国の秩序と治安を保ちたいらしい。
世界の情勢は変わりつつあった。
ムルドゥバは機械技術が他国より発達しているとは言っても、以前のような力を取り戻すには時間も掛かり、文明の先駆者であり産業革命の中心にいたアルドを失っている。魔王軍もゼノキアとエリシュナを失い、グリュンヒルデでの戦いとエリシュナの暴走により壊滅的な打撃を受けている。だがネプラス将軍やタギル宰相は健在で、アズライルやミスリードなど実力ある将校を中心に動いているので、意外と復興は早いのかもしれない。しかし、それでも長い年月を要するはずだった。
魔王軍、ムルドゥバの代わりに、エリンギアや新生バルハムントが力をつけはじめ、国に肩入れしないジルの“風の旅団”や、ナギの聖霊の神殿が存在感を示し始めている。
世界が大きく変革する中で、テトラには取り残されたように居場所がなくなった。
テトラは武術の教官でもなく、公園施設の管理職として飼い殺しにされていた。
その話を聞いたジルからスカウトされたという流れで軍を辞め、かねてから誘われていたジルの冒険団に参加することとなった。
軍以外で、この世界で唯一の魔空艦“マルス”を駈る冒険者たち。
ジルが“風の旅団”と名づけた冒険者たちは、来月にはアズトラエ火山に眠る不死鳥を探しに出発するのだという。
「……その前に、テトラには異世界の冒険が先になっちゃったが」
「リリシアや姫ちゃんが言ってた、ショッピングモール行ってみたいな」
まだ見ぬ異世界に、瞳を輝かすテトラに対し、浮かない顔をしているのがシシバルだった。
岩のようなリュックを地面に負って周りを呆れさせたかと思うと、今はリュックを下ろして、ああでもないこうでもないとリュックの中身を吟味している。
シシバルの隣では、すっかり魔族の身体が定着し、髪の色も銀髪と化したリリシアが呆れながら様子を見守っている。
「だいたい、何でそんな大荷物でくるの」
『備えあれば憂いなし。水が合わないこともある。何度も経験したことだ。腹下しや毒草に対する薬も必要だ。最近は大人しくなったそうだが、魔物もいつ襲いかかってくるかわからんだろ』
「だから、異世界に魔物はいない。医療も向こうの方がしっかりしている」
『そうは言ってもな……』
思い詰めた表情で荷物を睨むシシバルに、リリシアは嘆息した。
一種の用心深さがエリンギアを着実に復興へと導いているのだが、個人レベルだと極度の心配性でしかない。大概あとで後悔反省して落ち込む。
周りに迷惑掛けるレベルではないし、落ち込む様子に可愛らしさや愛敬があるので、リリシアはシシバルの癖まで直させようとまでは考えてはいないのだが、やはりため息くらいはついてしまう。
「みなさんお揃いですね」
最後にナギがハーツ・メイカを連れてやって来た。ハーツの姿を見ると、ルシフィがハーツに向かって歩いてきた。
『ハーツさん、研究の方はいかがですか』
「まだですね。“風”だと表面しかさらえないから、土壌や水中まで行き渡らない。内部にまで染み込むものじゃないと」
ハーツは他のメンバーと異なり、異世界との技術や文化を交流する大事な架け橋役としての大事な役目を帯びている。
アイーシャの記憶に残された遥か未来の記憶を具現化し、解決出来るのはハーツしかいない。
奪い押し付け合うのではなく、共に学んでいくことによって体系化した知識や技術となり、それが未来へと伝わっていくものだとアイーシャは信じている。
『砲撃だと一時的なものだし……』
「やっぱり散布するなら、“雨”を降らせる状態が良いと思うんだよね」
ルシフィとハーツは、旧バルハムントの話をしている。
“竜の山”に滞留する放射能問題に対する解決については、グリュンヒルデの戦い以後に結ばれた協定のひとつにあるのだが、解決するにはまだ多くの時間を要し、一年以上すぎても山の麓にまで来るのが精一杯だった。
ハーツも作戦に関わり、魔空艦の砲台を使って除染水を降らせるなど試みたことはあったが、さしたる効果もなかったのだ。
染み込ませることができても、まだ足りない。
汚れた水や土の中で、微生物のように働いてくれるような何かが必要だった。
「……向こうの世界で、ヒントを探してきますよ。他にも、学ぶことがたくさんありそうだ。一週間しかないですけど」
『それでも数週間も考えられる時間がある。それに来年がありますよ。その間に勉強して……』
「“魔法と科学の融合”ですか」
『そうですね』
ルシフィとハーツは、目を輝かせてそう語ったアイーシャに視線を送っていた。ルシフィも、サナダゲンイチロウがかつてそう語ってのを耳にしたが、同じ台詞でも語る人間が異なると印象が全く違うように思えた。
「そろそろ時間だよ」
アイーシャの呼び掛けに、ハーツはルシフィに別れの挨拶をして、アイーシャの下へと向かっていった。
シシバルが顔を真っ赤にしながら重い荷物を背負い、リリシアが苦笑いをしながらシシバルの手伝いをしている。テトラがジルとティアをからかいながら歩いてくる。リュウヤは周りを見渡しながらある種の寂しさを感じていた。
――やはりクリューネがいないと、穴が空いたみたいだな。
リュウヤ宛に一度手紙が来た。
ナムベバという町の絵ハガキで「ワインよりコーヒーを!」と宣伝文句が一言添えてあるだけで、名前も無かったが誰かはすぐにわかった。クリューネは前を向いて歩いている。俺もそうでなければと思うのだが、寂寥感が生じてしまうのは否めなかった。
リュウヤは仲間たちとともに、アイーシャを中心にして集まった。
「それでは、異世界修学旅行に出発します。いいですかあ。帰るまでが修学旅行ですよ」
「アイーシャたらもう……!」
ピクニックでナギが、生徒たちに語っていることをアイーシャに真似されて、ナギは顔を真っ赤にしている。
「それじゃあ、いってきます」
アイーシャはナギに微笑んでから、待っているリュウヤたちに向き直ると、リュウヤから預かった“鎧衣紡”を握りしめ、静かに目を閉じた。鎧衣紡によって増幅された力を使い、アイーシャは異世界の精霊たちに語りかける。
“異世界の精霊たちよ
この声を聞け
我らは来たり
我らは来たり
善き道を拓き
汝らと繋げよ”
足下に広がる金色の魔法陣から放たれた光が辺りに満ち、夜空を煌々と照らした。満月がアイーシャに応えるようにほんのりと銀の光を帯びたように映った。
「せーの、“鎧衣紡”!」
※ ※ ※
変わらない。
視界に飛び込んできた片山家の門や玄関を前に、リュウヤは深々と溜息をついた。
空気は冷えていたが、蝉時雨が響くところから季節にまだ夏が残っているのだろう。
異世界から、初めて還ってきた時は山々の木々は紅葉に彩られた秋だった。
生け垣も閑静な古い街並みも。
日本を離れて二年も経っていないのだから当然だが、リュウヤたちの環境が目まぐるしく変化したせいで、変わらないことへの安堵は言葉では言い表しようもない。感慨深げに、じっと周囲の建物へと目を注いでいる。
「リュウヤさん、早く」
セリナに促され、リュウヤは玄関に向かった。開きっぱなしの玄関から下駄箱の上に大量のトロフィーや楯が並んでいるのが目にとまった。去年には無かったもので、どれも真新しい。
門下生が良い成績だったのかなと、トロフィーに注視していると、不意に太鼓の音が道場から響き、続いて喚声や気合いが飛び込んでくる。稽古の開始の合図で、さっきまで休憩時間だったらしい。
「……竜也、竜也じゃないか」
懐かしい声が庭先からし、振り向くと父と母が驚いた顔をしてそこにいる。母は幼児を抱えていた。一歳くらいだろうかとリュウヤは思った。
「いつ来たんだい」
「今だよ、今さっき」
「来るなら連絡くれれば……」
言ってから、自分がバカなことを言っていると気がついたらしく、父は笑って誤魔化した。そんなやりとりを、後ろの方で眺めていたシシバルが『リュウヤとそっくりだな』と、なにやら感心した様子で首をしきりに振っていた。
「ところで父さん、その子どうしたの」
ツムギの紹介も忘れて、母が抱えている子を指差すと、父と母はいやははと互いに照れ笑いして顔を見合わせていた。
「竜也の弟。竜之介」
「え?」
「いや、ははは……リュウヤたちがいなくなったろ。家が寂しくなって、母さんと頑張っちゃって……」
「まさか、この歳で授かるなんてねえ」
「……」
心の隅で、良い歳してと恥ずかしく思わないでもなかったが、日本を発つ際、泣いて引き止めた母が、今は喜びに満ちて生き生きとしている。家族や仲間が戦場に赴き、ガランとなった片山家の寂しさは、ひとしおのものがあったに違いない。
素直に喜ぶべきで、恥ずかしいなど考えるべきではない。
「コンニチハ、リュウノスケ」
さっそくアイーシャが竜之介に片言の日本語で挨拶すると、竜之介は大きな瞳でその姿を焼きつけるようにじっとアイーシャを見つめていた。
取り合えず荷物を置いてからと、シシバルの大荷物を玄関先に残す以外は、リュウヤたちを家に上がらせると、居間に通された。アイーシャが竜之介の相手をし、母がツムギの面倒をみている間、セリナがお茶の用意をしに台所へと入っていった。
リリシアがテトラたちに日本のマナーについて講釈を垂れているが、室内の造りに関心がいって、説明の大半を聞き流している。
片山家に加え、ラング一家と四人の大人が入ると、居間は一杯になってしまい、自然、リュウヤと父は並んで縁側に座っていた。
「それにしても、玄関のトロフィーどうしたの。誰か大会優勝した?」
「あれね、お父さんのだよ」
「じいちゃんの?」
「竜也がいなくなった後、丸藤さんたち集めて猛稽古をはじめたんだ」
一からウェイトなどで体づくりをし直し、半年ほど猛稽古と出稽古を繰り返して手応えを掴むと、翌年に迫った世界大会に出ると言い出したという。
「名前は知られているけど、年齢も年齢だからね。さすが無理だろうて話をしていたんだけど」
ならば一から実績をつくり直すと言い、地区大会予選から出場すると、苦もなく全日本大会に勝ち上がり全日本でも優勝。日本代表として文句なしに選ばれ、世界大会でも強豪をまったく寄せ付けることなく優勝したという。
「鬼神の如して、まさにあれだね。いやあ、強かった」
「へええ」
「テレビで幾つか取材おかげで、門下生がかなり増えてね。外国の人も何人か来ているんだよ」
「どおりで、前来た時より声に気合いが入っているなと思ってたんだよ」
リュウヤは道場から聞こえる活気のある喚声に、耳を傾けながら言った。賑わいだけでなく、駐車場に停めた車も普段より多かった記憶がある。
さて、と父がおもむろに立ち上がった。
「稽古、覗いていくんだろ?」




