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竜に喚ばれた男  作者: 下総 一二三
第15章「第二次グリュンヒルデの戦い」
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永遠の嘘を聞きたくて

 振るった刃から聞こえてくる風を斬る音と、柄から伝わる力強い感触に、リュウヤは満足そうにうなずいてみせた。吸い付くような柄の心強い感触も馴染み深いものだ。弥勒に刃こぼれも刀身の曲がり、目釘の弛みもない。


『まさかさ、ここまでわざと逃げてきたの?』

「刀見つけましたからと言えば、素直に取りに行かせてくれたのか」


 言わないわねと、エリシュナは薄ら笑いを浮かべていた。まるで他人事のようにリュウヤには聞こえた。


『それにしてもよくもまあ、見つけ出したわね。落とした場所から、随分違う場所まで飛ばされてたのに』

「お前がヒントくれたからな」

『妾がヒントを?』

「お前が持っているその杖だよ」


 と言って、リュウヤは顎でしゃくり、キーロックを指した。


「さっき、お前はそれを操れるようになったと言ったろう。この世界のものじゃないからか、操るまではできなかったけれど、俺の気が残って、居場所を突き止めることはできた」

『妾が教えちゃったのか』

「感謝してるぜ」


 リュウヤは下段に刀を垂らしたまま軽く飛んだ。

 心や身体が羽毛のように軽い。弥勒から伝わる心強さが、さらに力を与えてくれているような気がした。

 エリシュナから見ても、リュウヤの印象がこれまでと様変わりしたように映っていた。たった一振りの細長い刀を手にしただけで、リュウヤ・ラングは再び遥か遠くの存在になってしまったように思えた。


『ちくしょう……』


 遠ざかった感覚が、エリシュナの混濁した頭には、恋人から突き放されたような感覚に陥らせている。正気を失った意識の中で怒りや悲しみといった感情が、エメラルドによって増幅され、更に自身へのエネルギーとなって戻ってくる。

 そして増幅されたエネルギーはエリシュナの脳へと逆流し、力を与えるのを引き換えに、脳細胞を破壊しかねないほどの強烈な刺激を与えていた。


 ――あの片刃の剣は、妾とリュウヤちゃんを引き裂いた。


 つかみかけたリュウヤを、あの刀が引き離した。エリシュナは“弥勒”に激しく嫉妬や嫌悪感を覚えていた。

 地上に降り、憎悪に満ちた目で睨みつける視線は、弥勒に向けられている。

 あいつは妾からリュウヤちゃんを奪った。


『許さない……。許さないわよ』


 エリシュナの声は口の中に留まり、リュウヤまでには届かなかった。

 エリシュナは勝負を急いでいる。

 正気を失っているとはわかっていても、そこまで支離滅裂とは予想できず、リュウヤはただ怒りに震えていると捉えていた。


「エリシュナ、そろそろ決着をつけようぜ」

『そうね、そろそろ殺してあげないとね。リュウヤちゃんは妾のものなんだからね』


 エリシュナの燃え盛る怒りの正体が弥勒に対する嫉妬だとまでは、さすがにリュウヤも気がついていない。一方のエリシュナは、一旦は突き放されたという思い込みから絶望の縁にあったものの、エメラルドを介して増幅されていく怒りと嫉妬のエネルギーにより、再び感情を激変させていった。急激に倍加する力によって、肉体が歓喜の声をあげている。エリシュナは力やスピードに関しては、リュウヤを追い越したという確信を得るようになると、さきほど抱いた遠い存在、という感覚はすでに消えていた。

 撃剣では圧倒しているかもしれないが、これは試合ではない。何も武器同士の戦いにこだわる必要など無いのだからと、ほんのわずかに残された理性が告げていた。


『さよなら、リュウヤちゃん』


 佇立したままでいるエリシュナのキーロックに、点る黒炎が激しく揺らいだ。それを見て、リュウヤは静かに足を開き、脇構えをとった。

 距離にして約10メートル。

 リュウヤとエリシュナにすれば一足の間合いとも呼べる距離。魔法も充分撃てる間合いではある。

 不死となったエリシュナにしてみれば、“臥神翔鍛(リーベイル)”や“天翔竜雷(アマカケルリュウノイカズチ)”は肉体を焼くだけでしかない。たとえ押し返されても、今のエリシュナにはそれほど恐ろしいものではなくなっている。


 ――だけど、それではつまらないな。


 この手であの男を殺したい。

 そんな欲望が生じると、わずかな理性が導き出した答えをあっさりと打ち捨て、エリシュナはキーロックを握る手に力を籠めた。


『つありゃっ!!』


 やにわに放った“萌花爛々(コスモス)”はリュウヤではなく、足下の大地を深く抉っていた。墨より濃い粉塵が立ち上りリュウヤの視界を覆った。

 まさかの行動に、リュウヤは剣を構えたまま身動きできずにいる。

 エリシュナの目にはそう映っていた。

 あんたが悪いのよと、エリシュナは心の中でリュウヤを罵った。


 ――他の奴にうつつを抜かすから!


 エリシュナは爆煙に紛れて、右側面に廻っていた。脇構えなら、せいぜい防ぐくらいしかできない。防がれれば、次に繰り出す我が一撃で仕留める。


 ――かかった!


 邪悪な笑みを剥き出しして、エリシュナはキーロックを振りかざしていた。脳天から切り裂き、干した魚のようにひらくリュウヤを想像すると、思わず身が震えていた。


『さあ……死んでよ!』


 怒濤のごとく、エリシュナはキーロックを上段から振り下ろした。

 カツン。

 斬ったと思った刹那、小さな音がエリシュナの耳に届いた。

 見ると、リュウヤが立てた刃の切っ先が、キーロックの柄に立ち、それだけで攻撃を防いでいる。防がれた衝撃にエリシュナがよろめくと、軽やかに前に出てきたリュウヤが接近してきた。

 リュウヤの両目がほのかに金色の光を帯びていた。

 全てを見抜くと言われる、神竜バハムートが持つ瞳。


『……〝竜眼〟』


 リュウヤは八双に構えを変化させ、エリシュナの首元に弥勒を振りおろした。だが、エリシュナの凄まじい闘争本能と身体能力は、リュウヤの攻撃に対し即座に反応していた。

 強引に弾き返そうと、弥勒目掛けてキーロックを片手で振るっていた。

 しかし、エリシュナの手元が急に軽くなった。


『あ』


 キーロックの頭部が、黒き炎刃を揺らしながら虚空に飛んでいる。

 片手では無理だったかとキーロックを追いながらぼんやり考えた時、エリシュナの胸を重い衝撃が貫いていた。

 ゆっくりと見下ろすと、リュウヤの顔が間近にあった。さらに下に視線を移すと、弥勒の刃が鍔元まで入り込むほど、エメラルドとエリシュナの体を貫いていた。

 弥勒の刀身がエリシュナの薄い背中から突き出している。

 竜眼がエメラルドを覆う結界の隙間を見つけ、強烈な突きと弥勒の鋭い切先が結界を打ち破ったのだった。突き刺さった刃を中心にして、エメラルドの表面に、細かなヒビが蜘蛛の巣のように奔った。


「これで終りだ」


 囁くように言って、ぐっとリュウヤが弥勒を捻ると、エメラルドとともにエリシュナの心臓を破った。エメラルドはパリンと乾いた音を二人の間に響かせ、エリシュナの口もとからは血が流れ落ちた。

 エリシュナから一気に全身の力が抜け、エリシュナは膝から崩れかけてリュウヤに身体を預ける格好となった。

 残されたキーロックの柄が、ポトリと地面に落ちた。

 リュウヤは無言のままでいた。弥勒を握る手には、仕留めた手応えが伝わってくる。エリシュナはこれまでに何度も苦渋を味わわされさせられた難敵なはずだった。憎しみや怒り以外の感情を抱いた記憶がない。

 その難敵をついに倒したにも関わらず、今のリュウヤには喜びや高揚感といったものはなく、虚しさや哀れみといった感情が胸の内に広がっている。

 正気を失い、孤独なまま死にゆくエリシュナの姿が哀れで、リュウヤから掛ける言葉など持ってはいなかった。

 ふと、上空から明るい光が射し込んできた。

 おおっと遠くから兵士たちのどよめきが起きた。見上げると不気味な黒い雲が割れ、空は再び光を取り戻していく。それはエメラルドの影響が消えていったことを示している。そのエメラルドも粉微塵と化し、風とともに散ってしまっている。

 これで終わったのだと思いながら、透みきった青空に悲哀を感じるのは、傍らで死にゆく女にいとしさに似た感情を抱いていたからかもしれない。


『……ま』

「なんだ」


 呼ばれた気がして、エリシュナに視線を向けると、エリシュナは生気を失った瞳でリュウヤを見つめていた。


『ごめんなさい……。ごめんなさい……。ゼノキア様……』

「……ゼノキア?」

『赦して……下さい……ゼノ……キア様』


 訴えかけるように、エリシュナは悲痛な眼差しでリュウヤを見つめてくる。リュウヤの白く長い髪が、ゼノキアと錯覚させているのかもしれない。

 怖いと震える声がリュウヤの耳だに触れた。


『怖い……。暗い……。暗闇がそこに……。ゼノキア様……、助けて、赦して……赦して……!』


 コフンと小さな咳をした拍子に、溢れた血が大地を濡らした。呼吸の乱れは激しさを増していく。涙で濡れる瞳がリュウヤの心を締めつけてくる。この女は救いを求めている。

 リュウヤは耳元にそっと口を近づけた。


「大丈夫だよエリシュナ。一緒にいるから」

『……』

「エリシュナ、お前を赦そう。愛しているよ。エリシュナ」

『ゼノキア様……』


 救われたという気持ち。幸福に満ちた表情で、エリシュナはじっとリュウヤを見つめていた。やがて、何かに気がついた様子で真顔に戻ると、エリシュナはふふっと小さく笑い声をあげた。


『……あなた優しいのね』


 華奢な指先がリュウヤの頬に触れた。そして身体をリュウヤに預けると、掠れた声でリュウヤの名を呼んだ。


『リュウヤちゃん』

「なんだ」

『好きよ』


 思わぬ一言に、馬鹿言えとリュウヤは狼狽えていた。だが、エリシュナから返事はなく、代わりに全体重がリュウヤにのし掛かってきた。のし掛かってきたと言っても、ふわりと毛布が被さってきた程度の重さである。


「……エリシュナ?」


 呼びかけても反応が無い。見るとエリシュナの息はすでに切れていた。眼を閉じた顔には微笑が残されているように思えた。リュウヤはゆっくりと弥勒を抜き、魂が抜けたエリシュナの身体を地面に横たわらせた。暖かな陽の光に照らされたエリシュナは、穏やかに眠っているように見えた。リュウヤは刀を納めると、エリシュナの傍で膝をついた。


「バカヤロウ」


 これまで死闘を繰り返してきたのに、不思議と侮蔑も憎しみの感情もわいてこない。

 奇妙な寂しさだけが、リュウヤの胸を支配していた。

 エリシュナに目を落としたまま、リュウヤは呟いた。


「最後の最後に、つまらねえ嘘つくんじゃねえよ」

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