24:黒曜の観測室
――埃とカビの匂いが染み付いた旧工場地帯。
そこかしこに、朽ちた鉄骨が剥き出しになった巨大な建造物が異様なシルエットを空に刻んでいた。
どの建物も錆びついた金属の壁が剥き出しになり、天井からは朽ちた配線が蜘蛛の巣のように垂れ下がっている。
しかし、その広大な廃墟の一角、その奥深くには、異様なまでに整然とした空間が広がっていた。
深い闇の中、まるで巨大な生命体の神経網のように、淡く脈打つサーキットパターンの光の筋が壁や床と思しき不定形の表面を這っているのが見える。
その空間の中央には、黒曜石めいた直方体が古代遺跡のように円環状に並び、その中心に据えられた巨大な円形ディスプレイが妖しい光を放っていた。
そして、周囲の壁一面に設置された巨大なフラットモニター群には、無数の人間の脳のCGモデルが、脈打つように明滅しながら表示されている。
それぞれのCGには、固有のシリアルナンバーらしき数字が付与されており、同一のナンバーは一つとして存在しない。
この異様な空間の中心、重厚なデスクと革張りの椅子に、二人の男の影があった。
一人は、高級そうなダークスーツを隙なく着こなした、中年に差し掛かるかどうかという鋭い目つきの男。
もう一人は、長い白衣をまとったオールバックの白髪の老人。
丸眼鏡の奥の瞳は、モニターの光を反射して探るように細められている。いかにも「博士」といった風貌の男だった。
「……『ドリームキャッチャー』。他者の夢を読み取り仮想現実として生成し、『共有』するシステムですか」
スーツの男が、感情の読めない声で呟く。
「いや、報告によれば、あれはもはや単なる『共有』というレベルを超えているようだ。あきらかに、夢への『介入』、そして『改変』が可能だと見ていいだろう」
白衣の老人が、デスクの上のタブレットを操作しながら答える。
その指先は、老齢にも関わらず、驚くほど滑らかに動いていた。
「夢が『改変』できるということは……それが何を意味するか、君にも分かるかね?」
スーツの男は少し間を置いて思考を巡らせ、老人の問いに答えた。
「……人間の意識、記憶、あるいは人格そのものに、外部から干渉できる、ということですか」
「その通りだよ。まさに、我々が目指す『人類の進化』への、新たな扉を開く鍵となり得る技術だ」
老人は、タブレットの画面をスワイプし、特定のデータを呼び出す。中央の円形『ディスプレイ』に、二つの顔写真とプロフィールが表示された。
「被験者・瀬島悠斗。『高所恐怖症』による精神的負荷がトリガーとなり、自己閉鎖的な夢のループに陥っていたが、外部からの『介入』により覚醒」
「そして、夢への『介入』に成功した唯一の『ダイバー』、エリス・ハートフィールド。マクミラン教授の一番弟子にして『ドリームキャッチャー』の共同開発者。16歳にして既に博士号級の知識と技術を持つ、規格外の天才だ」
「……報告では、もう一人、瀬島悠斗の夢にダイブした人物がいる、とありましたが」
スーツの男が尋ねる。
「ほう、よく気付いたね。そうだ。瀬島桜華。被験者の従姉であり、シナモン社の広報担当。エリスと違い、システムを完全に理解して使っていたわけではないようだがね。マクミランの《《友人》》から端末を借り受け、瀬島悠斗の夢にダイブし、彼の夢からの覚醒を大きく助けたのは間違いない」
「この三名は、『ドリームキャッチャー』という技術、そして『他者の意識へのアクセス』という観点から、非常に興味深いサンプルだ。これで、ひとまず実験は成功したと言って良いだろう」
老人は、満足げに続けた。
「……といいますと?」
「極めて『VR感応能力』の高い人間が見つけ出せたということだよ。もともとはエリス君だけだったが、さらに二人もね」
「感応能力が高いと、どのような事が可能になるのでしょう?」
「それは愚問だよ、君。現実ではない、デジタルによって構成された世界への感応が高いということは、我々の『人類救済プログラム』……肉体という檻を解き放ち、精神そのものをデジタル化できる適性があるということだからね」
博士の言葉に、スーツの男はわずかに息を呑んだ。
数秒の沈黙の後、博士は実務的な口調に戻って尋ねる。
「彼らへの『監視タグ』の設置はできたかね?」
「えぇ、抜かりなく。例の事故――いえ、実験の際に、病院の医療スタッフに我らの構成員を潜り込ませ、検査と称して彼らの肉体に埋め込みました。彼らがどこで何をしようと、その基本的なバイタルデータと位置情報は、常に我々の手の中にあります。」
スーツの男はそう答えると、コンソールの一つにそっと手を触れた。 すると、滑らかなパネルに青白い光が走り、千葉県の広域地図が浮かび上がる。
地図上に光の輪が現れ、そこから成原国際空港の立体構造図へとズームしていき、やがて複雑に入り組んだ出発ロビーを映し出した。
中央にある搭乗ゲートのすぐそばで、三つの鮮やかな光点が重なり合うように点滅している。
「空港の保安システムに介入し、監視カメラの映像を傍受します」
――そこに映し出されたのは、別れを惜しむエリスと悠斗、そして桜華の姿だった。 老人はそれを見て満足げに頷いた。
「結構。『ドリームキャッチャー』本体の技術も入手したいが、それを十全に運用できる人間がいなければ意味があるまい。引き続き、この三名については、厳重な監視を続行してくれたまえ。特に、エリス・ハートフィールドの動向は、常に注視するように」
「……承知いたしました。《《サイズ博士》》」
スーツの男が静かに一礼し、音もなく部屋から退出すると、白衣の老人は、再びタブレットを操作し始めた。
すると、壁一面に表示されていた無数の脳のCGはすべて消え、部屋は完全な暗闇に包まれた。
その老人――『サイズ博士』は一際大きな⋯⋯黒曜のような『メインコンソール』を眺める。
そこには、黒いドレスを着た少女の画像……あるいはアバターが表示され、まるで『棺』のようにも見えた。
「もうすぐだ。もうすぐ……お前にカラダを与えてやれる。どのような脅威もモノともしない、不滅のカラダを……」
博士はその少女の姿を愛おしげに見つめ、そして、先ほどスーツの男が表示させた三人の監視映像へと視線を移した。
「不滅のカラダ……器としてのデジタルボディ……それにはまだピースが足りぬ」
交互に三人の顔を見つめながら博士の思考は続く。
「そのピースの一つは……どうやら彼らの中にありそうだ。記憶と器……そして魂とも言える自我。それは強い感情によって生成される……」
狂気を孕んだ笑みを浮かべ、博士は静かに呟く。
「夢は、もはや個人が見る儚い幻ではない。これからは、我々が『《《支配》》』するものとなる……」
古代遺跡のような、その『黒曜の観測室』で、サイズ博士はまるでオペラの演者のように芝居がかった口調で高らかに宣言した。
「そして、お前こそが『人工の夢』たる仮想世界で、新たなる人類の導き手となるのだ……!」
〈仮想境界線の漂流者・完〉




