彷徨える者たちの夜明け ― 灰色の絆 ―
物語のストップ位置は、ショッピングモール脱出の後です。 孝たちは、孝の母親(小室希里香)が避難していた平野家(コータの家)の近隣エリアへ到達しました。しかし、そこで待っていたのは「奴ら」の恐怖に狂い、孝の母親を生贄にして排除しようとする近隣住民(大人たち)のエゴでした。 間一髪で孝たちが合流して母親を救出し、住民たちとの一触即発の衝突を経て、激しい怒りと虚しさを抱えながらその歪んだコミュニティを車両で離脱したその後の物語を紡ぐ。
雨は降っていなかった。それだけが、せめてもの救いだった。
車列は国道を外れ、街灯の消えた裏道を縫うように進んでいた。ヘッドライトの光の中に浮かぶのは、割れたガラス片と、誰のものかもわからない黒い染みだけだ。誰も口を利かなかった。エンジン音と、時折軋むサスペンションの音だけが、狭い車内を満たしていた。
小室孝は助手席で拳を握りしめていた。指の関節が白くなっている。さっきまで――ほんの十数分前まで――彼はあの場所にいた。松明を掲げ、母を「贄」と呼んだ大人たちの群れの中に。恐怖に支配された目、正義を騙る声、そして誰かを差し出せば自分だけは助かると信じて疑わない、あの浅ましいまでの生存本能。
孝はバックミラー越しに後部座席を見た。母、希里香が毛布にくるまれ、窓の外をぼんやりと眺めている。さっきまで自分を殺そうとしていた隣人たちの家々が、闇の向こうに消えていくのを。
「……母さん」
孝が声をかけても、希里香は答えなかった。ただ、微かに肩が震えているのがわかった。
――彼らは辛うじて、母を取り戻した。だが、その代償として、隣人という概念そのものを喪失した。かつて「向こう三軒両隣」と呼ばれた関係は、この夜を境に、彼らの世界地図から消え去ったのである。
*
河川敷に沿って走ること三十分、武藤が見つけた廃倉庫に車両を滑り込ませた時には、空はすでに白み始める気配を微かに帯びていた。錆びたシャッターを半分だけ開け、車を押し込むようにして中に隠す。埃と機械油の匂いが鼻をついた。誰も彼もが、泥と、汗と、そして名状しがたい疲労の匂いを纏っていた。
「見張りは交代制だ。俺と武藤さんで最初の二時間をやる」
孝がそう言うと、武藤は黙って頷き、倉庫の入り口に近い柱の陰に身を寄せた。旧自衛官らしい、無駄のない動きだった。
高城沙耶は懐中電灯の光を絞り、膝の上に広げた地図に落としていた。指先でルートをなぞりながら、傍らに置いた携行缶を一つ、二つと数える。
「レギュラーは残り二日分ってところかな。次の給油ポイントまでは、たぶん持つ」
「たぶん、じゃ困るんだけどな」
コータがぼそりと呟いた。沙耶は顔を上げず、地図の一点を指で叩いた。
「麗のお父さんがいるのは、たしかここ。東京拘置所」
その言葉が、倉庫の重い空気に小さな波紋を広げた。刑務所――かつて罪人を閉じ込めるための場所が、今や希望の目的地として語られる。誰もその皮肉を口には出さなかったが、全員が同じことを感じていたに違いない。
*
藤木りかは倉庫の隅に座り込み、両膝を抱えていた。相川瑞希がその隣に腰を下ろし、水筒を差し出す。りかは首を振った。
「……喉、通らない」
「少しでいいから」
瑞希が根気強く言うと、りかはようやく水筒に口をつけた。一口飲んで、また俯く。
「ねえ……あの人たち、普通の大人だったよね。学校の役員やってたり、子供の見送りしてたり……」
「うん」
「それが、あんな……」
言葉が続かなかった。瑞希は何も言わず、ただりかの背中をさすった。二人とも、答えなど持ち合わせていなかった。ただ一つだけ、確かなことがあった。
――奴らより、人間の方が怖いのかもしれない。
その感覚は、声にならないまま、二人の間に横たわっていた。
*
孝は母の隣に膝をついた。希里香は毛布の端をきつく握りしめたまま、視線を合わせようとしなかった。
「母さん、何か食べないと」
「……いらない」
「でも」
「孝」
希里香が初めて顔を上げた。その目には、涙ではなく、もっと乾いた何かがあった。
「ごめんね。あの人たちを、信じようとしてしまって」
孝は喉の奥が詰まるのを感じた。母は悪くない。悪いのは、追い詰められた時に牙を剥く、あの大人たちの方だ。そう言いたかった。だが、口から出てきたのは、もっと不器用な言葉だった。
「母さんは、何も悪くない」
それだけ言うと、孝は母の手を握った。希里香はそれに応えるように、微かに指を握り返した。言葉はもう、必要なかった。
(孝のモノローグ)
――大人は、守ってくれるものだと思っていた。だが違う。大人もまた、恐怖の前では容易く獣に還る。ならば、俺たちは誰を信じればいい? 答えはまだ、出ない。
*
倉庫の奥、コータは一人、猟銃の手入れをしていた。布で銃身を拭う手つきは、驚くほど丁寧で、そして異様なほど無心だった。カチャリ、と遊底を引く金属音が、静かな倉庫に響く。
住民たちとの衝突の中で、コータはこの銃床で一人の男を殴りつけていた。振り下ろした瞬間の、鈍い手応え。それを思い出しても、不思議なほど心が波立たなかった。
(コータのモノローグ)
――殴った感触が、まだ手に残ってる。……それを、嫌だと思えない自分がいる。
「……コータ」
声に顔を上げると、沙耶が少し離れた場所に立っていた。ランタンの光が、彼女の横顔に影を落としている。
「その銃、まだ弾は残ってる?」
「……ああ。三発」
短い答え。沙耶はそれ以上何も言わず、ただコータの手つきを見つめていた。慣れた手つき、迷いのない指先。それは頼もしくもあり、同時にどこか、見知らぬ誰かを見ているような不安を沙耶に抱かせた。
(沙耶のモノローグ)
――この子は変わった。良い方にか、悪い方にか、まだわからない。でも、目を離しちゃいけない。それだけは、確かだ。
*
夜が明け始めた。倉庫のわずかな隙間から差し込む光が、埃を舞い上がらせる。見張りに立った孝は、双眼鏡を目に当て、河川敷の向こうを見渡した。
土手の先、朝靄の切れ間に、それは唐突に姿を現した。
高いコンクリートの壁。有刺鉄線の連なり。そして、まだ夜の名残を引きずるように、ゆっくりと弧を描くサーチライトの光条。
「……あれか」
孝は呟いた。武藤が隣に来て、同じ方向を見た。
「東京拘置所。麗の親父さんが、あそこにいるはずだ」
孝は双眼鏡を握る手に、無意識に力を込めていた。
(孝のモノローグ)
――あの壁の内側には、まだ〝秩序〟が残っているのだろうか。それとも……。
答えを持つ者は、まだ誰もいなかった。
――彼らはまだ知らない。その鉄壁の内側で、既にもう一つの戦争が、Themよりも静かに、そして確実に始まっていたことを。
夜明けの光が、静かに彼らを照らしていた。
この作品が大好きで、AIが佐藤先生の思考をトレースして記載してます。
営利目的ではなくこの作品が好きな人と一緒に楽しめたら幸いです。




